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2008年6月6日(金)19:00開演 京都コンサートホール大ホール 高関健指揮/京都市交響楽団 メンデルスゾーン/交響曲第4番「イタリア」(1833/34年稿) 座席:S席 3階 C−3列13番 |
高関健が7年ぶりに京響自主公演に登場しました。高関の指揮は京都市交響楽団練習風景公開を見て興味を持っていました。客の入りは6割程度。現代作品がプログラムに組まれている演奏会は、客の入りが悪いですね。
開演に先立ってプレトーク。高関健がマイクを持って正装で登場。高関は「演奏を目前にして話すのはいかに酷か、事務局は分かっていない」と言って聴衆を笑わせました。「プログラムの(小味渕彦之氏の)解説がとてもいい解説なので、しゃべることがない」と言いながらトークをはじめました。今回のプログラムのようにあまり演奏頻度が高くない作品では、演奏前のプレトークでの解説は効果的でしょう。高関の話は専門的で詳しい解説で楽しめました。プレトークで話された各曲の解説は後述します。
オーケストラの配置は対向配置でした。京響の定期で対向配置は珍しい。京都市交響楽団練習風景公開でのショスタコーヴィチ作曲/交響曲第5番では通常配置だったので、高関健が今日のプログラムにあわせて対向配置を選択したのでしょう。
プログラム1曲目は、メンデルスゾーン作曲/交響曲第4番「イタリア」(1833/34年稿)。通常演奏される1833年の初演稿ではなく、珍しい1833/34年稿での演奏です。メンデルスゾーンは初演後に第2楽章以降を書き直しました。その際、初演稿の自筆譜はロンドンに置いて来たため、記憶をもとに書き直しています。高関は「旋律線が少し違っている」「第4楽章のコーダに入る前の展開部が長くなっている」と紹介しました。高関曰く、すでに何人かの指揮者が日本で演奏しているので、今回が日本初演ではないとのこと。
1833/34年稿を聴いたのは今回が初めてでした。第1楽章は初演稿と変更ありませんが、第2楽章は第1主題の旋律が変更されています。フルートの変な対旋律が加わったりします。第2主題もずいぶん違って曲想を一変させるほどです。第3楽章もすぐ分かるほど主旋律が違います。第4楽章もびっくりするほど違いますが、初演稿での緊密なテンポや構成が1833/34年稿では崩れてしまっています。なお、改訂の詳細は、音楽之友社刊のポケット・スコアに掲載されている星野宏美氏の「交響曲第4番」(通称「イタリア」)の成立と改訂」に書かれていて、参考になります。
初演稿と1833/34年稿は、誰が聴いても分かるほど違います。どちらか好きかと聞かれたら、私は迷わず初演稿と答えます。この作品の出版が初演稿をもとに行なわれたことに感謝したいです。1833/34年稿のほうが音楽的に優れているとは思えません。高関は1833/34年稿を取り上げた理由をプレトークでは述べませんでしたが、1833/34年稿を高く評価しているのでしょうか。
演奏はもう少し明るい色彩感が欲しいです。また、管楽器はもうちょっと大きな音量で演奏して欲しいです。味気なく聴こえました。高関は拍を大きくしっかり振りました。スコアは初演稿と変更がない第1楽章は開けませんでしたが、第2楽章以降はめくりながら指揮しました。
プログラム2曲目は、バルトーク作曲/ヴァイオリン協奏曲第2番。ヴァイオリン独奏は27歳の松山冴花。高関はプレトークで、「バルトークで一番充実した作品」「大好きな作品」と話しました。ヴァイオリンを専攻していた高関は、卒業試験で第1楽章を弾いたことがあるとのことで、初演(セーケイ、メンゲルベルク指揮/アムステルダム・コンセルトヘボウ管)の録音は勉強になると話しました。また「この作品では音程関係が非常に大事」と語り、オネゲルのために置かれたピアノを弾きながら、作品を解説しました。「調性はロ長調でもロ短調でもないロ調」「4度と5度という音程関係が非常に大切にされている」「綿密な音程関係で書かれている」と話しました。また「第3楽章は第1楽章と同じテーマを変奏しているので、3楽章でABAという対称的な構成になっている」「第2楽章はそのものが変奏曲になっていて、主題と6つの変奏でラストに主題が再現される。作品全体では第1楽章と第3楽章での第1アーチと第2楽章内での第2アーチという2つのアーチ構造になっている」と話しました。
松山の立ち位置を確保するために、指揮台が90度回転されました。松山が赤色のドレスで登場。松山のヴァイオリンは強いボウリングではっきり弾かれました。若さを感じない堂々とした演奏でした。ただし、遅いテンポで演奏される第2楽章は、ヴァイオリン独奏による旋律が途切れがちになったのが残念。ニューヨーク在住なので聴く機会はあまり多くないかもしれませんが、他の作品の演奏も聴きたいです。
オーケストラは松山に少し遠慮しているところがあるのか、タッチがやさしすぎ。金管楽器のトリルなどもっとシャープで鋭角的に演奏して欲しいです。松山のヴァイオリンに比べると、音のスピードが遅くて鈍く感じられました。松山のヴァイオリンはじゅうぶん音量が大きいので、オーケストラはもっと鳴らして欲しいです。
30分を超える作品なので、演奏者のスタミナも大変です。第3楽章はテンポの変化が激しく、いろんな要素を盛り込みすぎです。演奏するほうも聴くほうもなかなか大変な曲です。
休憩後のプログラム3曲目は、オネゲル作曲/交響曲第3番「礼拝」。「典礼風」とも訳されることもあります。高関のプレトークによれば、直訳すると「儀式的」という意味で、キリスト教の儀式の言葉に則って全3楽章に題がついているとのこと。高関は「不協和音が多用されているが、第2楽章は救いを求めるようなすばらしい曲。第3楽章は葬送行進曲的なもので、第2次世界大戦後の不安を予感させている」と語りました。
全曲をじっくり聴いたのは今回が初めてですが、細かな音符が続いてゴチャゴチャしていていて親しみにくい。一聴しただけでは分かりませんでした。演奏も弦楽器と管楽器が分離して聴こえてバランスが悪いです。金管楽器がうるさく主旋律が聴こえない部分がありました。高関健は楽譜を分析的に聴かせる指揮者なので、こういう作品には向かないかもしれません。
第1楽章「怒りの日」は、グレゴリオ聖歌からの引用はなく、すべてオネゲルが作曲しています。第2楽章「深き淵よりわれ叫びぬ」に続いて、第3楽章「われらに平和を与え給え」では、中盤から盛り上がってものすごい轟音に発展。その後のピッコロの旋律が美しく、心が洗われました。
カーテンコールの後、高関がマイクを持って挨拶。コンサートマスターのグレブ・ニキティンが6月末で退団するので、今日が最後の定期演奏会になるとのこと。パンフレットにも記載されていましたが、突然の退団でびっくりです。京響の顔になりつつあったのに残念です。団員から超特大の花束が渡され、客席から大きな拍手が送られました。
(2008.6.16記)