京都市交響楽団第467回定期演奏会


   
      
2004年8月28日(土)18:00開演
京都コンサートホール大ホール

広上淳一指揮/京都市交響楽団
米元響子(ヴァイオリン)

ショスタコーヴィチ/交響詩「十月革命」
チャイコフスキー/ヴァイオリン協奏曲
ショスタコーヴィチ/交響曲第6番

座席:S席 1階 18列25番


私が注目している指揮者、広上淳一が京響定期に初登場です。京響定期の土曜公演はここ数年ではなかったことですが、今年度は3回もあります。土曜なのと女性ヴァイオリニストが出演するということで、客の入りは8割程度。そこそこ埋まってました。
広上淳一が登場。前回の大阪フィルハーモニー交響楽団第9シンフォニーの夕べで見たときよりも、丸刈りに近い髪形になっていて風格が出ました。

プログラム1曲目は、ショスタコーヴィチ作曲/交響詩「十月革命」。ショスタコーヴィチ唯一の交響詩です。最初の数小節を聴いただけで、目が覚めました。いつもの京響とは明らかに違う演奏でした。表情が生き生きとしていて、どの楽器も心地よい鳴り方をしています。特に京響のトランペットとトロンボーンはこんなに鳴るという事実を初めて知りました。しかも無理なくきれいな音色で鳴っていました。打楽器のスピード感や躍動感も申し分なし。広上はいつものように全身を使った指揮で、音量やバランスを明確に整理して、ショスタコーヴィチらしい重い音色を引き出していました。1曲目からこの完成度というのはすごいです。

プログラム2曲目は、チャイコフスキー作曲/ヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏は20歳の米元響子。白のドレスで登場。米元のヴァイオリンは、あまり音量は大きくありませんが、適度にしっとりとした音色。丁寧な演奏で、演奏が荒れることもなく、高音で音色がきつくなることもありません。第3楽章の速いパッセージもきちんと弾き切っていました。全体的に気持ちよさそうに演奏していたのが印象的でしたが、これも広上の伴奏がいいからでしょう。
広上の伴奏は、前曲と同様に表情豊かでオーケストラを歌わせていました。第2楽章でゆっくりしたテンポの中でアゴーギグを操作したり、第3楽章でファゴットの対旋律を強めに出すなど広上らしさが聴けました。いずれもヴァイオリンソロを邪魔するものではなく、むしろソロを積極的に盛りたてるサポートを見せました。
演奏終了後は、米元は万雷の拍手を浴びました。いくつかミスがあったものの、正確な技術と美しい音色が気に入りました。ただ、もっとヴァイオリンを歌わせて、感情移入のある演奏を聴きたいですね。今後の活躍に大きな期待を持てるヴァイオリニストです。

休憩後のプログラム3曲目は、ショスタコーヴィチ作曲/交響曲第6番。ショスタコーヴィチの交響曲では演奏頻度は少なく渋い作品です。演奏の完成度はさらに上がって、音の密度が濃くなりました。京響の弦楽器からここまで透明感のあるみずみずしい響きが聴こえるとは本当に驚きです。広上の指揮は、作曲家がスコアで書いたことをじゅうぶん理解し、楽器間の旋律の受け渡しなどは演奏者だけでなく観客にも視覚的に分からせてくれます。強奏でもちゃんと整理が行き届いていて、雑然とすることはありません。どこをとっても音楽的。全体的に室内楽的な作品ですが、木管楽器のソロはいずれもハイレベルな演奏でした。
ただし、この作品はあまり一般受けする作品ではないので、この選曲は損をしたかもしれません。非常に難解な作品だということをそのまま聴かせてくれましたが、広上が指揮するにはもったいないように感じました。ただ、京響にとってはいいトレーニングになったと思います。

広上淳一は、都響プロムナードコンサートNo.305での代役指揮を思い起こさせるすばらしい演奏を聴かせました。短期間で京響の演奏水準や音色をここまで変えるとは驚きです。歌いこませることについては天才的な能力を持っていると思います。東京音楽大学教授の肩書きを持っているので、活動する時期が限定されてしまうのが残念ですが、京響も定期的に指揮台に招いて欲しいです。彼が指揮する演奏会を追っかけするだけの魅力がある指揮者です。

京都市交響楽団は、いつもならピッチが不安定だったとか、縦線が合っていなかったとか演奏技術のミスをいろいろ指摘したくなるのですが、京響もやればできるのだと思いました。いい演奏は指揮者次第ということを実感させられた演奏会でした。土曜公演も大成功だったように思います。これからも続けて欲しいです。

(2004.8.29記)




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