みんなで創る講演会「亀田誠治への挑戦状'2010 〜君の声が亀田に届く〜」


   
      
2010年11月28日(日)14:00開演
同志社大学室町キャンパス寒梅館ハーディーホール

亀田誠治、宮本貴依子

座席:自由


東京事変の亀田誠治が単身で、同志社大学学園祭の講演会企画に出演しました。タイトルは「みんなで創る講演会「亀田誠治への挑戦状'2010 〜君の声が亀田に届く〜」。主催は、第135回同志社大学全学EVE実行委員会企画局。

入場はなんと無料。整理券は当日の朝10:00から配布するとのこと。第135回同志社EVEのホームページには「整理券は抽選形式で配布します。必ずしも早くから並べばよい席が取れるわけではありません。なので、徹夜での順番待ちなどはご遠慮ください。」と掲載されていましたが、やはり気になるので早めに現地へ。タクシーを乗りつけて9:20頃に到着。寒梅館中庭前にすでに行列ができていました。「同志社生」と「一般」に分かれてすでに100人くらい並んでいましたが、同志社生よりも一般の人数が圧倒的に多い。10:00から先着順に整理券を配布。「抽選形式で配布」とされていましたが、配布時点では抽選は行なわず並んだ順番に配っていました。当日掲示された案内には「必ずしも整理券があれば入場できるわけではありません。」とあるものの、整理券の裏面には「本券1枚につき3名様までの入場が可能となります」と書かれていました。ちょっと対応に一貫性がありませんでしたが、どれだけの人が集まるのか予測できなかったからでしょう。最大で200人くらいが並びましたが、行列はすぐに解消しました。
開場までの時間は、今出川キャンパスで行なわれている学園祭を見学したり、寒梅館1階にあるカフェレストラン「Hamac de Paradis(アマーク・ド・パラディ)寒梅館」で昼食をとったりして過ごしました。

13:20に中庭に再集合。整理券番号によってブロック分けされていました。13:30に開場。ハーディーホール入口で整理券を渡します。入口で「挑戦状」と書かれた紙を受け取りました。「今宵、亀田誠治に一言物申す!」と書かれていて、下欄は自由記述となっていました。昼間なのに「今宵」と書いてある理由はよく分かりませんでした。
同志社生と一般は入場口が異なり、同志社生は地下1階、一般は1階に入場しました。ホール内も座席に区分けがされていて、ステージ前の同志社生のブロックには、一般は入ることができませんでした。同志社大学の学園祭なので当たり前ですが、それでも1階のかなり前方の席に座ることができました。
ハーディーホールの座席数は850席。開演までに一般席はほぼ埋まりました。

開演までの間、ステージ後方のスクリーンには、亀田誠治がプロデュースを手がけたアーティストのCDジャケットが次々に映し出されました。もちろん椎名林檎と東京事変のCDも登場しました。また、BGMも亀田誠治が手がけたアーティストの作品でした。

ステージが暗くなって開演。スクリーンにCDジャケットと音楽からなる短いビデオが上映されました。講演会タイトルが現われた後、ステージが明るくなり、亀田誠治が登場。黒のジーパンに、白いシャツ、黒いジャケットでした。ちょいヒゲで、脚はほっそりしています。亀田が「今日はざっくばらんに何でもお答えしようと思って来ました」と挨拶。「一人では不安なので、お手伝いいただく方を紹介します」と話して、宮本貴依子が登場。学園祭パンフレットを見たところ、同志社大学全学EVE実行委員会におられる同志社学生のようです。ステージ中央にイスがあり、左側に宮本、右側に亀田が座りました。宮本から進行について説明。第1部は、事前に学園祭のモバイルサイトで受け付けた質問に亀田誠治が答える形式。亀田も宮本もどのような質問があるか事前に内容は知らされていないとのこと。亀田が「ライブですから楽しみましょう」と一言。
亀田が自ら抽選箱を引きます。「トカゲとか入ってないよね」と言って笑わせました。抽選箱から引いた紙に書かれた番号を亀田が読み上げると、質問がスクリーンに映ります。回答時間は3〜5分と決められているようで、亀田誠治は簡潔に答えていきました。

最初の質問は、「パフォーマンスの向上に必要なものは?」。亀田は「いきなりライヴで100点は難しい。準備期間が要る。まぐれで100点はできない。毎日毎日の積み重ね。反省を繰り返してパフォーマンスがよくなる。そのためには、人の意見を素直に聞くのが大事」。今年春の「東京事変 live tour 2010 ウルトラC」を例に挙げて、「演奏の途中で、メンバーのトークや写真を紹介する「和気藹々コーナー」を最初の10ヶ所では設けていた。福岡公演が終わって、福岡から大分に向かう特急ソニックの中で(鉄っちゃんなのでよく覚えているとのこと)、「おちゃらけたトークは何だろう」ということになり、話し合った結果「ここから先は音楽だけで勝負しようよ」となった。パフォーマンスが向上した手応えがあった。」と話しました。私が行った大阪公演ではメンバーのMCがほとんどなく、演奏がメインのステージでしたが、裏話を聞けてよかったです。
続いて「どんなアーティストが誕生することを望むか?」の質問に対しては、「今までにないアーティストがうれしい。経験と音楽が交わったときに、すごい化学反応を起こす」「椎名林檎の音楽はなかなかなかった。突然変異で登場した。これは今までにないアーティストと確信した。当時は「洋楽に追いつけ追い越せ」だったが、椎名林檎はノージャンルだった。新しいアーティストだった」と話しました。
続いては「事変のメンバーはプライベートで仲良しですか?」。亀田は「いい質問」と反応。「非常に仲がいい。お互い尊重している」と話しました。「メンバーの中で僕だけひとまわり以上年上だけど、年の差を感じない。常にフラット。音楽性・人間性を尊重しあっている。相手の答えに心を開いている。本質的にクリエーターとして絆でつながっている。僕にとって特別なもの」。札幌に行ったときはみんなで行きつけのカラオケに行く。亀田は夜が弱いので途中でフェードアウトして帰るとのこと。
「ベースを演奏していて迷ったことは?」の質問には、「100%満足できる演奏はない。毎回悔しい。一発撮りでうまくいったときは、1年の運を使い果たした気になる」「ベースはやればやるほど、何枚も扉が開く。出口がない」。アドバイスとして「とにかく練習。リズムに自信が持てると、安定したプレイができる」「誰かと一緒に練習すること。ドラムなど人とあわせて合奏する。他の楽器に貢献するように」。
「ベースを選んだ理由は?」には、「小5でビートルズの「赤盤」「青盤」をギターでベースラインを弾いた。そのときからベースが好き」とべースとの出会いを話しました。「でも、両親や親戚にベースを説明するのが難しい。崎谷健次郎(さきやけんじろう)のライヴ(中野サンプラザ)のバックで初めてベースを弾いたが、父には「何をやっているか分からん。ギターに転向しろ」と言われた」とデビューのエピソードを紹介。「ベースを一言で言うと、体の一部。人生で一番触れ合っているものはベースの弦」と答えました。
続いて引いた番号が「66」か「99」か見分けられなくて、亀田が「これないよね。どっち?」と一言。「音楽で食べていける自信はありましたか?」の質問には、「中学生のときからプロミュージシャンになりたかった。迷いはなかった。絶対にプロになると思っていた」「中学(15歳)の卒業文集に、「10年後に武道館で会おうな」と書いていた。実際は39歳で初武道館。東京事変の前身の「雙六エクスタシー」で初めて立った。それぐらいかかっても夢はかなった。夢を持ち続けることが大事。あきらめず進み続けること」と話しました。「音楽にまつわる仕事なら何でもいいという気持ちがあった」とも話し、コカ・コーラのバイトをしていたと明かしました。桑田佳祐もやっていたらしい。
「家族の反対はありませんでしたか?」の質問には、「むちゃくちゃありました」と即答。「大学に進学しないと決めていたが、厳しい父親に「人の心を動かす前に、大学で学んで日本の経済を動かしてみろ」と言われた」「早稲田大学に進学したが、ベース中毒で、部屋に引きこもって1日10時間くらい弾いていた。パン食うかベース弾くかのどちらか。結局1年から2年で留年した。留年したクラスで仲良くなって人気者になった」「5年で卒業したが、ラストは体育だけ1年残った」と大学時代を紹介。「学生はモラトリアムでもいいと思っている。大事な友達に出会えてよかった」と話しました。
「ブリブリベースとズンズンベース、どちらが好みですか?」という珍問に、場内は大爆笑。亀田は「ブリブリベースは中音域に集中して暴れている、ズンズンベースは重低音が効いて足の下で弾くようなベースなのかな」と質問の意味を解釈。「どっちでも好きなので、ブリズンベース」と答えて、すぐに次の質問へ。
「演奏と制作で違う点は?」には、「プロデューサーとベーシストは、音楽家としてはひとつにつながっている。まったく同じ感覚で接している。境目がない。演奏しながらでも客観性は失われない、全部の音が聴こえる。演奏とプロデュースは一体化している」と話しました。
「メンバーのおもしろ話やハプニングは?」の質問には、「みんなプライベートを知りたがるんだねえ」と話し、「おととい(11月25日)椎名林檎さんの誕生日パーティーをした。メンバーもスタッフもみんな集まった。みんなプレゼントを持っていくので、学校みたいな付き合い」と話しました。「禁煙してた人が復活した。わっち(伊澤一葉)が爆煙で吸ってる」。亀田は「セブンスターを1日3箱吸ってたけど、3年半禁煙中」と話しました。また、「椎名林檎が「EMI ROCKS」の透明人間で歌詞を間違った。2番なのに3番を歌った。恥ずかしそうに旗で顔を隠した。気分がよくて魔が差したらしい」と話しました。ちなみに椎名林檎は歌詞を間違えても「ケロッとしている。落ち込んだりしない」と話しました。
「夫や父としてはどのような顔?」の質問には、「外では元気だけど、家ではややぐったり」「休みの日にはサッカーをする。あと子供の塾の送り迎えとか」「顔は穏やかです」「1年に2回ほどパパが雷を落とす。ウソをついたときと言い訳をしたとき。怒るとものすごく怖い。外では見せたことない怖さ」と話しました。「上の子の受験で面接があった。モヒカン刈りをやめて臨んだ。子は「厳しい父ですが、尊敬しています」と答えた」と話しました。
「バンドにベースがいません。メンバーに入っていただけませんか?」という珍質問に場内は大爆笑。亀田は「僕でよければ…」と答えました。同様の依頼が多く、ツアースケジュールなどが手紙で送られてくることもあるようです。もちろん断っているようですが、声がかかることは「うれしいですね」と話しました。
「注目しているベーシストやバンドは?」の質問に、「むつかしいぞー」と一言。「ベースだけで音楽を聴くスタンスではない」と話しました。少し考えた後、「ベースラインが面白いのは…、東京事変」と答えて、場内は拍手。「自分以外はみんなうまく感じちゃう。いろんな方から刺激受ける」と話して、「フロッグ(FROG)の沖井(礼二)くん。歌いながらあれだけ弾ける。かっこいい」「ライズ(RIZE)のケンケン(KenKen=金子賢輔)」と2人の名前を挙げました。自分は「まだまだ修業の身」と謙遜していました。
「ベースを始めるきっかけは?」は重複する質問。「自転車に乗るように始めた」「ベースは自分に合ってる」「バンドをしても女の子にモテることはまずない。「イケメン」や「かわいい」の階層が上にある」と話して笑わせました。
「メンバーはどれほど練習しているか?」の質問には、「刄田くんはものすごく練習する。音の出ないドラムで本番前まで練習する」「わっち(伊澤一葉)は楽屋でピアノを弾く」「浮雲は自由人。練習してるところは見せない。ギターらしくないフレーズを弾くギタリスト。景色が変わる感じ」。亀田誠治は「高校から大学は1日10時間くらい猛練。28歳から29歳くらいには、毎朝2時間くらい。α波が出て無意識にやるのがいいらしい。リズムに自信が出た」「今は現場で弾くことが多い。ハードな練習はしていない」「基礎練習が大事。コピーという練習はしない。スケール練習をテンポを変えて弾く」。
「黒猫堂(椎名林檎の所属事務所)で働くにはどうしたらいいか?」の質問には、「猫柳本線に直接お声がけすれば」とアドバイス。「自分から飛び込むことが大事」と話し、椎名林檎のヘアメイクを担当していたなっちゃんの話。「椎名林檎のシングル「罪と罰」のジャケット写真を見て「このメイクはすごい!」と感じた。東芝EMIに電話してメイクのこにたん(小西神士)の連絡先を聞いて、自分から連絡した。アシスタントになったとのこと。
「事変の好きな曲は?」の質問には、「いっぱいあるけど」と話して考え込みました。「(客席の)沈黙が怖いね」と話した後、「次に出る曲!」と爆弾発言。客席からは「おー!」という声が漏れました。「全曲好きです」とフォロー。
「そろそろ休憩しませんか?」とスクリーンに表示されて休憩に。休憩時間中に「挑戦状」が回収されました。

第2部は、客席から回収した挑戦状が入った箱を亀田誠治が引き、宮本が質問を読み上げて進行。
最初の質問は「建築家になりたいと思っているが、どういうライブハウスがいいか?」。亀田は「具体的な夢ですね。距離間が近く感じられるホールがいいな。空気の振動がくまなく伝わるといい」と答えました。この質問を提出した女の子が感極まって泣いていました。
「どうしたら便秘が治りますか?」という突拍子もない質問。「僕は快便なので分からないなあ。詰まったことはない。お医者さんと相談してください」。
「次の曲のアイデアを教えてください」の質問には、「教えられないよ、秘密」ときっぱり。
「どのメーカーのベースが好きですか?」の質問には、「66年製のジャズベースを使っていて、育ててもらった」「今年の春のツアーから、ヤマハに作ってもらった亀田モデル。何回もダメ出しして作ってもらった」「楽器はパートナー。自分で弾いて愛する楽器を探そう」とアドバイス。
次の質問は「森亀橋(もりかめばし)の再始動を待っています。プロデューサー同士が連携する意義は?」。森亀橋とは、森俊之(key)、亀田誠治(b)、佐橋佳幸(g)のコラボレーション。「4〜5年前に大阪城ホールでライヴした」と紹介。「プロデューサー同士のつき合い多い。小林武史さんとか。プロデューサーが育てたアーティスト同士の広がりもある」「ケミストリーのプロデューサーのKC松尾潔など、必ずしも(楽器を)実演するアーティストばかりではない」と話しました。
「どういう女の人が魅力的か?」の質問には、「やさしい人がいいなあ。おだててくれる人がいい」「自分の奥さんが総合的ではダントツに優れているという自信を持っている」と話し、客席は感嘆。
「東京事変のメンバーを一言で表すと?」には、「浮雲は自由。雲です」「わっちはストイック。現代のモーツァルト。常に曲を書いてる」「刄田は自然人。木に登ったりバック転したり」「椎名さんは唯一無二の存在。お互い刺激できる。14年来のつきあいで、こんなに長いつきあいのアーティストはいない」と話しました。
「フジファブリックの志村さんの印象は?」には、「すばらしい才能亡くした。残念」「シャイだけれども人なつっこい」「シムシムは音楽を作るために生まれてきた少年」「2曲一緒に作った。「Sugar!!」は心の底から向き合えた」と話しました。
「メガネのメーカーは?」の質問には、「今日のはブルガリ」「同じものを使う」「フレームは3〜4万円」「レンズは金かけてるよ。傷がつかないコーティングしてある」。意外に高価でびっくり。
「リスクのある夢を追い続けることはつらくないか?」の質問には、「いろんなことが人生には起こる」「リスクと決めつけない。チャンスかもしれない。ローマは1日にしてならず。友達に相談しよう」。
「曲を作るときに天とつながっていると感じるか?」の質問は、「ずーっと考えているとどこからか降ってきます。考え続ける時間が大事」。
「「けいおん!」のベース秋山澪(あきやまみお)はプロの目から見てどう思うか?」の質問には、「ベースだけを取り上げるのは難しい。左利きのベースという発想は好き。総合的なアミューズメントとして考えたほうがいい」。
「音楽以外で何にはまっているか?」の質問には、「寝ても覚めても音楽。疲れたり飽きたりしない」「音楽でもいろんな関わりができてる。つまらない人間です」と謙遜。
「椎名林檎と共演するにはどうしたらいいか?」の質問には、「音楽面か技術面か音楽家になるかのどれか。音楽面なら音響さんとか、技術面ならマネジメント、メイク、スタイリスト、カメラマン」「血縁で近づいて親戚になる手もある」と言って笑わせました。「好きな人を思い続けることが近道」「腱鞘炎になったとき、レントゲンの技士に「大ファンなんです」と言われた。そんな出会いもある」。
「音楽以外の道に進んでいたら何をしていたか?」の質問には、「都市計画が好き。地図に高速道路や地下鉄を引く。混雑を緩和させたり、緑を増やしたり。東京は完璧に頭に入っている。地下鉄南北線はできる前に構想した。地下鉄の時刻表も作る」と興奮気味に話しました。他には「FMカメダという架空のラジオ局でリスナーとDJを一人でやってた」と紹介。
「お茶をプロデュースしてください」という依頼には、「お茶をブレンドして欲しいってことかな。おもしろそう。でも急には無理。やるんだったら中身まで吟味したものを作りたい」。
「仕事に就くにはどうしたらいか?」の質問には、「自分の夢に向かって続けること」「ノーギャラの仕事でも一生懸命した。人に使われているではなく、人の役に立てていると考えていた。必ず仕事になる。楽しみながら続けること」。
「素直さとは何か?」の質問には、「人の言うことを聞くのが大事。心を開いてコミュニケーションすることがプロデューサーとして大事。率直な意見が言い合えるように。人と歩調を合わせること。素直になれば何でもできる」と話しました。「あそこにいいこと書いてある」と、ホール1階席後部の壁面を指差しました。よく見えませんでしたが、同志社大学のホームページで調べたところ「Go,go,go in Peace.Be Strong.A Mysterious Hand will guide you!」と書いてあるようです。同志社大学の創設者である新島襄が初代卒業生に送った言葉とのこと。「力強く進みなさい。見えざる神様の御手が皆さんを導くであろう」という意味のようです。
「どうやってダイエットしたのですか?」の質問には、「当時は自分の姿を直視できなかった。自分が重かった。「唄ひ手冥利」の頃は瞬間最大体重だった。あの頃は79kgで今は67kg」。ダイエットの方法としては、「1年ウォーキングして5キロやせた。最近は週に3〜4日ジムで泳いでいる。夜は真夏でも野菜鍋を食べている。リバウンドしなくなった」。

これで、質問は終わり。続いて、プレゼント抽選会に入りました。プレゼントは10個用意してあって、舞台上で亀田から手渡してもらえるとのこと。亀田が箱から座席番号が書かれた紙を引いて、宮本が読み上げ。その席に座っている人が当選。10人が決定。私は含まれませんでした。残念。プレゼントは東京事変のピック。当選者は亀田と握手したり、ハグしたりしました。

最後に、亀田から感想とメッセージ。「ちょっと短いよねー!」と名残惜しそう。今回の企画は「夏ごろからアプローチがあった。絶対に行きたいと思って快諾した」と話しました。最後に「きついことの後には、楽しいことがある」と学生たちにメッセージを残しました。16:25に終了。

亀田誠治のトークは言葉使いがとても丁寧でした。横柄な感じはまったくなし。人間的にとてもよくできています。素直で自分の哲学も持っています。こういう大人になりたいdすね。話を聞いてちょっとうるっときました。

(2010.12.12記)


挑戦状 同志社大学寒梅館



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