東京フィルハーモニー交響楽団京都公演


   
      
2004年7月9日(金)19:00開演
京都コンサートホール大ホール

チョン・ミョンフン指揮/東京フィルハーモニー交響楽団
キャサリン・ストット&小川典子(ピアノデュオ)

ワーグナー/楽劇「トリスタンとイゾルデ」“前奏曲と愛の死”
G.フィトキン/サーキット〜2台のピアノと管弦楽のための
R.シュトラウス/交響詩「英雄の生涯」

座席:S席 3階 C−2列20番


昨年末の「第九」特別演奏会で熱演を聴かせてくれたチョン・ミョンフンと東京フィルが京都に来てくれました。客席は6割程度の入り。

プログラムは、2日前に行われた第692回定期演奏会(サントリーホール)と同じものでした。プログラム1曲目は、ワーグナー作曲/楽劇「トリスタンとイゾルデ」“前奏曲と愛の死”。ワーグナーは私が苦手とする作曲家なので、作品を聴くこと自体がひさしぶりでした。大編成での演奏で、「前奏曲」はゆったりとしたテンポで進められました。延ばしの音符は控えめで、あまり濃厚な表現は聴かれません。少しあっさりしすぎているように感じました。弦楽器はもっと音量があってよいでしょう。「愛の死」も少し雑然とした演奏で、もっと楽器の音色がブレンドして欲しいです。濃厚で暑苦しい、やかましい演奏が私には合うようです。そもそも演奏会の1曲目に演奏する作品なのか少し疑問です。

プログラム2曲目は、G.フィトキン作曲/サーキット〜2台のピアノと管弦楽のための。ピアノデュオはキャサリン・ストット小川典子。第692回定期演奏会で日本初演されました。グラハム・フィトキンは、1963年生まれのイギリスの作曲家。サーキットはBBCの委嘱作品で、2003年に初演されました。ピアノは向かい合うように置かれ、向かって左のピアノにストット、右に小川が座りました。オーケストラは中編成での演奏となりました。単一楽章の作品で、全体的な雰囲気は、誤解を恐れずに言えばストラヴィンスキーの後期の作品、特に「兵士の物語」に似た部分がありました。また、ジャズの要素が感じられる部分もありました。作品は、まずピアノ2台が同音をひたすら連打。たまにアクセントを効かせました。オーケストラ(特にヴィブラートなしの弦楽器)が合いの手を入れていきます。とにかく反復が多い作品で、繰り返しながら音量を増していき盛り上がる、その繰り返しです。変拍子がかなりややこしいようで、チョンも拍通り振るだけ。リズムが楽しめればいいのですが、必要以上にリズムが複雑すぎるのか演奏者にあまり余裕が感じられません。残念ながら、ややこしい作品としか聴けませんでした。アーティキュレーションがやや不明確だったように感じます。作品も多くの素材を同時に登場させすぎて、ごちゃごちゃしてしまっているのがマイナスです。
演奏終了後に、作曲者フィトキンが客席からステージに上がり拍手を受けていました。イギリスではこういう作品が評価されるのかもしれませんが、あまり日本人受けする作品ではないように感じました。なぜピアノが2台必要なのかもよく分かりませんでした。1台のほうがすっきりした作品になると思います。

休憩後のプログラム3曲目は、R.シュトラウス作曲/交響詩「英雄の生涯」。チョン・ミョンフンは、指揮台に上ってから演奏を始めるまでに間を作るのが常ですが、この作品では珍しく拍手を受けて振り返りざまにすぐに指揮棒を下ろしました。全体的に速めのテンポでキビキビと進められました。また、細部を強めに出して密度の濃い演奏を聴かせました。「英雄」は、アクセントを効かせてくっきりとした輪郭を作っていました。「英雄の伴侶」ではヴァイオリンソロが勢いのある演奏。「英雄の戦い」は、打楽器と金管楽器がすごい迫力。こんな激しい演奏は初めてかもしれません。打楽器が歯切れよい音型を聴かせました。また、テューバ2本が大健闘。よく聴こえて荒々しい演奏となりました。「英雄の隠遁と完成」は、音に生気があるので、引退というよりは回想レベルでの演奏。まだまだ若々しい英雄のイメージでした。この作品は弱奏も強奏もあり、全曲を完璧に演奏するのは難しいと感じました。細部でミスが見られ、完成度はあまり高くありませんでした。それらを差し引いても平均点以上の演奏だったと思うのですが、感動はそれほどでもありませんでした。私はこの作品があまり好きではないのかもしれません。

今回の演奏会は、昨年末の「第九」の演奏には及びませんでした。期待値が高かったのかもしれません。今回の3作品は、私がさほど好きな作品ではなかったので、演奏会を選ぶ基準としてやはり演奏曲目は重要だと認識しました。

(2004.7.12記)




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