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2021年1月9日(土)15:00開演 芦屋市民センター ルナ・ホール 浦壁信二(ピアノ)、大井浩明(ピアノ)、有馬純寿(電子音響) モーツァルト/2台のピアノのためのソナタニ長調 座席:全席指定 2階H列1番 |
演奏会に先立って、13時から講演会が開催されました。場所はルナ・ホールの隣の建物の芦屋市民センター本館。参加費は無料ですが、当日先着50名でした。12時から整理券が配布されたようで、12時半頃に着いたら、整理券番号は23番でした。入場時に検温と消毒と連絡先を記入。自由席でしたが、満席になるほどの入りでした。
講師は川崎弘二。黛敏郎の電子音楽全曲上演会の企画をはじめとして、電子音楽研究の第一人者として知られ、現在は相愛大学音楽学部非常勤講師を務めています。講演は1970年までの現代音楽史を概観する内容で、PowerPointで自著の抜粋などスクリーンに映しながら講演。また、講演で触れた作品の一部をスピーカーから流しました。1時間だったので、やや駆け足でやや早口でしたが、内容が濃い講演でした。
川崎弘二はルナ・ホールの開館と同じ1970年生まれで、幼少期は万博公園の近くに住んでいたとのこと。1970年は大阪万博が開催され、当時の日本の作曲家がほとんど参加した。十二音技法(シェーンベルク)やブーレーズとは違い、シュトックハウゼンは極限までコントロールされた情念によらない音楽を指向した。当時の作品を今聴くと牧歌的に聴こえる 。少年の歌(1956年)は、声も使って5つのスピーカーから再生された。日本初の電子音楽は黛敏郎で、東洋人の感覚を重視した(「葵の上」(1957年)を鑑賞)。ミュージック・コンクリートは、テープに録音された音を素材として作るので、具体を録音し編集して抽象的な音ができあがる。日本のミュージック・コンクリートでは、武満徹のラジオファンタジー「炎」(1955年)が挙げられ、冒頭はバネの録音をテープで引き延ばして再生し、犬の鳴き声は鳥の鳴き声を引き延ばした。 新しい音響体験と新しい時間体験が誕生したが、武満徹はミュージック・コンクリートを批判した。
やがて、電子音楽はメディアイベントやコンサートホールなどで上演されるようになる。黛敏郎の「カンパノロジー・オリンピカ」(1964年)は、東京オリンピックの開会式で天皇が入場したときに流された。シュトックハウゼンの「テレムジーク」(1966年)は5つのスピーカーで流された 。武満徹は「弧」(1963年)で4つのオーケストラを使って空間的な音楽を目指したが、ラジオ放送だったのでうまくいかなかったことを武満本人も認めている。大阪万博の鉄鋼館にはスピーカーが全面に1000個以上あったが、「クロッシング」(1970年)では武満徹はあまりグルグル音を回さなかった。 せんい館では、湯浅譲二などが関わった映像「スペース・プロジェクションのための音楽」が上映された。「お分かりいただけてもお分かりいただけなくても結構でございます」というアナウンスが場内に流れ、来場者をあえて突き放す姿勢が評論家にウケた。 ドイツ館では、すべてシュトックハウゼンの作品だけが演奏された。「短波」(1968年)では、短波ラジオを楽器として使い、世界各国の短波ラジオを受信して、キュイーンという音や人の声を作品にした。 「マントラ」は1969年にシュトックハウゼンがドライブ中に楽想をスケッチして、1970年に大阪で作曲を続け、ドイツで完成された。シュトックハウゼンにとってターニングポイントとなる作品で、1960年代の前衛の総決算が万博だったと言えると結びました。すばらしい講演で、もっと聴きたかったです。
本館とつながっている別館の展示場では、展覧会「1970年のエスプリ 大阪万博とルナ・ホール50周年」が開催されました。入場は無料でした。
「広報あしやで読むルナ・ホール開館」では、芦屋市の広報紙で、ルナ・ホールがどのように取り上げられたかをたどります。
それによると、ルナ・ホールの名前は、公募で準入選一席だった「ムーン」(月)をラテン語の「ルナ」に置き換え、月時代にふさわしいメカニックを備え、ホールの中が月を連想させる黒とシルバーに包まれていることなどからつけられたとのことです。
なお、開館した1970年4月8日に初めて開催された演奏会は「京都市交響楽団祝賀演奏会」で、なんと朝比奈隆が京都市交響楽団を指揮しました。大阪万博のパンフレットの展示や、川崎弘二の講演で触れられた鉄鋼館、せんい館、ドイツ館の紹介展示もありました。
ルナ・ホールは、芦屋市民センターの北隣にあります。検温と消毒をして、チケットの半券は自分で切り、プログラムも自分で取ります。また、連絡先を書いて帰るときに提出するようにとのこと。
ホールの床や階段や壁が真っ黒なのが、かなりユニークです。座席数は662席で、2階席の中央で聴きます。前後左右を1席空けた座席で、4割ほどの入り。ビデオカメラ数台で撮影されました。
演奏する浦壁信二と大井浩明は、デュオを組んで演奏活動をしています。メインは「マントラ」ですが、前半はなぜこの選曲なのか不思議でしたが。後述するように大井浩明が説明しました。
演奏前に大井が解説。「シュトックハウゼンが毎朝3時間大阪で作曲してドイツで完成した。大井の師匠のブルーノ・カニーノが初演し、この作品のスコアには「分からないことはこの人に聞け」ということでカニーノの住所がスコアに書いてある。さまざまな音楽がごった煮になっているが、中核こそがマントラ(真言)と言いたい。シュトックハウゼンが日本をイメージして大阪で書いた曲が、50年ぶりに関西に帰還する」と本公演の意義を語りました。ちなみに、本公演が関西初演で、日本初演がいつかは分かりませんでしたが、最近では2018年の「北とぴあ国際音楽祭2018」で演奏されました(小倉美春、鈴木友裕、向井響)。
さらに、「ウッドブロックが叩かれるが、仏具の木柾(もくしょう)のようなもの。クロタル(アンティーク・シンバル)は音程が指定されていて、仏具の鈴(りん)と同じ音色がする。不規則に叩くのは風鈴の描写かもしれない」と使用する楽器を解説。「座禅して眠くなっているところを描写もある。同音連打で最後にアクセントがつく(だるまさんがころん「だ」のように)。装飾音は演歌のコブシではないか。中盤でずっと同じ音型が続くのは、つくつくぼうしではないか。電子音響によってガムランのような響きがする」と解説しました。
演奏は、第2ピアノの浦壁が立ってウッド・ブロックを叩いて開始。同音連打で何かをぶつぶつ言ったり、2台のピアノがまるで別の曲を演奏しているみたいなまとまりのない部分がありました。片手でピアノを弾きながら、片手でアンティーク・シンバルを叩く曲芸的なテクニックもあり、マレットを持ったままピアノを弾くところもありました。譜めくりがいないので、見た目にも忙しい。
シーンの入れ替わりが激しく、何曲かに分けて、途中で休みがあってもいいように思いますが、連続して演奏することに意味があるのでしょう。松平敬著『シュトックハウゼンのすべて』によると、全曲は13のメイン・セクションに分けられるとのこと。
途中からピアノの残響をスピーカーで作ったり、別のパートがスピーカーから流れたりしました。すごく静かでゆっくりな部分もありました。同じモチーフが何度も繰り返される部分が「つくつくぼうし」というのは納得です。二人でシンバルを弱音で叩くのも確かに風鈴ですね。ピアノの音を電子的に処理して、ガムランのような音色や音程を変えました。電子音楽やスピーカーが使われないことのほうが多く、電子音楽は脇役です。ピアノの強打のあと、キューンという音がスピーカーから音程が上下し、この響きだけでピアノが休符のときもあります。ガチャガチャした電子音がスピーカーから
流れた後、二人とも立ち上がって「よー」という能のような声で歌いました。シンバルを二人で連打した後、第2ピアノが少し演奏して終わりました。50年前の音楽ですが、今聴いても斬新でした。
カーテンコールに続いて、まさかのアンコール。大井が「この機会にやるしかない」と語り、「川崎弘二さんが武満徹についても講演されたので、2021年1月にふさわしい曲を」ということで、武満徹作曲/Corona for Pianists。1962年の作曲で、「コロナとは、ウィルスではなく皆既日食のときに見える冠のこと。図形楽譜になっている」と説明。
さらに、「この曲をシュトックハウゼンの曲と同時演奏したい」ということで、シュトックハウゼン作曲/JAPAN。「1970年の万博の帰りにスリランカで作曲した」と解説しました。詳しくは「来たるべき時のために(Für kommende Zeiten)」(全17曲)の15曲目にあたります。「シュトックハウゼンは1977年から2005年まで日本に来なかったが、その理由は1978年に武満徹が何かしたからだという都市伝説がある。二人の仲はどうだったか」と話しました。
大井浩明が武満徹「Corona for Pianists」を、浦壁がシュトックハウゼン「JAPAN」を演奏。ゆったりしたテンポで、大井は立って演奏。大井は小道具としてコロナビールの空き瓶を持参。この現状を笑いに変えてしまうセンスがすばらしい。コロナビールの空き瓶の底でピアノ弦をこすったり、マレットでピアノの弦を直接叩いたり指で弾いたりしました。シュトックハウゼン「JAPAN」は、この曲のどういうところが日本なのかは分かりませんでしたが、「わびさび」のような空間的な余白を表したのでしょうか。
17:40に終演。2時間半を超える演奏会でした。ホールが開館された当時に作曲された作品を聴くという大変ユニークな企画でした。シュトックハウゼンの作品を聴いたのは、京都市交響楽団創立60周年記念特別演奏会の「グルッペン」以来で、「マントラ」も私のような初心者にはハイレベルな作品でしたが、関連した講演会や展覧会も開催されて、理解が深まりました。
(2021.2.7記)