大阪フィルハーモニー交響楽団第575回定期演奏会
2024年2月10日(土)15:00開演 フェスティバルホール 井上道義指揮/大阪フィルハーモニー交響楽団 J.シュトラウスⅡ世/ポルカ「クラップフェンの森で」 座席:A席 2階1列31番 |
井上道義が指揮する最後の大フィル定期に行きました。2日公演の2日目です。メインは、ショスタコーヴィチ「交響曲第13番「バビ・ヤール」」。井上道義の指揮でショスタコーヴィチの交響曲はこれまでに、第5番(大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会)、第7番「レニングラード」(第1楽章のみ、京都市交響楽団練習風景見学)、第8番(日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007 コンサート8)、第12番「1912年」(第22回京都の秋音楽祭開会記念コンサート)、第15番(日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007 コンサート8)を聴きました。第2番「十月革命」を京都市交響楽団第690回定期演奏会(2024.6.21&22)で聴く予定ですが、交響曲第13番「バビ・ヤール」は初めて聴きます。もともとは2020年12月のN響定期で指揮する予定だったようですが、コロナ禍で曲目が変更されました。井上道義にとっても第13番を指揮するのは、2007年11月に「日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト」でサンクトペテルブルク交響楽団を指揮して以来とのこと。X(@michiyoshi_web)でも「今こそこの曲の真の意味が誰にでもわかるように突きつけられてくる」(2023年12月5日)、「最高の歌手と合唱団を招聘する2つの楽団に感謝。世界は「バビ・ヤール」の状況に逆戻りしてる。今こそこの曲を聴いて聞いて欲しい。」(1月12日)、「天才ショスタコーヴィチが創った音響と、ロシアの複雑な歴史と、彼の言葉では言い尽くせない心情を、音象として書き残した作品の、消すことのできない絵空事を、世界中のどの指揮者にも負けない結果で表出させたい。」(2月8日)などと抱負を投稿しました。
井上道義は前週に本公演と同じプログラムを、NHK交響楽団第2004回定期公演Aプログラム(2024.2.3&4 NHKホール)で指揮しました。これは井上道義が指揮する最後のN響定期でした。
チケットは、1回券初日の8月1日に大フィル・チケットセンターに電話。ずっと話し中で、25分かけつづけてやっとつながりました。クレジットカード決済も可能で便利でした。
なお、10月にバス独唱のエフゲニー・スタヴィンスキーが事情により出演できなくなったため、アレクセイ・ティホミーロフに交代することが発表されました(わざわざ「ソリスト変更」のハガキが届きました)。また、スウェーデンから来日する男声合唱団のオルフェイ・ドレンガーの招聘費用が高額なようで、井上道義 ザ・ファイナル・カウントダウン Vol.2~道義 最後の第九~のカーテンコールでも井上が来場を呼びかけていました。
本公演のプログラムには、「井上道義 大阪フィル定期演奏会 指揮記録」が2ページにわたって掲載されました。井上と大フィルの初共演は1978年1月で、定期演奏会を初めて指揮したのは第169回(1980.10.8)。2014年4月から2017年3月まで首席指揮者を務めました。本公演は19回目の指揮で、本公演の前に定期演奏会で指揮したのは、意外にも4年前の第536回でした(兵庫芸術文化センター管弦楽団第123回定期演奏会「井上道義 煌めきのスペイン」に記載あり)。井上は大フィルの定期でショスタコーヴィチは、第2番「十月革命に捧げる」(第516回)、第3番「メーデー」(第516回)、第4番(第340回、第477回)、第5番(第364回)、第7番「レニングラード」(第493回)、第11番「1905年」(第505回)、第12番「1917年」(第505回)、第15番(第321回)をこれまでに指揮しました。
14:00に開場して、14:30から1階席後部メインホワイエでプレトーク・サロン。コンサート初心者向けの質疑応答を交えた内容で、コロナ禍では中断していましたが、復活してうれしい。第520回定期演奏会以来ひさびさに参加しました。楽団事務局長の福山修が指揮台に登壇。150人くらい集まりました。前半は曲目解説(各曲の解説は後述します)。後半は質問コーナー。「N響と同じ曲になった経緯は?」の質問に、福山は「井上が引退すると聞いて、大フィルがスケジュールを合わせた。大フィル単独ではお金がかかるので無理なので、N響にも感謝していただきたい」と話しました。なお、福山は「先日のN響の公演を聴いてきた」とのこと。そう言えば先月の京都市交響楽団第685回定期演奏会でお見かけしたので、事務局長自ら情報収集に熱心です。「今日の演奏は収録しているか?」には、「昨日の演奏をNHKFMが収録した」と回答。「楽器は楽団の楽器か?個人の楽器か?」には、「個人の楽器で、大きな楽器は楽団持ち」。「本日の公演に字幕はあるか?」には「ある。プログラムの対訳に目を通しておいたほうが演奏に集中できる」と話しました。N響公演では字幕はなかったようですね。「ショスタコーヴィチの交響曲第14番を取り上げる予定はあるか?」には「残念ながらない」。「井上道義との印象的なエピソードは?」には、「ありすぎるが、バーンスタインのミサ」と答えました。「大フィルの特徴は?」には「日本で最も歌心がある。厚みがありフェスティバルホールを響きで満たせる重厚感がある」と答えました。
「小澤征爾が亡くなったことについて、井上道義は何か言っていたか?」の質問には、福山は「開演中に知って、終演後にお伝えしたが、特にコメントはなかった」とのこと。小澤征爾は2月6日に88歳で亡くなったことが2月9日に報道され、新聞の一面に大きく取り上げられました。井上道義は2月10日に産経新聞のインタビューにはきちんと答えています。井上は小澤よりも11歳年下ですが、ともに齋藤秀雄に学んでいて、「率直な、言い換えれば遠慮のない物言いに共通点があった」「当時、東洋の孤島から出ていく音楽家たちにとって、頼りになるたった一人の人だった」「常に高みを目指し、山を登り続けた人」「(晩年に体調を崩して)この20年はかわいそうだったな」と振り返っています。プレトーク・サロンは、15分間の予定でしたが、20分で終了しました。
座席は2階席中央のすごくいい席。当日券は発売されましたが、ほぼ満席でした。団員入場時には拍手はありませんでしたが、コンサートマスターの崔文洙(ソロ・コンサートマスター)の入場時に大きな拍手。
プログラム1曲目は、J.シュトラウスⅡ世作曲/ポルカ「クラップフェンの森で」。プレトークで福山は「ウィーンの森の名前で、ロシアの音楽祭のために作曲された。ロシアつながりの選曲で、あとで曲名を変えた」と解説しました。ロシアで作曲されて、もともとは「パヴロフスクの森で」という曲名でしたが、改題されました。井上はN響へのインタビューで、選曲の理由を「中央ヨーロッパの音楽家がお金持ちの新興国へ出稼ぎに行った時代の記憶を呼び覚ましたかった」と語っていて、自身もニュージーランド国立交響楽団の首席客演指揮者を務めた経歴と重ね合わせたようです。
井上が両手を上げて登場。指揮台はなし(譜面台はあり)。弦楽器は中編成で、チェレスタとピアノも加わります。ショスタコーヴィチにつられたのか、ちょっと響きが重い。カッコウの笛を雛壇の左端で吹き、続いてスズメのキュイキュイという鳥笛。最後はヴィオラ、フルート、トロンボーン、ファゴットの奏者が順番に起立して鳥笛を吹いてにぎやかに終わりました。
プログラム2曲目は、ショスタコーヴィチ作曲/ステージ・オーケストラのための組曲より。プレトークで福山は「沈痛な曲ではなく非常に明るい曲。かつては「ジャズ組曲第2番」と呼ばれていた。8曲から5曲を演奏する。N響では4曲だったので、1曲多い」とアピールしました。「March」(第1曲)、「Lyric Waltz」(第5曲)、「Little Polka」(第4曲)、「Waltz 2」(第7曲)、「Dance 1」(第2曲)の5曲で、「Dance 1」(第2曲)は大フィルのみで演奏されました。大阪フィルハーモニー交響楽団京都特別演奏会でも同じ曲順で5曲を聴いていました。
指揮者の左(コンマスの前)にアコーディオンの寺田ちはる、右にギターの加治川岳。サクソフォン×4がオーボエとファゴットの横に二人ずつ陣取ります。なお、アコーディオンもギターもサックスもN響公演とは別の出演者です。「March」はスーザ風にも聴こえてくるマーチ。「Lyric Waltz」は演歌。「Little Polka」はミュートのトランペットとトロンボーンが活躍。「Waltz 2」は聴いたことがあるメロディーで、井上道義が好きそうな曲。「Dance 1」はテンポが速く、サックスが大活躍。
休憩後のプログラム3曲目は、ショスタコーヴィチ作曲/交響曲第13番「バビ・ヤール」。プレトークで福山は「交響曲第13番は大フィルは初めて演奏する。歌詞がロシア語なので演奏される機会は少なく、世界最高峰の男声合唱団のオルフェイ・ドレンガー60人をスウェーデンから招聘した。身長が2メートル近くて迫力がある。もともとは2020年にN響で演奏される予定が、コロナ禍でのびのびになっていた。ナチスによる大量虐殺を描いている。ロシアのウクライナ侵攻の前に選曲された」と説明しました。1941年にウクライナのバビ・ヤールで、ナチスによってユダヤ人が虐殺されました。ロシアのウクライナ侵攻からもうすぐ2年が経ちますが、井上は「プログラムを決めた当時は、人々に現実と芸術の問題を考えてもらおうとかは、これっぽっちも思っていませんでした」とインタビューで語っています。なお、井上によると、オルフェイ・ドレンガーは「オルフェウスのしもべ達」の意味。
指揮台が設置されて、ハープが3台もあります。オーケストラの入場前に、合唱のオルフェイ・ドレンガーが雛壇に3列で並びました。楽譜を持っています。客席から拍手。バス独唱のアレクセイ・ティホミーロフは、ムーティやクルレンツィスの指揮でこの作品を歌ったことがあるとのこと。井上の右で譜面台を置いて歌います。ロシア出身でデカイ。井上によると、まだ44歳とのこと。後方に字幕が横書きで2行表示されました。第1楽章「バビ・ヤール」は重厚感があり、金管楽器と打楽器は全開で重苦しさを表現。独唱のティホミーロフは両手で身ぶり手振りしながら歌いました。合唱のオルフェイ・ドレンガーは頻繁に立ったり座ったり。なお、合唱パートは全曲を通してずっとユニゾンで、ハーモニーはありません。合唱はがならず、重低音をことさら強調した歌い方でもなく誠実な態度で、さすがスウェーデン王立男声合唱団です。最後は打楽器が大炸裂で壮絶な終わり方。井上が勢い余って指揮棒を客席に落としてしまいましたが、第2楽章が始まる前までに客が拾って、コンサートマスターの崔が受け取り、指揮台に置きました。第2楽章「ユーモア」は、大フィルが大健闘。フルートの高音がよく響いて、まさにショスタコーヴィチ。第3楽章「商店にて」 では、ウッド・ブロックの響きが印象的。休みなく第4楽章「恐怖」 は長いチューバソロがブラボー。休みなく第5楽章は「立身出世」ですが、字幕には「生き様」と出ました。冒頭のフルートの二重奏で緊張が緩和されました。歌詞にガリレオ、シェークスピア、ニュートン、トルストイが登場します。弦楽器アンサンブルが繊細。井上は両手を合わせて拝むような指揮で終わりました。
カーテンコールではティホミーロフが指揮台に立って拍手を受けました。井上には特大の花束が贈呈されました。合唱団の一員として一緒に歌っていた合唱指揮のセシリア・リュディンゲルも拍手を受けました。
終演後も拍手が鳴りやまず、井上が今日で引退するかのような盛り上がりでした。花を持って井上と崔とティホミーロフが登場。井上が花束を分解して客席に投げました。予想外のパフォーマンスでしたが、井上なりのお客さんへの感謝の伝え方でしょうか。井上が指揮台に立って、ティホミーロフと同じ身長とアピール。
ブログ「Blog ~道義より~」では、「5年がかりとなった「大プロジェクト」と呼べる4つのコンサートが、終わった。」とN響と大フィルの4公演を振り返り、「N響と大フィルでこの作品を、これだけの感動的かつ、技術的にも世界的に高度な演奏で終わることができたのは(俺の引退とか戦争をやっている今とか言う変な感傷を越えて)、現代風に「マジな話」と書こう、積み木細工が倒れなかった{奇跡}以外の何物でもなかった。カジモトの親身なサポート、5年間信じて粘ってくれた、それぞれのオーケストラの西川氏、福山さんに感謝だ。」と謝意を綴っています。アレクセイ・ティホミーロフが歌手になりたいと思った伝説的なバス歌手のシャリアピンは、帝国ホテルのシャリアピンステーキの由来になったとか、コンサートマスターの崔文洙はロシア語ができるとか、余談も多く楽しい。
終演後に井上はXで「今回、体調にはすごく気をつけてがんばりました。ティホミーロフ今日がベスト👍🏻 1980年から指揮してきた大阪フィルとの定期演奏会はこれで終わり。ABC主催にて大フィルとの共演は4回残ってる。」と投稿しました。つまり、4回とは「井上道義 ザ・ファイナル・カウントダウン」のVol.1の延期公演と、Vol.3~5で、いずれもザ・シンフォニーホールです。井上道義がフェスティバルホールで指揮するのは、「井上道義指揮 NHK交響楽団演奏会 ヴァイオリン:服部百音」(2024.6.30)で、ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲を指揮します。これがどうやらN響との最後の共演になるようです。
KAJIMOTOのX(@Kajimoto_News)の投稿に、井上道義のサイン色紙の横に、「村山美知子さんを呼んでのopeningの日から愛したホール! Schostakovichの名作バビヤールでHallは喜ろこんでいるようでした 2024.2.9+10」のメッセージが書き添えられています。村山美知子とは朝日新聞社社主や大阪国際フェスティバル協会会長などを務めた人物です。また、大阪フィルハーモニー交響楽団のX(@Osaka_phil)に投稿されたサイン入りの写真には、「2024.2.9と10日 風通しよくなった大フィル♡」と書いていて、演奏にご満悦のようです。
プログラムに記載された井上道義のプロフィールに「2024年12月30日に指揮活動を引退する」と明記されて、いよいよ引退まで1年を切りました。1月11日のXの投稿で12月30日の「第54回サントリー音楽賞受賞記念コンサート」(サントリーホール大ホール)をもって引退することが発表されました。その後の発表によると、読売日本交響楽団を指揮して、ベートーヴェン「田園」「運命」と、ショスタコーヴィチ「祝典序曲」を指揮するようです。ベートーヴェンで最後を締めくくるとは意外でした。
なお、2月21日にYouTubeチャンネル「井上道義ドキュメンタリーch」(@Michiyoshi-Inoue-docu)が開設されました。「指揮者・井上道義氏に密着。 2024年12月30日に指揮活動を引退すると発表し、実際の”終演”までを追うドキュメンタリー。」ということで、「欲張り指揮者・井上道義の”終演”~井上道義、自身の引退をプロデュースする。~」という動画が公開されました。第1回は「引退の理由とは?」では、2022年5月に収録されたインタビュー映像で、引退の理由について「中咽頭がんになって、よく自分の人生を考える時間があったわけだ。(中略)その時にいろいろ考えたんですけど、(中略)じじいになったらやめようとやっぱり。じじいになってよぼよぼになって幸福じゃない指揮者になりたくない。やっぱり人に後ろ指刺されるような指揮をしたくないから、いいときにやめたい」と語っています。「みっともないの見せたくないから俺は。武士に二言はない。やめるったらやめる」と語っていて、決意は固そうです。最近のぶらあぼのインタビューでも引退の理由を「ぶっ壊れていくそういう現実をわざわざ経験したくない。もう(指揮は)十分にやったんじゃない?」と答えています。また、「ショスタコーヴィチの交響曲全集の2回目のセットが録音できる」と語っています。2007年の日露友好ショスタコーヴィチ交響曲全曲演奏プロジェクト2007の録音が1回目で、今回の第13番の録音も2回目の全集に含まれるようです。
ちなみに、同人誌の『伊福部ファン』第5号(2023年12月、オリエント工房発行)に、「みちよしの成城散歩」の記事で取材を受けました。カラー写真で12ページも掲載されています。インタビューでは京響の音楽監督だった頃に伊福部昭に作品を委嘱しようとしたが、奥さんの看病を理由に断られたと語っているのが興味深い。
(2024.3.21記)