兵庫芸術文化センター管弦楽団第142回定期演奏会「井上道義 最後の火の鳥」
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2023年6月18日(日)15:00開演 兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール
横山奏指揮/兵庫芸術文化センター管弦楽団
総監督:井上道義 演出・振付・美術プラン・男:森山開次 王女の亡霊:本島美和 火の鳥:碓井菜央、浅沼圭、梶田留以、根岸澄宜、水島晃太郎、南帆乃佳
<オール・ストラヴィンスキー・プログラム> ディヴェルティメント(バレエ音楽「妖精の口づけ」による) バレエ音楽「火の鳥」(1910年原典版)
座席:A席 1階P列22番
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本公演は16日(金)、17日(土)、18日(日)の3日公演で、「最後の火の鳥」のタイトル通り、井上道義が兵庫芸術文化センター管弦楽団を指揮する最後の定期演奏会でした。井上は2年前の兵庫芸術文化センター管弦楽団特別演奏会「燃えよ道義 炎の音楽」(2021.6.19&20)でも「火の鳥」を指揮しましたが、今回は森山開次の舞踏付きで演奏されるのが注目でした。井上道義と森山開次は、2019年1月~2月に上演したモーツァルト「ドン・ジョヴァンニ」で初めて共演して、本公演は「井上道義が総監督として森山開次と打合せを重ね、ダンスや舞台美術、照明、音響など、通常の演奏会とは異なる特別な演出をご用意しております」と紹介されました。井上道義は兵庫芸術文化センター管弦楽団が創設されて間もない第5回定期演奏会(2006年11月)を指揮していて、プログラムに掲載された林伸光(兵庫県立芸術文化センター統括アドバイザー)との対談記事によると、芸術監督の佐渡裕が「ぜひ来ていただきたい」と連絡したようです。それ以来毎年定期演奏会に客演していますが、
兵庫芸術文化センター管弦楽団第123回定期演奏会「井上道義 煌めきのスペイン」は残念ながらコロナ禍で中止になりました。
私が聴きに行ったのは18日(日)の最終日で、チケットは芸術文化センター会員の先行予約で一般発売の前日の2月25日(土)に購入できました。チケットの決済方法を「クレジットカード支払」ではなく、間違って「兵庫県立芸術文化センター窓口支払」を選択してしまって、わざわざ西宮まで行って支払ったのはここだけの話です…。
6月14日(水)に、井上道義の降板と、井田勝大(かつひろ)と横山奏(かなで)への変更が発表されました。「結石性腎盂腎炎によって当面の間入院治療が必要との医師の判断を受けた」とのこと。兵庫芸術文化センター管弦楽団のホームページに掲載されて、本公演のプログラムと一緒に配布された「井上道義氏からのメッセージ」によると、「どうにもならない!身体が、脳が、意欲が全くない!食欲もほぼ無い。(中略)体中が吐き気を発する。西宮に這って行って叩き上げでダンサーの事もオケの事も素晴らしく結びつける井田勝大君が練習してくれたPACオケに上手く本番だけ乗ろうという悪魔の囁きさえ今の俺には出来ない相談!!(中略)さっき院内を60m歩いただけで、これは皆の腕と足を引っ張るだけだと知った。(中略)痛み止めはすべて腎臓に副作用をもたらすと、今深く身をもって知った。(中略)今はパソコンをこれ以上叩く力もない」と、本番だけの指揮も無理な状況のようです。リハーサルの様子は、マネージャー経由で井上が動画で見て、遠隔で指示したようです。
森山開次について、井上は「野人且つ繊細な舞踊家であり演出家」と紹介し、「古いロシアおとぎ話をつぎはぎで纏めた原作振付台本を闇と光という対立に置き換えるという森山のアイデアに賛成していた。定期公演としては破格の予算もいただき、森山君たちと俺の自宅で練ったストーリが展開される。そこに龍の目として存在したかった」と綴っています。なお、2023年1月に出版した『降福からの道 欲張り指揮者のエッセイ集』でも、森山開次を「天才」と賞賛しています。
代役の指揮者は、16日(金)と17日(土)は井田勝大が指揮し、私が聴きに行った18日(日)は横山奏が指揮しました。井田勝大のTwitterによると、井上道義から「アンダーに指名」されたとのことですが、18日(日)だけ横山奏が指揮することになったのは、井田が18日(日)は「東京シティ・フィルのドラゴンクエスト」(とりぎん文化会館 梨花ホール)を指揮するためです。なお、井田は
熊川哲也Kバレエカンパニー「ベートーヴェン 第九」で聴きましたが、現在はKバレエカンパニー音楽監督、シアターオーケストラトーキョーの音楽監督、グランドフィルハーモニック東京首席客演指揮者、エリザベト音楽大学講師などを務めています。
横山奏はTwitterで「青天の霹靂とはまさにこのことで、こちら三公演の最終日だけを突然のジャンプインで指揮することになりました」と報告しました。横山は兵庫芸術文化センター管弦楽団を指揮するのは初めてとのこと。17日(土)に横山のTwitterに、「バトン、受け取りました!!」と、楽屋で井田から指揮棒を受け取る写真が掲載されました。横山のTwitterによるとゲネプロと16日(金)と17日(土)の公演は観ていたようです。
日本センチュリー交響楽団第24回星空ファミリーコンサート2019第2夜を聴きに行く予定でしたが、雨天で中止になったので、今回初めて聴きます。2015年から2017年まで東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の指揮研究員を務めましたが、現在はフリーです。
チケットは完売だったようですが、指揮者の変更に伴い、今回に限って払い戻しの措置が行なわれました(7月14日までにチケットを郵送か窓口持参)。チケットの再販も行なわれましたが、もっと空席が目立つかと思いましたが、ほぼ満席で、払い戻しした人はほとんどいなかったようですね。
プログラムは、2曲ともストラヴィンスキーです。KOBELCO大ホールの入口に、薄井憲二バレエ・コレクション常設展vol.94「火の鳥」として、ストラヴィンスキーのサイン入りの自伝が展示されていました。
開演前に、楽団部長の木山がステージに登場して、指揮者交代のお知らせとお詫びを説明。わざわざ出てくるところが丁寧です。
プログラムに名前が掲載されたメンバーは99名。コンサートマスターは田野倉雅秋。コアメンバーは25名。ゲスト・トップ・プレイヤー(他のオーケストラの首席奏者)は5名。スペシャル・プレイヤー(他のオーケストラの奏者)は6名。レジデント・プレイヤー(1年ごとにオーディションで選出)が6名。アフィリエイト・プレイヤー(芸術監督の推薦で選出)は4名、アソシエイト・プレイヤー(1年ごとにオーディションで選出)は7名、エキストラ・プレイヤーが45名と多く、全体の約半分を占めます。ゲスト・トップ・プレイヤーとして、小谷口直子(京都市交響楽団首席クラリネット奏者)、スペシャル・プレイヤーで中野陽一朗(京都市交響楽団バスーン奏者)が出演しました。オーケストラは誰もマスクをしていません。
ステージ前方は2曲目の「火の鳥」がダンスするスペースになっているので、オーケストラは奥まった配置で、ステージに音響反射板がありませんでした。音響反射板がない代わりに、d&b audiotechnik Japan社の音響システム「d&b Soundscape」を日本のクラシック音楽公演で初めて使ったとのこと。反響版がなくても、響きは薄く感じませんでした。また、舞台上に音を返すモニタースピーカーが設置されていたようですが、音響が人工的にも感じませんでした。また、指揮台の前のひな壇はダンサーが通れるように開けていて、階段状になっています(詳細は後述)。
1曲目は、ディヴェルティメント(バレエ音楽「妖精の口づけ」による)。1934年の作品で、4つの楽章から成り、チャイコフスキーの作品からの引用があるとのことですが、ピアノ曲や歌曲のマイナーな作品なので全く分かりませんでした。いろいろな表情が見られる作品なので、もっとアイロニックに大げさに演奏して欲しかったですが、横山は肩慣らしのような無難な指揮で、やはりそんな余裕はなかったでしょうか。弦楽器も木管楽器も以前に比べてうまくなりました。
第1楽章「シンフォニア」が長い。第2楽章「スイス舞曲」に続いて、第3楽章「スケルツォ」はチェロソロ、クラリネットソロ、ハープソロの掛け合いが繊細。第4楽章「パ・ド・ドゥ」はティンパニが活躍。
休憩は20分の予定が、25分とアナウンスされました。Twitterによると、井上道義に見てもらうためか、出演者全員の集合写真を撮影していたようですね。
休憩後の2曲目は、バレエ音楽「火の鳥」(1910年原典版)。前曲より弦楽器の人数が増えたので、オーケストラと指揮台が前に出てきて客席に近づきました。ハープが3台もあります。井上道義はオーケストラがピットに入ることに反対で、「オケをピットに入れたら音楽は主導権をGHQに渡した日本のようになるのだ」と綴っていて、「オケが見えるオペラ(コンサートオペラ形式)」にこだわっているとのこと。
ステージの左右に字幕装置があり、縦書きで字幕が出ました。字幕が出るのは、すべてのシーンではなく、ストーリーの重要な部分のみで適度な演出でした。全曲版を聴いたのは
ロンドン交響楽団来日公演以来ひさびさでしたが、ダンスがあると退屈しません。ダンスの動きが音楽とよく合っていて、森山の演出もすばらしい。
プログラムに掲載された森山開次の「演出ノート」によると、「光と闇の物語」として、登場人物の設定を変更して、王女を「王女の亡霊」に、イワン王子を瀕死の「ある男」としました。カスチェイは登場しませんが、キャラクターをもっと抽象的に表現して、後述する「黒い太陽」を作ったようです。詳しい構想は「原題」と森山の「新解釈」の対照表がプログラムに掲載されました。舞台美術は森山が自ら制作したとのこと。
横山は立ち位置を変えずに指揮しました。終演後のTwitterに「忘れられない火の鳥デビュー!!!」と書き込まれたので、なんと火の鳥を指揮したのは初めてだったようですが、そんなことを指揮姿では感じさせませんでした。兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏もちょっと金管にミスはありましたが、期待以上。打楽器が強めで効果的でした。ただし、管楽器のソロは他のオーケストラからの客演奏者とコアメンバーとの違いがすぐに分かるほど差がありました。
演奏開始とともに、照明がどんどん消えて真っ暗になって、譜面台用のライトのみです。字幕に「序曲」と出ました(原題では「導入部」)。ステージのひな壇の最後列はダンサーが通れる通路になっていて、下手から男(森山開次)がふらふらと歩いてきて中央で倒れました。森山は上半身が裸で髪が長い。天井からライトが降りてきて、字幕には「林檎の木」との説明。男が指揮台の中央にある階段を降りてきて、ライトのひとつをつかんで食べました。林檎を食べたということでしょう。
「火の鳥の出現」では、ひな壇の最後列から火の鳥が登場。全身赤スーツの6人で火の鳥を表現しました。この6人は全員が女性かと思ったら、女性4名と男性2名でした。ひな壇の最後列の後ろは階段になっているようで、頭から姿を現す様子が
映画「ゴジラ」(1954年)のゴジラの登場と似ていました。ステージに移動して両手に大きな赤い羽根を持って踊ります。音楽によく合った動きで、走っていても静かで足音がしません。男は客席に降りて火の鳥を見ています。その後、男は火の鳥をつかまえようとします。このシーンでは、森山と火の鳥が1:1で踊って、火の鳥役のダンサーの見せ場を確保していました。その後、赤い羽根のひとつを指揮台の後ろに置きました。
「魔法にかけられた13人の王女たちが出現」のところで、「王女の亡霊の登場」の字幕。王女の亡霊(本島美和)が、ひな壇の最後列に白い服で登場。本島はヘッドドレスもつけているので、ウェディングドレスみたいです。体型が細い(ガリガリ)。本島は2022年度まで新国立劇場バレエ団でプリンシパルを務めました(41歳)。階段を下りてきて、音楽は楽しげですが、字幕は「王女の亡霊の悲しみ」。原題の「イワン王子の突然の出現」が、字幕は「男と王女の亡霊が出会う」。「男と王女の亡霊のロンド」では、王女が亡霊だからか、男はつかめませんでしたが、ついにキスしました。
トランペットソロから始まる「夜明け」で、「闇の声」の字幕。「黒い太陽」が天井から降りてきました。プログラムの演出ノートによると、黒い太陽は「悪を表したもの」とのこと。「黒い太陽」(原題は「魔法のカリヨン、カスチェイの版塀の怪物たちの登場、イワンの捕獲」)は、鉄琴が活躍。ミュート付きのトロンボーンから始まる「闇の問いかけ」(原題は「王子とカスチェイの問答」)に続いて、「王女の亡霊のとりなしと懇願」で指揮台の後ろに置かれていた羽根を持ちました。「火の鳥の飛来」では、赤い羽根を持って後ろで踊ります。原題の「カスチェイ一党の地獄の踊り」は、「光と闇の乱舞」。ここはあえてダンサーは登場させずオーケストラのみにして音楽を聴かせる見せ方もうまい。兵庫芸術文化センター管弦楽団のTwitterによると、井上道義の「PACオケの定期演奏会だから、オケをみせる場面が欲しい」としてこだわった演出とのこと。
「子守唄」を経て、原題の「カスチェイの目覚め」は「光と闇」。最後は「昇天そして夜明け」。黒い太陽がなくなって、前半に出てきたライトがまた降りてきました。ラストは男(森山)は、客席の通路を一気に走って消えました。ステージの枠を超えた演出がすばらしい。ホリゾントに夜明けが映り、ステージが明るくなりました。
カーテンコールでは、ひな壇の最後列に、ワーグナーチューバ×4とトランペット×3が登場しました。どこにいたのか分かりませんでしたが、バンダとして舞台裏で演奏していたようです(他には鐘もいたらしい)。横山に呼ばれて、森山が後ろから走ってステージに戻ってきました。森山はなんと49歳には見えないほどの運動量と軽やかな動きです。カーテンコールでの横山の仕草から、指揮台には指揮棒を2本用意していたようです。1本は井田から受け取った指揮棒でしょうか。
横山が本公演の指揮を引き受けてくれたことには感謝です。3日目だけ指揮するというのでは、自分の解釈通りの指揮ができなかったこともあったことでしょう。あやうく休演になるところで、よくこんな仕事を引き受けてくれました。横山奏に拍手。オーケストラ業界でも横山の評価は上がったのではないでしょうか。本公演終了後に更新されたTwitterで、井田と横山は6月16日(金)の1日目の公演終了後に、大阪フィルハーモニー交響楽団第569回定期演奏会を聴きに行って客演指揮したシャルル・デュトワとの食事会で「火の鳥」についていろいろ質問したとのこと。コミュニケーション能力が高い。大阪フィルも寛容ですなぁ。
本公演は井上道義が兵庫芸術文化センター管弦楽団を指揮する最後の定期演奏会だったので、井上が指揮できなくて残念でしたが、井上の思いを受け継いで、横山奏も森山開次もダンサーもオーケストラが見事なパフォーマンスを見せました。なお、ブログ「Blog ~道義より~」は、本公演について【降板】と追記されているだけで、何も書かれていません。
井上道義が次に指揮する演奏会まで少し間が開くので、ゆっくり休んで来月は元気に復帰してほしかったですが、6月30日に、郡山交響楽団第4回公演(2023.7.8 けんしん郡山文化センター中ホール)の降板(本名徹次が一人で指揮)と、「井上道義 ザ・ファイナル・カウントダウン Vol.1~道義×小曽根×大阪フィル ショスタコーヴィチ&チャイコフスキー~」(2023.7.17 ザ・シンフォニーホール)の延期が発表されました。「結石性腎盂腎炎の影響により指揮活動が難しい状態にあり、体調を万全の状態に戻す必要があるため」とのこと。井上は、2014年4月~10月まで咽頭がんの治療で指揮活動を休止しましたが、無事に復帰。2022年6月には新型コロナウイルスに感染したため、九州交響楽団の定期演奏会を延期したことがありました。
京都市交響楽団第678回定期演奏会の後に入院しましたが、東京交響楽団東京オペラシティシリーズ 第133回(2023.6.3)と東京交響楽団第131回新潟定期演奏会(2023.6.4)は予定通り指揮しました。ただし、ブログ「Blog ~道義より~」によると、新潟公演は体調不良でゲネプロなしで臨み、新潟公演終了後にまた入院したとのこと。今年で76歳ですが、ちょっと体調が心配です。兵庫芸術文化センター管弦楽団も最後の定期演奏会出演がこういう形になってしまったので、特別演奏会でもいいので指揮して欲しいですが、難しいでしょうか。
なお、井上と森山開次は、2024年度全国共同オペラ「プッチーニ/歌劇「ラ・ボエーム」」で共演予定です。井上道義「最後のオペラ」で、森山が演出を務め、2024年9月から11月まで全国7都市8公演の予定です。
京都市交響楽団第678回定期演奏会のプレトークによると、ロームシアター京都でも上演されるようです。