チャイコフスキー/交響曲第5番&第6番「悲愴」


   
 
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
1971年9月16日〜21日 イエスキリスト協会

チャイコフスキー/交響曲第5番
チャイコフスキー/交響曲第6番「悲愴」


DISKY  HR708262



カラヤンはチャイコフスキーの交響曲を得意したこともあり、第4番以降の後期交響曲は複数回録音しています。
このCDに収録されている演奏は、第5番は、全5回中3回目の録音。「悲愴」は、全7回中5回目の録音に該当します。

この録音は、もともとEMIに録音されましたが、このたびディスキーよりリリースされました(CDジャケットにEMIよりライセンス契約を得ている旨の記載有り)。今回のリリースに際して、アビーロードスタジオでリマスタリングが行われているようです。
それにしても、EMIはどうしてこの録音を外部に「放出」することにしたのでしょうか?アビーロードスタジオは、EMIからリリースされている「art(アビー・ロード・テクノロジー)シリーズ」で使用しているスタジオと同じです。EMIはなぜこの録音を「artシリーズ」でリリースしなかったのでしょうか? もうカラヤンはドル箱にはならなくなったのでしょうか?
今回のリリースの経緯については、謎めいた部分も少し残ります。

リマスタリングの特徴は、EMI盤を未聴のため、あまり断定的なことは書けませんが、ひとつには、残響音がかなり多めに収録されていることが挙げられます。音像が遠く細部の音型が少しボケた印象を受けました。ベルリンフィルの威力がやや分散されてしまい、突き抜ける力が失せたと言えます。
さらに、弦楽器は弓で弦をこする音が生々しく聞こえます。気になる人は気になるでしょう。
低音がくっきり浮かびすぎるなど人工的な要素も感じ取れますが、全体的には、演奏の特徴に沿ったリマスタリングと言えるでしょう。

さて、演奏ですが、晩年に録音されたウィーンフィルとのカラヤン最後の録音(1984年)との聴きくらべを含めて述べたいと思います。
総論的なことを先に述べると、両者には13年のタイムスパンがあるため、当然のことながら、演奏内容は大きく異なっています。1984年盤は、スコアに書かれている音を「カラヤン美学」によって取捨選択し、自分の音楽に再構築しているのに対して、1971年盤は、スコアに書かれている音をそのまま響かせることに重きが置かれていると言えるでしょう。

第5番は、カラヤンにしては情熱的な演奏が展開されています。この作品のこんなに激しい演奏は初めて聴きました。
ベルリンフィルの力強さを前面に出した演奏で、ロシアのオケを思わせる切れ味の鋭さなどが聴きものです。
スコアを純粋に鳴らしきっており、情報量の多い演奏だと言えます。全体的にホルンが非常によく聞こえます。これはアナログ時代の録音の特徴ですね。
ところどころで、弦のアーティキュレーションや管の付点音符のリズムに乱れが散見されます。緻密に仕上げたというよりは、勢いに任せた部分も見受けられますが、いずれにせよ、ベルリンフィルの突進力はすさまじいものがあります。

「悲愴」は、チェリビダッケ盤を聴いて以降、どの演奏を聴いてもテンポが速く感じてしまうから困ったものですが、テンポ設定には爽快感を感じました。
第5番と同様にダイナミックな演奏が聴けますが、カラヤンはなんと第3楽章でスコアの音を変えているではないですか。これはスコアを見て知ったのですが、229小節、239小節、283小節、293小節(行進曲の部分)のトランペットにヴァイオリンと同じ主旋律を吹かせています。カラヤンはよほどこの旋律がお気に入りだったのでしょう。
ちなみに1984年盤ではスコア通りに戻っています。他の演奏ではどうなっているのでしょうか? また調べてみます。
カラヤンはあまりスコアを改変しないというイメージがあったので、なかなか衝撃的でした。

一方、1984年盤では、ダイナミクスは年齢のせいか明らかに減退しており、響きの密度も薄くなっています。この1971年盤を聴いた後では、迫力不足というか少し物足りない感じがしました。
ただし、全体を通じて枯れた味わいや透明感などに魅力を感じます。個々のパッセージも丸みを帯びています。これはオケがウィーンフィルに変わったことが大きな原因でしょう。

カラヤンが指揮したチャイコフスキーの交響曲は、もっぱら晩年の録音が取り上げられますが、この壮年期の録音も違った魅力があります。
カラヤンのチャイコフスキー再評価につながるCDと言えるのではないでしょうか。

余談:ジャケットが陳腐すぎる! 最低でも録音データくらいは載せてほしいものです。


(2002.8.19記)