芸大生日記 展覧会編

美術館や博物館の展覧会に行った感想です。

モネ 連作の情景
大阪中之島美術館で開催された「モネ 連作の情景」に行きました。クロード・モネの作品のみが約70点が出展されました。印象派の誕生(1874年)から150年を記念して開催されました。
2022年に開館した大阪中之島美術館には初めて行きましたが、 国立国際美術館のすぐ隣にあります。モネ展は2004年に奈良県立美術館に行きましたが、相変わらず大人気で、約3ヶ月の期間中に45万人以上が来館して、大阪中之島美術館の最多動員記録となりました。
出展作品リストが紙では配布されず、QRコードを読み取って、pdfでダウンロードする方式でした。そのうち慣れてくるのかもしれませんが、鑑賞するには不便でした。一部の作品は写真撮影がOKでした。

モネは初期には人物画を描いていて、「1章 印象派以前のモネ」で展示された「昼食」(1868‒69年、シュテーデル美術館蔵、日本初公開)は珍しい。「2章 印象派の画家、モネ」では「モネのアトリエ舟」(1874年、クレラー=ミュラー美術館蔵)が目を引きました。屋根がある小さな船に乗って、絵を描いていた時期があったようです。
また、連作は睡蓮以外にもあり、「3章 テーマへの集中」では、「プールヴィルの断崖」(1882年、東京富士美術館蔵)と「プールヴィルの断崖」(1882年、トゥウェンテ国立美術館蔵)は、同じ景色を描いています。また、「ラ・マンヌポルト(エトルタ)」(1883年、メトロポリタン美術館蔵)と「エトルタのラ・マンヌポルト」(1886年、メトロポリタン美術館蔵)は、同じ風景を同じ角度から数年後にまた描いていますが、飽きないのでしょうか。なお、「プールヴィルの漁網」(1882年、デン・ハーグ美術館蔵)は、モネらしい筆致で好きです。
「4章 連作の画家、モネ」の「ウォータールー橋、曇り」(1900年、ヒュー・レイン・ギャラリー蔵)、「ウォータールー橋、ロンドン、夕暮れ」(1904年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)、「ウォータールー橋、ロンドン、日没」(1904年、ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵)で描かれているロンドンのウォータールー橋は、なんと41作も描いているとのこと。それよりも、「テムズ川のチャリング・クロス橋」(1903年、吉野石膏コレクション蔵)が私は好きです。
「5章 「睡蓮」とジヴェルニーの庭」はいよいよ睡蓮で、作品名に睡蓮に入る作品だけでも6点が展示されました。作品のサイズが大きい。このエリアは写真撮影OKの作品が多かったのですが、撮影禁止だった「睡蓮」(1907年、和泉市久保惣記念美術館蔵)は、奈良県立美術館に出展された「睡蓮」(1918-19年、マルモッタン・モネ美術館蔵)ほどのインパクトはありませんが、なかなか大胆な作品で気に入りました。

2024年8月21日

わけあって絶滅しました。展
大阪南港ATCホールで開催された「わけあって絶滅しました。展」に行きました。『わけあって絶滅しました。』シリーズ(ダイヤモンド社)の展覧会化です。3冊が刊行されて、累計発行部数は90万部以上とのこと。写真撮影はOKでした。
生き物が絶滅する理由は大きく3つに分けられ、圧倒的1位が「理不尽な環境の変化」、2位が「ライバルの出現」、3位が「人間のせい」とのこと。 絶滅した各動物の紹介では、図鑑の紹介ページを拡大したパネルが展示されます。絶滅した理由が明確に挙げられている点が斬新です。絶滅した生物が絶滅した理由を自分で説明するセリフのようなコメントが分かりやすくておもしろい。生物は「さん」づけされています。「こうすりゃよかった」として、絶滅を回避できた方法も挙げられています。 また、模型、化石、標本、イラスト、映像などでも紹介されます。興味がひかれる展示方法で、子供たちも興味津々でした。地球の温度変化や、地球上の酸素が薄くなったことが絶滅の原因になっている動物が複数いて、地球の歴史も学べます。生物の進化の過程も大変興味深い。
最初に展示されている「デコリすぎて絶滅」のオパビニアの巨大模型が泳いでいるように動くのはインパクトが大きい。目が5つもあって、ホースやハサミもあります。その隣は「歯が弱くて絶滅」のアノマノカリス。絶滅した生物について詳しく研究されていて、ここまでリアルに再現できるのも驚きでした。他に興味を持ったのは、「やみくもに上陸して絶滅」のイクチオステガ、「脱皮がめんどくさくて絶滅」のメゾサイロス、「食事がのろくて絶滅」のアースロプレウラ、「背中の帆がじゃまで絶滅」のディメトロドン、「おしっこのしすぎで絶滅」のファソラスクス、「ノープランで巨大化して絶滅」のリードシクティス、「後ろ足が蛇足で絶滅」のナジャシュ(昔のヘビには後ろ足があったことを初めて知りました)、「歯が鉄火巻きみたいで絶滅」のデスモスチルスなど。
また、「わけあって生きのびた」、「絶滅したと思ったら生きていた」、「絶滅しそう 助けてください」、「わけあって繁栄しました」のコーナーもありました。まだ生きている動物は、生体が展示されました(カブトガニなど)。 最後に、人間の営みによって絶滅した動物もいるため、絶滅させない取り組みを呼びかけます。会場内は大変広くて、少し歩き疲れました。

 

2022年9月8日

出版120周年 ピーターラビット™展
あべのハルカス美術館で開催中の「出版120周年 ピーターラビット™展」に行きました。1902年に「ピーターラビット」シリーズ最初の絵本『The Tale of Peter Rabbit(ピーターラビットのおはなし)』が刊行されてから、2022年で出版120周年を迎えることを記念して、絵手紙や原画など約170点が展示されました。 フォトスポット8ヶ所では写真撮影が可能で、絵本に描かれたピーターラビットが撮影できました。平日夜割引として、17時以降は入場料が200円引きになりました。

 

ピーターラビットは、イギリスの女性絵本作家ビアトリクス・ポターが、元家庭教師の息子のノエル・ムーアを元気づけるために描いた手紙が原点です。この絵本の世界観をよく知らなかったのですが、ピーターラビットのお父さんがパイにされてしまったので、まったく姿が描かれていないなど、設定もユニーク。
第1章「ピーターラビット誕生以前」では、ビアトリクス・ポターが描いたウサギの写生やスケッチなどが展示され、以前からウサギが好きだったようです。
第2章「ピーターラビットのおはなし」では、私家版初刷(1901年)を経て、1902年に初版がフレデリック・ウォーン社から『ピーターラビットのおはなし』が発行されました。絵本のサイズが小さい。挿絵原画も展示されていますが、当時出版にあたって削除された挿絵は2010年に再制作されました。
第3章「ピーターラビットと仲間たち」では、ウサギ以外のキャラクターも誕生。『ピーターラビットの塗り絵帖』初版(1911年)も出版されました。
第4章「広がるピーターラビットの世界」では、早くもピーターラビットのぬいぐるみの特許を取得(1903年)。ドブネズミのように色が濃くて、自宅にいるピーターラビットのぬいぐるみとはかなり違います。関連事業への展開が見事で、経営感覚が鋭い。ピーターラビットの追いかけっこゲーム(1919年頃)は、人生ゲームのようなボードゲーム。残念ながら商品化はされなかったようです。現在では、ピーターラビットのチェスセット(2008年)、ピーターラビットひな人形(2011年)などもあり、関連商品も多彩です。

日本への伝播も興味深く、日本に初めて紹介されたのは『日本農業雑誌』第2巻第3号(1906年)に掲載された「悪戯な小兎」で、意外に早い。続いて、児童雑誌『幼年の友』第7巻第2号(1915年)に掲載された「ピータロー兎」。四匹のウサギがいて、太郎、二郎、三郎、ピータ郎というネーミングが明らかに不自然で笑えました。『ピーターラビットのおはなし』の日本語版初版は1971年です。なお、大東文化大学にビアトリクス・ポター資料館(埼玉県東松山市)があるのは知りませんでした。また、ピーターラビットは2回映画化されています。「ピーターラビット(原題:Peter Rabbit)」(2018年)と「ピーターラビット2/バーナバスの誘惑(原題:Peter Rabbit 2: The Runaway)」(2021年)です。また、英国ロイヤル・バレエ団によって、バレエ映画にもなりました(1971年、作曲はジョン・ランチベリー)。

あべのハルカス美術館は、あべのハルカスタワー館の16階にあります。屋上庭園や60階の展望台(ハルカス300)へのエレベーターも同じ階にあります。現在、日本で最も高いビルですが、来年には「虎ノ門・麻布台プロジェクト」に抜かされそうです。

2022年9月2日

フェルメールと17世紀オランダ絵画展

大阪市立美術館で開催中の「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」に行きました。土日祝日は予約優先制でしたが、平日は予約不要でした。ドレスデン国立古典絵画館の所蔵作品から約70点が展示されました。保存状態がいいのか、表面がピカピカ光っている作品が多い。

注目は、フェルメール「窓辺で手紙を読む女」(1657-59年頃)の修復で、修復後に所蔵館以外では世界初公開となりました。本展では、最後の第7章「「窓辺で手紙を読む女」の調査と修復」で展示されています。フェルメールが手紙を初めて描いた作品とのこと。
1979年のX線調査で、壁に画中画(キューピッド)が描かれていることは分かっていましたが、フェルメール本人が塗りつぶしたと思われていました。作品の断面を分析した結果、フェルメールが亡くなってから数十年後に塗りつぶされたことが2019年に判明しました。塗りつぶされた理由は不明ですが、当時人気があったレンブラント風に見せるためと推測されるようです。ニスを除去して、丁寧に修復していく過程が映像で紹介されます。
ザビーネ・ベントフェルトによる複製画(2001年)があり、修復前後が比較できます。修復で現れたキューピッドの画中画が大きい。窓よりも大きく、キューピッドは女よりも大きい。あまりに大きいので、ごちゃごちゃした印象を受けました。光が差して、室内は明るい。 なお、ドレスデン国立古典絵画館では「取り持ち女」(1656年)も所蔵しています(2019年の大阪市立美術館「フェルメール展」で鑑賞しました)。

フェルメール以外の作品では、第1章は「レイデンの画家―ザクセン選帝侯たちが愛した作品」。寓意について指摘されて、例えば、ハブリエル・メツー「鳥売りの女」(1662年)に描かれた鳥は売春を意味するとのこと。また、同じメツ―の「レースを編む女」(1661-64年頃)に描かれた猫は、当時は飼うことは不純とされていて、性的な意味があるとのこと。
第2章「レンブラントとオランダの肖像画」は、ミヒール・ファン・ミーレフェルト「女の肖像」(制作年不詳)で、モデルとなった女性は誰なのだろうか気になります。バルトロメウス・ファン・デル・ヘルスト「緑のカーテンから顔を出す女」(1652年)は、瞳の描写が写実的で美しい。
第3章「オランダの風景画」では、ヤン・ファン・ホイエン「冬の川景色」(1643年)が行方不明になっていた時期に、浴槽のフタとして使用されていたという信じられない話。ヘリット・ベルクヘイデ「アムステルダムのダム広場の眺望」(1670–75年頃)は、人々の描写が小さい。
第4章は「聖書の登場人物と市井の人々」。ヘンドリク・アーフェルカンプ「氷上の遊び」(1620年頃)には、ゴルフの原型とされる「コルフ」が描かれています。
第5章「オランダの静物画ーコレクターが愛したアイテム」では、描かれている静物に無意味なものはないと解説され、例えばワインは最後の晩餐を表し、宗教的な意味合いがあるとのこと。ヤン・デ・ヘーム「花瓶と果物」(1670-72頃)は、黒い背景に写真のように精密に描かれています。
第6章「複製版画」は、有名な原画をアルバート・ヘンリー・ペインの白黒版画で複製した作品(1848年頃)。サイズが小さいですが、当時の流行を知るうえで興味深い。

2022年8月28日

ポンペイ展

京都市京セラ美術館で開催された「ポンペイ展」に行きました。2007年に「ポンペイの輝き 古代ローマ都市 最後の日」(サントリーミュージアム[天保山])に行きましたが、ポンペイは日本人に人気があるようです。今回はほとんどがイタリア・ナポリ国立考古学博物館の所蔵で、約120点が出展されました。事前予約制(日時指定)で、QRコードをかざして入場します。なお、当日券でも入場できましたが、ゴールデンウィーク中は入場待ちの大行列ができたとのこと。

約2000年前の紀元後79年に、ヴェスヴィオ山の噴火の火山灰に埋もれたポンペイには、約1万人が暮らしていました。ちなみに、日本はまだ弥生時代で、卑弥呼の前だったようで、文化の水準がまったく違います。
全作品が写真撮影可能でした(フラッシュ撮影は禁止)。説明のキャプションに、発掘された場所が分かるように、小さな地図も載っていて丁寧です。

「序章 ヴェスヴィオ山の噴火とポンペイ埋没」では、オープニング映像で現在のポンペイの街並みが紹介されています。ヴェスヴィオ山も後景に映りますが、また噴火しそうです。「女性の犠牲者の石膏像」はミイラかと思いましたが、石膏像でした。
「1 ポンペイの街−公共建築と宗教」は、「ライオン頭部形の吐水口」や「水道のバルブ」が展示され、すでに上水道が整備されていたことが分かります。ブロンズ製で、状態がいい。
「2 ポンペイの社会と人々の活躍」は、この頃からガラスがあるのは驚きです。「双頭のヘビ形指輪」など、金(鋳造)製の装飾品も精巧です。
「3 人々の暮らしー食と仕事」では、炭化した穀類、炭化したイチジク、炭化した干しブドウ、炭化したパンが、よく残っていると驚きました。「熊手」などは鉄製なので、ボロボロです。ヘルマ柱型肖像(通称「ルキウス・カエキリウス・ユクンドゥスのヘルマ柱」)が大胆。大理石の柱に男性器がついています。
「4 ポンペイ繁栄の歴史」では、ポンペイ最大の邸宅と言われる「ファウヌスの家」からの出土品が多数展示されています。「ナイル川風景」はモザイクでできていますが、せっかく作ったものが床に設置されていたのはもったいない気がします。「葉綱と悲劇の仮面」が立体的。竪琴奏者の家からは、ブロンズ製の「シカ」と「イヌとイノシシ」が出土し、裕福な家だったことが分かります。「悲劇詩人の家」の庭を再現していて、展示方法も凝っています。
「5 発掘のいま、むかし」では、ポンペイの近くにあって、同じく噴火で埋没したエルコラーノ(ヘルクラネウム)は、まだ四分の一しか発掘されていないことが紹介されます。まだまだこれから新たに出土されるかもしれませんね。

京都市京セラ美術館は2020年5月にリニューアルオープンしました。京セラ株式会社と50年間に及ぶネーミングライツ契約を締結しました。改修前にはなかった地下から入場するのが新しい。内装の一部はリニューアル以前のものがそのまま使われています。

2022年7月16日

メトロポリタン美術館展 ―西洋絵画の500年―

大阪市立美術館で開催中の「メトロポリタン美術館展 ―西洋絵画の500年―」に行きました。メトロポリタン美術館のヨーロッパ絵画部門が所有する約2500点の所蔵品から、絵画65点が展示されました。「? 信仰とルネサンス」「? 絶対主義と啓蒙主義の時代」「? 革命と人々のための芸術」の3つのセクションで構成されています。メトロポリタン美術館が改装工事中のため実現したとのことで、館内に自然光を取り入れる「スカイラインプロジェクト」が進行中とのことですが、資料保存上の問題はないのでしょうか。

「? 信仰とルネサンス」は、1400年〜1600年代に描かれた宗教画。フラ・アンジェリコ「キリストの磔刑(たっけい)」(1420〜23年頃)とカルロ・クリヴェッリ「聖母子」(1480年頃)は額縁がユニーク。

「? 絶対主義と啓蒙主義の時代」では、まずヨハネス・フェルメール「信仰の寓意」(1670〜72年頃)は日本初公開。フェルメール初期の作品かと思いきや、意外にも晩年の作品です。背景の絵画が不気味で、右の男性は遠くから見ると坊主のように見えました。地球儀に右足を載せている女性の白い肌とのコントラストがすばらしい。床の大理石も緻密に描かれています。題材としてはあまり面白くありませんが、フェルメールのプロテスタントからカトリックへの改宗を機に描かれたようです。 グイド・カニャッチ「クレオパトラの死」(1644〜55年頃)は、毒蛇に自分の胸を噛ませて自殺しようとしています。ぱっと見ただけではどういうシーンか分かりませんでした。ジャン・シメオン・シャルダン「シャボン玉」(1733〜34年頃)は、題材が珍しい。

「? 革命と人々のための芸術」では、ジャン=レオン・ジェローム「ピュグマリオンとガラテア」(1890年頃)は、自分が造った大理石像にキスするというロマンティックな作品で、写真のように写実的。 エドガー・ドガ「踊り子たち、ピンクと緑」(1890年頃)は、視力が低下してから描かれたためか、ややぼやけていますが、バレリーナの衣装が緑色なのが珍しく、仕草もかわいらしい。本展覧会で最も新しい作品は、クロード・モネ「睡蓮」(1916–19年)で日本初公開。平面的で、葉の輪郭もありませんが、それでも最晩年の作品ほどの激しくはありません。

なお、入場は日時指定予約制(入館時間が指定)でした。クレジットカード決済で、QRコードを見せて入場しましたが、館内は大変な人だかりでした。当日券でも入場できましたが、入場制限のため長蛇の列ができていました。

2022年1月10日

ヌード展 英国テート・コレクションより

横浜美術館で開催された「ヌード展 英国テート・コレクションより」に行きました。イギリスの国立美術館「テート」から、ヌードに関する作品約130点が出展され、ヌード作品の約200年の歴史をたどります。すべての作品が全裸を取り上げているわけではありません。18歳未満は入場禁止だった「春画展」とは違い、小学生以下でも入場可能でした。国際巡回展で、日本での開催は横浜美術館だけでした。
「1 物語とヌード」「2 親密な眼差し」「3 モダン・ヌード」「4 エロティック・ヌード」「5 レアリスムとシュルレアリスム」「6 肉体を捉える筆触」「7 身体の政治性」「8 儚き身体」の8つのエリアで構成されました。幅広い作風の作品が出展されました。ヌードを題材として、いろいろな芸術家の作風の違いを楽しめました。

注目は、オーギュスト・ロダンの彫刻「接吻」(1901〜4年)。この作品のみ写真撮影OKでした(珍しい!)。ロダンの大理石像の接吻は3点しかなく、そのうちの1点とのこと。白くて美しい。かなり大きな作品で、下から見上げる感じになるので男女の口元はよく見えません。1913年にイギリスで公開された当時は衝撃的に受け止められ、シーツで覆い被せられたとのこと。重量3トン以上で、横浜美術館のエレベーターでは搬入できず、クレーンで吊り上げて設置したとのこと。

その他に印象的な作品を展示順に挙げると、ハモ・ソーニクロフト「テウクロス」(1881年)は、男性の銅像ですが、男性器は葉っぱで隠されています。アンナ・リー・メリット「締め出された愛」(1890年)は、女性画家による少年のヌード。後ろ姿なので顔は見えませんが、少女ではなくて少年とのこと。ローレンス・アルマ=タデマ「お気に入りの習慣」(1909年)は、ローマ浴場を描いた絵画。デイヴィッド・ボンバーグ「泥浴」(1914年)は、直線的な幾何学模様で、青と白が人間を、赤が泥の浴槽を描いているようですが、人間が描かれているようには見えません。ヌード以前の問題です。ヘンリー・ムーア「横たわる人物」(1939年)は、曲線美が美しい彫刻。パブロ・ピカソ「首飾りをした裸婦」(1968年)は、一日で描いたとされています。デイヴィッド・ホックニー「C.P.カヴァフィスの14編の詩のための挿絵より」(1966年)は、男性の同性愛を描いた作品。「古い本の中で」と「一夜」が強烈。ルイーズ・ブルジョワ「自然の法則」(2003年)もインパクトが強烈。男女が変な体位で性交していて、どこか「自然」なのかは分かりません。シンプルな描写がリアルな版画です。ジョルジョ・デ・キリコ「詩人のためらい」(1913年)は、大量のバナナが男性器を隠喩。マン・レイ「メレット・オッペンハイム(ソラリゼーション)」(1933年)は、女性の裸体を撮影した白黒写真で、ワキ毛がボーボー。ハンス・ベルメール「人形」(1936年(1965年再制作))は、女性器のスジがリアルすぎる。秘宝館にあってもいいようなクオリティー。スタンリー・スペンサー「ふたりのヌードの肖像:画家とふたり目の妻」(1937年)は男性器がモロに描かれた絵画。イセル・コフーン「スキュラ」(1938年)は、男性器と女性器を隠喩した絵画。シルヴィア・スレイ「横たわるポール・ロサノ」(1974年)は、女性が描いた男性のヌード。デイヴィッド・ヴォイナロヴィッチ「無題(欲望)「蟻シリーズ」より」(1988年)は、男性器がモロに写った白黒写真。シンディ・シャーマン「無題#97」「無題#98」「無題#99」(1982年)は、女性写真家が自らを撮影した写真。

2018年6月25日

写真家 沢田教一展―その視線の先に
京都高島屋グランドホールで開催中の「写真家 沢田教一展―その視線の先に」に行きました。34歳の若さで亡くなった沢田教一(1936〜1970)の写真約150点や遺品約30点が展示されました。
写真の状態は鮮明で、時代を感じさせません。撮影年月・撮影場所が分かっている写真もありますが、いずれも不詳の写真もあります。
初期の写真では、青森の風景や米軍三沢基地や11歳年上の妻サタをモデルとして撮影していましたが、1965年からベトナム戦争に米軍に同行して撮影するようになります。米軍はベトナム戦争を「正義の戦争」としてアピールしたかったようで、米軍機内から撮影したり、米軍兵士を接写したり、戦場を生々しく伝えていて、戦場カメラマンの先駆けとも言える写真が多く展示されています。
なかでも、最も有名な「安全への逃避(FLEE TO SAFETY)」(1965年9月6日)は、ピュリッツァー賞を受賞しました。撮影後には、沢田は被写体の5人に手を差し伸べて助けたことが、写真の一番右に写っているグエン・ティ・フエさん(当時2歳)のインタビュー映像で明かされます。また、1年後に被写体の家族に会いに行き、賞金の一部を渡したという新聞記事も展示されています。
その後、カンボジアで撮影しましたが、サタに宛てた手紙に「運命」の文字が見えるなど、使命感に燃えていましたが、1978年10月28日に移動中に何者かに襲撃されて亡くなりました。昼を過ぎてから移動を始めているなど、最後の行動には謎が多いとのこと。
また、現在のベトナムの繁栄を見たサタが「平和を待ち望んでいた教一に見せたかった」と語るインタビュー映像も上映されます。
2018年3月19日

美しき氷上の妖精 浅田真央展
京都高島屋7階グランドホールで開催された「美しき氷上の妖精 浅田真央展」に行きました。2017年4月に引退した浅田真央の衣装や写真やメダルなど約100点が出展されました。入場無料でした。
Blu-ray&DVD『Smile Forever』(2017年10月 ポニーキャニオン)の発売を記念した展覧会で、初日の2018年1月4日には浅田真央本人も来場したとのこと。衣装の展示コーナーは写真撮影OKでした。MAOシアターでは、約15分でこれまでの演技を映像とインタビューで振り返りました。
2019年5月14日

ボイマンス美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝−ボスを超えて−
国立国際美術館(中之島)で開催中の「ボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵 ブリューゲル「バベルの塔」展 16世紀ネーデルラントの至宝−ボスを超えて−」に行きました。オランダにあるボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館の所蔵品から約90点が出展されました。
展覧会は「? 16世紀ネーデルラントの彫刻」「? 信仰に仕えて」「? ホラント地方の美術」「? 新たな画題へ」「? 奇跡の画家 ヒエロニムス・ボス」「? ボスのように描く」「? ブリューゲルの版画」「? 「バベルの塔」へ」の8つのセクションからなります。音声ガイドのナレーションが「塔」つながりで雨宮塔子というのは笑いました。

注目は、「? 「バベルの塔」へ」で展示されているピーテル・ブリューゲル1世「バベルの塔」(1568年頃)。24年ぶりの来日です。予想以上に作品のサイズが小さい。作品を最前列で観るために、作品前には長い行列ができました。描かれている人間などは小さすぎて、最前列でもよく見えません。よくこんなに小さく描けるものです。バベル塔の上部は神の怒りで崩壊したと思っていましたが、建設中だったんですね。展示室の隣に、東京藝術大学COI拠点の特別協力で、複製画が展示されていて、実物でよく見えない細部はこちらで確認するしかありません。その隣にある「3DCG映像シアター」では、作品の見どころを動画で説明してくれて好企画でした。
ブリューゲルには「バベルの塔」を描いた作品が2つあり、もうひとつのウィーン美術史美術館所蔵(1865年)のほうがサイズが大きい。「大バベル」と呼ばれていますが、まだ来日したことはないようです。ぜひ「大バベル」も観たいです。なお、地下1階には、大友克洋(漫画家・映画監督)が制作した「INSIDE BABEL」も展示されました。バベルの塔の内部を描いたという発想がユニーク。
「? 16世紀ネーデルラントの彫刻」では、アルント・ファン・ズヴォレ?(1460年頃-1492年にズヴォレとカルカールで活動)「四大ラテン教父:聖アウグスティヌス、聖アンブロシウス、聖ヒエロニムス、聖グレゴリウス」(1480年頃)は、日本の仏像に似た静謐さがあります。作者不詳(南ネーデルラントの彫刻家、1500年頃にブリュッセルで活動?)「十字架を担うキリスト、磔刑、十字架降下、埋葬のある三連祭壇画」(1500年頃)は、精巧ですばらしい。
「? 信仰に仕えて」では、ディーリク・バウツ「キリストの頭部」(1470年頃)は、北朝鮮でよく見かける金正日の肖像画に似ています。作者不詳の作品が多いですが、「枝葉の刺繍の画家」「AMのモノグラムの画家」などの通称で呼ばれているのがおもしろい。
「? 新たな画題へ」では、板に描かれている作品が多く、作者不詳(南ネーデルラントの画家、ブリュッセルで活動?)「風景の中の聖母子(裏面:本と水差し、水盤のある静物画)など、表裏でまったく題材が異なる作品がありました。
「? 奇跡の画家 ヒエロニムス・ボス」で展示されたヒエロニムス・ボスの名前は初めて知りました。多作であったにもかかわらず、わずか約25点しか現存していないとのこと。「放浪者(行商人)」(1500年頃)と「聖クリストフォロス」(1500年頃)が出展されました。「聖クリストフォロス」の後景に描かれている、裸で走っている人、廃墟に見えるモンスター、吊るされている熊が謎めいています。また、「快楽の園」(プラド美術館所蔵)の複写も展示されました。
「? ボスのように描く」は、別人によるボスの模倣作。作者不詳(ヒエロニムス・ボスの模倣)「様々な幻想的な者たち」(1570-1580年頃)は、奇形なモンスターが大集合で、「怖い絵」展よりも怖い。続けて、「? ブリューゲルの版画」に進むと、ブリューゲルはボスの作風を受け継いでいるように感じられます。「魔術師ヘルモゲネスの転落」(1565年)などがよい例です。

なお、地下2階では「コレクション展 風景表現の現在」が開催され、バベル展のチケットで入場できましたが、ぶっとんだ現代作品にびっくり。国立国際美術館に近年収蔵(購入や寄贈)された作品ですが、鴫剛(しぎごう)「無題D」(1981年)、李禹煥「版画集『廃墟へ』」(1986年)、辰野登恵子(たつのとえこ)の「March-3-98」(1998年)、木村忠太「朝の光」(1985年)、「ポルトガル」(1986年)などが強烈。下道基行(したみちもとゆき)「『torii』より」は、海外にある鳥居の写真で興味深い。ログズギャラリー「DELAY_2008.10.15」(2009年)は映像作品。大阪の夜をドライブした映像が、64画面(8×8)に渦巻状に時間差で映されます。

2017年9月24日

岩合光昭写真展「ねこ」
西武大津店6階催事場で開催された「岩合光昭写真展「ねこ」」に行きました。動物写真家の岩合光昭(いわごうみつあき)が2010年に出版した写真集『ねこ』から約170点が出展されました。2010年から全国を巡回していて、ここ滋賀県での開催で、47都道府県を制覇したとのこと。
岩合光昭は動物写真家とされていますが、被写体はほとんど猫のようです。NHK-BSでドキュメンタリー番組「岩合光昭の世界ネコ歩き」が放送中で、今年10月には「劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き コトラ家族と世界のいいコたち」として映画化されます。
写真展の構成は、写真集『ねこ』と同じで、「Chapter1 生きることは動くこと」「Chapter2 暮らしの中で」「Chapter3 海ちゃん」からなります。「ジャンプ!」「眠い」など、猫の動作ごとに分類されていて、いろいろな猫の表情が見られます。写真には一行のコメントがつけられています。毛繕いのことを化粧と呼んでいます。
写真には撮影地(都道府県と市名)が明記され、海外で撮影された写真もありますが、日本にいる猫と見た目は変わりません。犬と猫が仲良く並んでいるツーショット写真が珍しい。
「Chapter3 海ちゃん」は、岩合の飼い猫だった海(かい)ちゃんの写真です。かわいいし、いろいろな表情を見せます。出産し、子猫と戯れる写真もあって、もっと多くの写真を見たくなりますが、残念ながら亡くなった旨の説明文が貼られています。
2017年9月8日

怖い絵展
兵庫県立美術館で開催中の「怖い絵展」に行きました。兵庫県立美術館に行くのは、2008年の「ムンク展」以来でした。
怖い絵を集めた珍しいコンセプトの展覧会です。特別監修は中野京子(ドイツ文学者、早稲田大学講師)。中野京子が2007年に出版し、ベストセラーとなった『怖い絵』で取り上げられた作品を中心に、約80点が出展されました。
平日に行きましたが、入場者が多くてびっくりしました。学生など若い人の姿が目立ちましたが、高校生以下は入場無料だったからでしょう。

全体の感想を先に書くと、期待したほどではありませんでした。怖い絵=名画というわけではなく、当時の感覚からしても、怖い絵を購入して部屋に飾りたいと思った人は少なかったことでしょう。画家も売れなさそうな絵を描かなかったと思われます。

展覧会は「第1章 神話と聖書」「第2章 悪魔、地獄、怪物」「第3章 異界と幻視」「第4章 現実」「第5章 崇高の風景」「第6章 歴史」の6つの章からなります。作品横に掲示されている解説に、キャッチコピーがつけられていて分かりやすい。「さあ、お飲みなさい」「お前はもう死んでいる」「どうして。」など、中野京子がつけたと思いましたが、どうやら兵庫県立美術館の学芸員が考えたとのこと。中野京子の解説「中野京子’s eye」も掲出されています。

作品を見てすぐに怖いと感じる作品と、解説を読んで怖さが分かる作品があります。描かれている怖い対象もいくつかにパターン分けできるでしょう。
ヘンリー・フューズリ「オディプスの死」(1783-84年)は、左右の眼球がくりぬかれていますが、ほとんど出血していません。
ジョン・ウィリアム・ウォーターハウス「オデュッセウスに杯を差し出すキルケー」(1891年)も魔女。杯の酒を飲むと、豚に変えられています。
ハーバート・ジェイムズ・ドレイパー「オデュッセウスとセイレーン」も、人魚の姿をした魔女。
ヘンリー・フューズリ「夢魔」(1800-10頃)は、夢に現れる悪魔で、不気味。
ギュスターヴ・ドレ「ダンテ『神曲 地獄篇』〜第13歌「森の中の自殺者たち」」(1861年)は、木に姿を変えられた人間が描かれています。
ギュスターヴ=アドルフ・モッサ「彼女」(1905年)は、中央に大きく描かれた女性はかわいい顔をしていますが、魔女とのこと。死体の山の上に座っています。
ジョセフ・ライト 「老人と死」(1775年頃) は、老人と骸骨の対面。
ジェームズ・アンソール「1960年の自画像」(1888年)は、死後の自画像を描いていてユニーク。
フランシスコ・ホセ・デ・ゴヤ・イ・ルシエンテス「妄(ロス・ディスパラテス)」の「恐怖の妄」「誘拐する馬」(1815-24年) は、正体不明の怪物が描かれています。同じくゴヤ「戦争の惨禍」の「こんなために生まれてきたなんて」「これはもっと酷い!」「立派なお手柄!死人を相手に!」(1810-20年)は、スペイン独立戦争の惨状。
オディロン・ルドン「エドガー・ポーに」の「眼は奇妙な気球のように無限に向かう」(1882年) は、気球が大きな目玉。
ウィリアム・ホガース「残酷の4段階」の「残酷の報酬」(1750/51年) は、解剖された人間の腸の描写がリアル。
ニコラ=フランソワ=オクターヴ・タサエール「不幸な家族(自殺)」(1852年)は、一酸化炭素中毒で自殺しようとする様子を描いていて衝撃的。自殺を描いた作品があったとは驚きです。
「切り裂きジャックの寝室」(1906-07年) を描いたウォルター・リチャード・シッカートは、切り裂きジャック事件(未解決殺人事件)の犯人と疑われている人物とのこと。
フレデリック=アンリ・ショパン「ポンペイ最後の日」(1834-50年)は、ヴェスヴィオス火山の噴火から逃げる人々を描いています。あまり目立ちませんが、右下に津波も描かれています。
ジャン=ポール・ローランス「フォルモススの審判」(1870年)は、ローマ教皇フォルモススが、死後に遺体で裁かれたという史実に基づきます。
圧巻は、ポール・ドラローシュ「レディ・ジェーン・グレイの処刑」(1833年)。ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵の特大サイズで、完成度も存在感もピカイチ。額縁の上に装飾物が付いている絵画を初めて見ました。史実では、ジェーン・グレイが着ていたのは白い服ではなく黒い服だったとか、処刑が行われたのは室内ではなく室外だったなどの解説があります。

なお、まったく怖くない絵もあります。フレデリック・グッドール「チャールズ1世の幸福だった日々」(1853年頃)と、作者不詳(フランス派)「マリー・アントワネットの肖像」(18世紀)は、描かれている人物がその後が怖い運命に遭遇します。

2017年9月5日

今森光彦写真展
西武大津店6階催事場で開催された「西武大津店開店40周年記念特別企画 今森光彦写真展」に行きました。今森光彦は滋賀県大津市生まれの写真家です。 _
1部「里山 −人と自然がともに生きる−」と、2部「湖辺 −水の流れが育む生命−」の二部構成ですが、写真集「里山−未来におくる美しい自然−」(2007年)から抜粋して出展されているようで、これまでに巡回もされています。滋賀県では初めての開催のようです。灯台下暗しでしょうか。どうやら今森が「里山」という言葉を生み出したと言っても過言ではないようです。
今森光彦の展覧会では「魔法のはさみ 今森光彦の切り紙美術館」(2011年 美術館「えき」KYOTO)に行きましたが、今森は写真家なので、今回のほうが本業ということになるでしょう。
出展された写真は自然がいっぱいで、絵になる景色です。滋賀県には自然が多く残されていることに驚きました。日本にはまだいい景色がありますね。「棚田と人家」は素晴らしい景色で、自然と人間が共存している様子を写しています。「朝焼けのはさ木」は神秘的で日本とは思えないほどです。
撮影地は書かれていませんが、撮影された場所に行きたくなりました。その土地を知っていないとこのような写真は撮れません。滋賀の自然や地理をよく知っています。木船は腐らないように、川に沈めて保管するなどの先人の知恵も紹介されます。
動植物をズームアップでとらえた作品もあります。動植物の知識も詳しく、切り絵作りの原点になっているようです。ちなみに、今森は滋賀県高島市マキノ町に「萌木(もえぎ)の国」と呼ばれる山林を所有しており、昆虫教室を開催するなど、子どもを対象としたフィールドワークの運営にも携わっています。これからもぜひ撮影を続けて欲しいです。
2016年9月5日

春画展
細見美術館で開催中の「春画展」に行きました。日本で初めての春画だけを集めた展覧会で、昨年末に開催された東京会場の永青文庫(えいせいぶんこ)には、21万人が来場して大入りになりました。京都会場では前期と後期に分けて、135点が展示されました。18歳未満は入場禁止でした。春画は熱海城の地下で観ましたが、こんなに多くの作品があるとは驚きです。ちなみに永青文庫の理事長は細川護煕元首相です。
キャッチコピーは「世界が、先に驚いた。」。2013〜2014年にイギリスの大英博物館で開催された「Shunga: Sex and Pleasure in Japanese Art(春画 日本美術の性とたのしみ)」展での出展作の約半数が展示されたとのことですが、大英博物館の所蔵作品はありませんでした。なお、所蔵先が空欄(=匿名)になっている作品もありました。
細見美術館は、ロームシアター京都の近くにあります。1998年に建設されました。主催者挨拶によると、展示会場の確保に苦労したとのこと。細身美術館の展示室がとても狭いため、場内は大混雑で、入場制限も行なわれました。1階から地下2階に降りていきました。聞くところによると、東京会場の永青文庫はもっと狭かったそうです。幅広い年代が来場していました。これだけ多いと、偏見や羞恥心などはなくなります。
日本における春画の起源は平安時代中期にまでさかのぼるようです。室町時代の後期になると物語性がなくなるとのこと。享保の改革で出版が禁止されますが、闇ルートで流通します。明治以降はタブーとされてきたようですが、ロダンやピカソにも影響を与えたとのこと。
髪や着物の模様などは繊細な筆致で丁寧に描かれています。ひとつひとつの作品をじっと見入ってしまいます。着衣したまま行為していることが多く、全裸は少数です。当然のことながらモザイクはありません。女性器は炎が燃えるような赤く描かれています。局部を強調したために、男女の体勢がおかしい作品もあります。意外にも女性の乳首は描かれていない作品のほうが多い。男性にもついているものなので、当時の男性は興奮しなかったということでしょうか。少数ですが、局部が描かれていない作品もあります。
蹄斎北馬筆「相愛の図屏風」(1815〜1830年)は、現存する最大の春画。現代ならエロ本などはこっそり持つ傾向があると思いますが、家に堂々と飾っていたのでしょうか。巻物も多くありました。金箔が施されているなど装丁が豪華なのが驚きです。現代とは感覚がだいぶ違います。豆判は携帯性があります。
有名な画家も春画を手がけています。喜多川歌麿「歌まくら」(1789年)や葛飾北斎「喜能会之故真通」(1814年)が挙げられるでしょう。さすがに女性が描いた作品はありませんでした。
2016年4月3日

フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち−世界劇場の女性−
京都市美術館で開催された「フェルメールとレンブラント:17世紀オランダ黄金時代の巨匠たち−世界劇場の女性−」に行きました。絵画60点が出展されました。最終日に行きましたが、3ヶ月ほど前の「ルーヴル美術館展 日常を描くー風俗画にみるヨーロッパ絵画の神髄」のように混んではいませんでした。

お目当ては、フェルメール「水差しを持つ女」(日本初公開)です。フェルメールの作品と対面するのは「画家のアトリエ(絵画美術)」「マルタとマリアの家のキリスト」「ディアナとニンフたち」「小路」「ワイングラスを持つ娘」「リュートを調弦する女」「手紙を書く婦人と召使い」「ヴァージナルの前に座る若い女」「レースを編む女」「地理学者」「手紙を書く女」「手紙を読む青衣の女」「真珠の耳飾りの少女」に続いて、これで14作目です。フェルメールの作品は34作〜37作とされているので、1/3以上は観たことになります。意外に観てますねえ。

「世界劇場の女性」というタイトルですが、女性が描かれた絵だけではありませんでした。ほぼ年代順の作品展示で、前半(「オランダ黄金時代の幕開け」「風景画家たち」「イタリア的風景画家たち」「建築画家たち」「海洋画家たち」)は暗い色調の絵画が多く、あまり楽しめませんでした。
「静物画家たち」では、フローリス・ファン・スホーテン「果物のある静物」(1628年)とピーテル・クラースゾーン「銀器やグラス、皮の剥かれたレモンのある静物」(1660年)が写真のように写実的ですばらしい。後者はレモンがみずみずしい。

注目のヨハネス・フェルメール「水差しを持つ女」(1662年頃、メトロポリタン美術館所蔵)は、同時代の作品の中でもひときわ明るくて目立ちました。写真で見るよりも室内の壁が青白い。よく見ると女性の手元はあまりくっきりしておらず、緻密さではフェルメールの他の作品には劣ります。女性も思ったよりも若くありません。

「肖像画家たち」の肖像画に興味が惹かれました。いずれもサイズが大きい。当時有名だった画家に多額の報酬を払うことができた裕福な家族の私的な肖像画が、時を経て美術館に収蔵され、こうして日本で見られるとは奇遇です。夫婦が別々に描かれた絵画が二組(四人)ありました。すなわち、イサーク・リュティックハイス「男性の肖像(ピーテル・デ・ランゲ)」「女性の肖像(エリザベス・ファン・ドッペン)」(1655年)とフェルディナント・ボル「ルーロフ・ミューレナールの肖像」「アリア・レイの肖像」(1650年)。夫婦が一枚に収まっているのではなく、別々に描かれているところが意外です。ヘラルト・ファン・ホントホルスト「画家の肖像」「女性の肖像」(いずれも1655年)は描かれた人物が誰なのか分かっているのでしょうか。作品としては、フランス・ハルス「ひだ襟をつけた男の肖像」(1625年)に惹かれました。
上述のフェルディナント・ボル「アリア・レイの肖像」とルドルフ・デ・ヨング「ヴァージナルを弾く女性」(1651年)では、描かれている女性が、頭に黒い帽子(peaked headdress)をかぶっています。最近のたむらけんじの髪型に似ています。当時流行したファッションだったようですが、今見るとかっこいいとは思えません。

ヤン・ステーン「恋の病」(1660年頃)は、玄関先で犬が交尾しています。レンブラント・ファン・レインの作品では、日本初公開の「ベローナ」(1633年)が展示されましたが、フェルメールほどの人気はないようです。

2016年2月6日

ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄
京都市美術館で開催された「ルーヴル美術館展 日常を描く―風俗画にみるヨーロッパ絵画の真髄」に行きました。風俗画を中心に約80点が出展されました。注目は日本初公開のフェルメール「地理学者」です。入場までに40分待ちで、会場内も大混雑でした。人が多すぎて、落ち着いて見られませんでした。残念。
同時代に描かれた風俗画を集めたためか、同一の題材が多い。例を挙げると、トランプ、抜歯屋、物乞い、狩りを描いた絵画は複数枚展示されました。

プロローグ?「「すでに、古代において…」風俗画の起源」では、遺跡から発掘された彩色墓碑やオストラコン(石灰岩のかけら)が鎮座していて驚きました。大昔から風俗は描かれていたということでしょう。
絵画には、歴史画>肖像画>風景画>静物画>風俗画という序列があり、風俗画は最下位に位置づけられていました。後述する「夜のギャラリートーク」でも話されましたが、風俗画にはメッセージが込められていて、「こんなことをしてはいけない」などの教訓を読み取れるとのこと。漠然と作品を眺めているだけでは分かりませんね。

クエンティン・マセイス「両替商とその妻」(1514年)は、卓上の鏡に通行人が映っています。マリヌス・ファン・レイメルスウァーレに基づく「徴税吏たち」(16世紀)もカリカチュアのようで、当時はお金にかかわる仕事はいやしいものと考えられていたとのこと。ピーテル・ブリューゲル1世「物乞いたち」(1568年)は、ギャラリートークの解説によると、彼の数少ない作品で珍しいとのこと。ニコラ・レニエ「女占い師」(1626年頃)は、女性が手相占いに夢中になっていますが、占い師の背後に立つ男が金の鎖を抜いていたり、おんどりが盗もうとしていたりします。ジャン=バティスト・グルーズ「割れた水瓶」(1771年)は、描かれた少女の処女喪失を意味しているとのこと。
ヨハネス・フェルメール「天文学者」(1668年)は、豊田市美術館で見た「地理学者」(1669年、シュテーデル美術館蔵)と同じ人物が発注したと考えられているようです。描かれている地球儀と書物も特定されているとのこと。全体的に黄色っぽく、服の色が淡い。細部は意外にぼんやりしています。この作品は、ナチス・ドイツに略奪された過去があるようです。

夜間開館特別企画として、18:30から「ルーヴル美術館展 夜のギャラリートーク」が開催されました。講師は潮江宏三氏(京都市美術館長、京都市立芸術大学名誉教授)。申し込みは不要で、マイクとスピーカーを使って移動しながらトークが行われましたが、すごい人数で150人くらいはいたでしょうか。これだけ多くの人が集まるとは予想外だったようで、本当はもっと作品の近くで解説したかったようですが、この人数では無理ということでした。それでも上述したように、有意義な解説が聞けました。
なお、京都市美術館前では「岡崎ときあかり」が開催されました。「京都岡崎ハレ舞台」の一環で、京都市美術館の建物にプロジェクションマッピングが投影されました。

2016年2月4日

マグリット展
京都市美術館で開催された「マグリット展」に行きました。マグリット美術館(ブリュッセル)およびマグリット財団の協力を得て、世界10カ国以上から約130点が出展されました。同時開催の「ルーヴル美術館展」が大混雑で、相互割引(セット券)があったので、まずこちらに行ってみることにしました。10分待ちで中に入れました。
ルネ・マグリットはベルギー出身で、1898年生まれ。1967年に亡くなりました。作品数が非常に多く、今回出展されなかった作品もたくさんあるようです。マグリットについての予備知識はまったくありませんでしたが、展覧会のポスターで使われた「ピレネーの城」に興味が惹かれました。
年代順の展示でしたが、「初期」(1920年〜1925年)から「シュルレアリスム」(1925年〜1931年)で、急に作風が変わったので驚きました。

作品名と描かれているものが一致しない作品がいくつかありました。含蓄のあるメッセージが読み解けるのでしょうが、作品名はフランス語なので、フランス語が分かる人ならさらに楽しめるかもしれません。例えば、「呪い」(1931年)は青い空に白い雲が描かれていて、どこが呪いなのかさっぱり分かりませんでした。「白紙委任状」(1965年)は一種のだまし絵です。作品名の意味が分かりませんでしたが、「描かれた女性にやりたいことを認めるもの」という意味らしいです。
いくつかの作品に共通する特徴として、チェスの白い駒のような物体が初期から登場します。「けん玉」(Bilboquet=ビルボケ)と呼ばれているようです。例えば「博学な樹」(1926年)、「困難な航海」(1926年)、「告知」(1930年)などに描かれています。「無題」(1926年)には、楽譜が貼り付けられています。いずれも擬人化の表現とされているようです。

以下は、印象に残った作品を挙げます。
「嵐の装い」(1927年)や「喜劇の精神」(1928年)は切り絵が貼り付けてあるかのように見えますが、実際は切り貼りではなくきちんと描かれていました。
「新聞を読む男」(1928年)は間違い探しのような作品。上下左右の4コマに同じ部屋の風景が描かれていますが、新聞を読む男が描かれているのは左上の1コマだけです。
「恋人たち」(1928年)は有名な作品のようです。白い布で顔が包まれた男女がキスをしています。
「美しい虜」(1931年)や「人間の条件」(1933年)は、キャンバスの中に、風景が描かれたキャンバスが置かれています。
「凌辱」(1934年)は女性の顔ですが、目が乳首で、口が陰毛になっているエロティック な作品。
「ゴルコンダ」(1953年)は、黒い帽子(山高帽と言うらしい)をかぶって、黒いコートとスーツを着た男性が、直立不動の姿勢で規則正しく並んで、雨粒のように降ってきます。現代の技術なら簡単に大量複製できますが、きちんと描いたところがすごい。ちなみに、ゴルコンダとは、かつて世界一美しいダイヤモンドが採れたインドの都市の名前のようです。
「ピレネーの城」(1959年)は、大きな岩が海岸に浮かんでいて写真のような美しさ。
「空の鳥」(1966年)は、Twitterのロゴ(Twitterバード)のような羽根を広げた鳥が描かれています。

2016年1月26日

ホキ美術館所蔵 森本草介 写実絵画の世界
阪急うめだギャラリー(阪急百貨店うめだ本店)で開催された「ホキ美術館所蔵 森本草介 写実絵画の世界」に行きました。千葉市にあるホキ美術館が所蔵している森本草介の絵画36点のうち33点が出展されました。
森本草介は76歳で千葉県在住。「写実絵画」とありますが、写真としか思えないほどの完成度に驚きました。「敬虔(けいけん)なる写実」と形容されるほど緻密で、草葉一枚や髪の毛一本まで手を抜くことなく描かれています。拡大にも耐えうる精密さです。
描かれているのは風景画(ヨーロッパが多い)か裸婦。特に若い女性の背中が多く描かれていて、背筋の隆起などが立体的。制作年代が新しいほうが緻密さが増してより写実的です。
森本草介を紹介する映像が上映されていました。ピアノでベートーヴェンを演奏するなど多彩なところを見せました。
ホキ美術館は日本初の写実絵画専門美術館とのこと。図録を見たところ他にも興味深い作品がありました。島村信之の作品はなかなかいいですね。近くに行く機会があれば寄ってみたいです。。
2014年2月11日

マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝
神戸市立博物館で開催中の「マウリッツハイス美術館展 オランダ・フランドル絵画の至宝」に行きました。オランダのマウリッツハイス美術館の所蔵品約50点が出展されています。マウリッツハイス美術館が改修工事のため、巡回展が実現しました。

作品を観る前に、「イブニング・レクチャー」に行きました。土曜日の17:00から地階にある講堂で行われます。学芸員がスクリーンを使って見どころを解説します。原稿なしでスラスラ話しました。すごい。この展覧会は3年前から受け入れ準備を始めたこと、先方からの要請でテロ対策のため館内にある消火器を隠していること、館内の湿度や温度のデータを毎日送信している(この日は雨だったので気を使う)ことなど、苦労話が聞けて面白かったです。個々の作品の解説は後述します。

今回の目玉は、フェルメール「真珠の耳飾りの少女」(1665年頃)。2000年にも来日しましたが、相変わらずすごい人気です。この作品を観るためだけの行列や待ち時間ができていたらしいですが、私が行ったときはすぐに観れました。予想よりも小さい絵で、くすんでいます。前述した解説では、描かれている女性は実在せず、代表的なトローニー(モデルが特定できない人物画)と解説されました。映画「真珠の耳飾りの少女」(2002年/イギリス)を観ていたので、実在する人物だと思っていました。なお、オフィシャルサポーターを務める武井咲が「真珠の耳飾りの少女」の衣装に扮しました。けっこうかわいいです。このときに着た衣装が大丸神戸店1階に展示されていました。
フェルメールでもう1点出展されている「ディアナとニンフたち」(1622-1625年頃)は、「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」(2008年 東京都美術館)で観ました。

フェルメール以外では、ヤーコブ・ファン・ライスダール「漂泊場のあるハールレムの風景」(1670-1675年頃)は、カンヴァスの上部7割ほどが空。地平線も見えます。天と地のバランスが悪いと感じましたが、解説によると、平らで山がないオランダの地形が的確に描かれているとのこと。フランス・ハルス「笑う少年」(1625年頃)は、マウリッツハイス美術館では人気の作品のようですが、立ち止まって見ている人は少なかったです。アーブラハム・ファン・ベイエレン「豪華な食卓」(1655年頃)は、中央の金属製の水差しに自画像が描かれています。解説では、レモンが描かれている意味は「人は見た目と違うから気をつけろという教訓」と説明されました。ピーテル・クラースゾーン「燃えるろうそくのある静物」(1627年)は、ろうそくの火が写真のように描かれています。本の字が細かく描かれているのにもびっくり。カレル・ファブリティウス「ごしきひわ」(1654年)は私好みの絵。一羽の鳥が木に止まっています。ヘリット・ファン・ホントホルスト「ヴァイオリン弾き」(1626年)は大きな絵。ヴァイオリンを持った一人の女性が笑っています。ヤン・ステーン「牡蠣を食べる娘」(1658-1660年頃)は、とても小さな絵。かつては「真珠の耳飾りの少女」よりもこちらの娘がヒロインだったとのこと。同じくヤン・ステーン「親に倣って子も歌う」(1668-1670年頃)は、とても大きい。解説では描かれている人物の行ないについて批判的に説明されました。

2012年12月29日

BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展
東京オペラシティアートギャラリーで開催された「BEAT TAKESHI KITANO 絵描き小僧展」に行きました。北野武がBEAT TAKESHI KITANO名義で開いた個展です。2010年にフランスで開催され、好評を博したようです。「絵描き小僧」とは、北野の父親がペンキ屋だったことから名付けられたようです。小さい頃バカにされたとのこと。
BEAT TAKESHI KITANOの作品の特徴として、第一に挙げられるのは、ほとんどの作品にタイトルがないこと。出品リストにも「タイトルなし/No Title」が並んでいます。タイトルがないことで、先入観なく作品を観ることができます。何を描いているのか考えさせる意図があるのでしょう。図録に掲載されたインタビューでは「おれの絵は題名がつくほどの意味を持っていない」と語っています。気球に乗った猫が雲の上から釣りをしている絵などは、そこに笑いを求めているのか考えてしまいます。
ペンキ屋だった父親の影響を受けているのか、写実的ではなくペンキ塗りに近い。濃淡もなく遠近感もありません。配色も独創的で鮮やか。図録で見ると、絵本の挿絵にふさわしく思えてきます。インタビューでは「アートは気軽なものであるべき」と語っています。ほとんどの作品は「オフィス北野所蔵」となっています。
人間の目が離れて描かれています。ピカソに似ています。鼻は長い三角形。絵のなかには人間のほかに動物がよく描かれます。サインは「ビートたけし」と走り書きで書かれています。出身が東京都足立区ということで、「足立」の文字が車のナンバープレートやガソリンスタンドの看板に書かれています。
生き物を合体させている作品が多い。「動物花器」では、胴体が動物で、頭部が花。「発見!旧日本軍秘密兵器 計画図面大量発見!」では、動物と武器を組み合わせています。また、浅草の雰囲気を再現したという展示では、蟷螂鯉、象金魚、キリン太刀魚などが見世物小屋に置かれています。
後半は、絵以外の作品を展示されています。「足立区梅島塚古墳からの出土品」は、埴輪の左足が突然折れて傾くといういたずら心のある展示。「大江戸パペットシアター」は、タップの音楽に合わせて、獅子舞が描かれた紙が上下に動きます。「そよ風をあなたに」は、5台の扇風機がどのように風を起こすのかという発想がおもしろい。「北野式ソーイングマシン「秀吉」」は、巨大な蒸気機関車の形をしたミシン。「偶然の確率(時計バージョン)1947/1/18より」「偶然の確率(ボルトバージョン)1947/1/18より」は、地球に単細胞が誕生した確率と地球の誕生の確率を、時計が完成する状況やボルトがくっつく状態に例えた作品。観点がおもしろい。こんなものを展示しようとする人はいないでしょう。天井から吊られたレールには、青いダルマがたくさん並んでいます。「大仏しのぎ」は、会場外のサンクンガーデン(地下1階)で開催。大仏の形をした和菓子が有料で食べられました。
過去のコントビデオも上映。「人吊り書道」は、天井から吊られたダンカンがたけし軍団と共同で書道します。定番コントと言えますが、2010年と意外に最近に製作されたようです。

常設展もついでに見学。「収蔵品展 難波田龍起・舟越保武 精神の軌跡」では、難波田龍起の絵画作品がきわめて抽象的。作品名も「展開B」「発生A」「西方浄土2」「生の記憶3」とかですごい。「project N 関口正浩」は、「開く旗」「こわばる旗」など、旗の作品でした。

2012年9月8日

ドビュッシー、音楽と美術 − 印象派と象徴派のあいだで
ブリヂストン美術館で開催中の「ドビュッシー、音楽と美術 − 印象派と象徴派のあいだで」に行きました。今年生誕150年を迎えるドビュッシーと同時代の作品約150点が出展されました。オルセー美術館とオランジュリー美術館との共同企画です。出展作品がマイナーなのに、多くの人が来場していました。ドビュッシーは日本でこんなにも人気がある作曲家だったでしょうか。東京駅八重洲口から徒歩5分という行きやすい立地のせいかもしれません。
「ドビュッシーと印象派や象徴派、さらにはジャポニスム等の関係に焦点をあて、19世紀フランス美術の新たな魅力をご紹介するものです。」というコンセプトでしたが、少しテーマが難しいでしょうか。また、出展リストには10の章に分けて作品名が並べられていますが、実際の展示は分散していてテーマごとに作品がまとめて展示されていません。会場のスペースの問題なのでしょうが、何を意図した展示なのかが分かりにくくなっています。
前半ではドビュッシーの肖像や写真や彫像(!)が展示されています。ドビュッシーをモデルとした作品がこれだけあるとは驚きです。アンリ・ド・グルー「クロード・ドビュッシーの胸像」(1919年)は、黒くて大きい。作曲家とは思えませんでした。イーゴリ・ストラヴィンスキーに帰属「クロード・ドビュッシーとエリック・サティ、ボワ=ド=ブーローニュのドビュッシー邸にて」(1910年6-7月)は、ドビュッシーとストラヴィンスキーとの貴重なツーショット写真。初めて見ました。ドビュッシーの部屋に、葛飾北斎「冨嶽三十六景 神奈川沖浪裏」が飾られているのが確認できます。交響詩「海」のスコアの表紙にも使われたのはあまりにも有名ですが、ドビュッシーは本当にこの作品が好きだったのですね。
ドビュッシーが日本の作品に興味を持っていたということで、「アール・ヌーヴォーとジャポニズム」のコーナーで、歌川広重「東海道五十三次」などの日本作品が展示されていますが、ドビュッシーがどの作品を所有していたかは特定はできないとのことでした。残念です。
ドビュッシーの音楽に直接的に関係がある展示として、歌劇「ペレアスとメリザンド」のための衣装が描かれた絵がありました。ドビュッシー作品のスコアも展示されましたが、表紙しか見えないのであまり面白くありません。
ドビュッシーと親交のあった画家として、アンリ・ルロール(1848-1929)の作品がいくつか展示されました。印象派の作品では、エドガー・ドガの「踊りの稽古場にて」(1895-98年)や「浴後」(1900年頃)が少し暗いですが好きですね。ウィンスロー・ホーマー「夏の夜」(1890年)もいいですが、全体的に琴線に触れる作品が少なくて残念でした。
常設展もコレクション展示として隣接して展示されていましたが、アルフレッド・シスレー「サン=マメス六月の朝」(1884年)やラウル・デュフィ「オーケストラ」(1942年)など、こちらのほうが興味深い作品がありました。
2012年9月6日

釈尊と親鸞
龍谷ミュージアムで開催中の「龍谷ミュージアム開館記念・親鸞聖人750回大遠忌法要記念展「釈尊と親鸞」」に行きました。
龍谷ミュージアムは、龍谷大学創立370周年記念事業の一環として、2011年4月5日に開館しました。国内初の仏教総合博物館とのこと。堀川通をはさんで西本願寺と向かい合うように立地しています。地下1階地上3階建て。
展示室は2階と3階にあります。2階に釈尊に関する展示品を、3階に親鸞に関する展示品を展示しています。各展示室の入口で出品リストが渡されます。重要文化財が多数展示されています。龍谷大学が所蔵する展示品のほか、全国各地の寺に所蔵されています。展示品ひとつひとつに専門的な解説が添えられています。展示設備も立派です。
3階にミュージアムシアターがあります。2本の映像が上映されました。「よみがえる幻の大回廊 〜ベゼクリク石窟〜」は、中国の新疆ウイグル自治区にあるベゼクリク石窟寺院の壁画が、世界各国に分散して保管されているため、つなぎあわせて復元しようとする試みを取り上げています。釈尊の前世に現れたとする過去仏などがCGで美しく再現されます。2階の展示室に、原寸大の復元展示があります。「伝えゆくもの 〜西本願寺の障壁画〜」は、西本願寺の書院にある虎の間に描かれた障壁画を再現しようとする取り組みです。上映後にスクリーンが上がると、ガラス越しに西本願寺が見えるのもおもしろい。

せっかくの機会なので、西本願寺に足を延ばしました。偶然にも御正当(ごしょうとう)の期間中で、「飛雲閣」「経蔵」「書院」が特別公開されました。普段は非公開なのでラッキーでした。飛雲閣は国宝。金閣、銀閣と並んで「京都三名閣」と呼ばれているとのこと。3階建てで、周りを池に囲まれて、とても風情があります。豊臣秀吉の聚楽第を移設したと放送でアナウンスされましたが、確証はないようです。書院は、天井とふすまが金箔で輝いています。一の間、二の間、三の間が圧巻。虎の間は、ミュージアムの映像で見たように、虎の絵が復元されています。あまり大きな部屋ではありませんでした。書院の中にある北能舞台は国宝で、日本最古の能舞台とのこと。京都に住んでいても、まだまだ魅力的な文化財があることに気付かされました。

2012年2月8日

武政健夫ガラス彫刻展〜限りなき透明の世界〜
大丸ミュージアム<京都>で開催された「武政健夫ガラス彫刻展〜限りなき透明の世界〜」に行きました。武政健夫(たけまさ たけお)は1950年生まれで、現在はニューヨーク在住。約60点の作品から、35点が展示されました。
ガラス彫刻は非常に手間がかかるようで、年間に数作品しか制作されないとのこと。またミスをすると修復できないため、かなりの集中力が必要なようです。その点では、豊田市美術館「高橋節郎館」の漆工芸作品と似ています。
作品は、いくつかのガラスの柱をつなげて、表面を削ることで絵柄を表現します。絵柄は、バレリーナ、花、鳥など、メルヘンチックでかわいらしい。無着色で透明ですが、見る角度によって見える絵柄が違うのも面白い。ただし、ずっと観ていると、酔ってきて気分が悪くなります。水族館にあるガラス水槽に似ています。
なお、どういうわけか作品に名前がつけられていないようです。また、製作年も表示されていませんでした。
2011年11月1日

フェルメールからのラブレター展
京都市美術館で開催中の「フェルメールからのラブレター展」に行きました。フェルメールの作品3点を含む43点が展示されました。「シュテーデル美術館所蔵 フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」(豊田市美術館)の半券を提示すると、入館料が100円引きになりました。
「人々のやりとり−しぐさ、視線、表情」「家族の絆、家族の空間」「職業上の、あるいは学術的コミュニケーション」「手紙を通したコミュニケーション」の4つの章から構成されています。ほぼ全ての作品で、人物が描かれています。

フェルメール作品は4章「手紙を通したコミュニケーション」の最後に並んで展示されていました。
「手紙を書く女」(1665年頃、ワシントン・ナショナル・ギャラリー)は、若い女性がこちらを向いています。かわいらしい表情です。
「手紙を読む青衣の女」(1663-64年頃、アムステルダム国立美術館)は、アジア初公開。加えて、修復後世界初公開となりました。修復前と比べると作品全体が明るくなりました。予想していたよりも、あまりサイズが大きくない。女は太って見えます。
「手紙を書く女と召使い」(1670年頃、アイルランド・ナショナル・ギャラリー)は、「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」(2008年、東京都美術館)でも展示されたので、今回で2回目のご対面です。3つの作品の中では、この作品が一番緻密に描かれていて、完成度が高い。光の当たり方も見事。

フェルメール以外の作品では、ヘンドリック・マルテンスゾーン・ソルフ「ヤーコプ・ビーレンスとその家族」(1663年、オランダ文化遺産庁)は、台所のような広い空間に家族が集まっています。魚を持っている男性、器を洗っている女性、リンゴの皮をむいている女性、鳩をさばいている女性、チェロを片手に立っている男性など、やっていることがばらばら。室内には物がごちゃごちゃ置いてあります。
アンドリース・ファン・ボホーフェン「テーブルに集うファン・ボホーフェンの家族」(1629年、ユトレヒト中央美術館)は、若くして亡くなったボホーフェンの家族10人が大きく描かれています。家族写真のような作品です。首にフレーズ(円形のひだ襟)をつけています。
ピーテル・デ・ホーホ「女に手紙を読む男」(1670-74年頃、クレマー・コレクション)は、構図がフェルメールによく似た作品。窓際で手紙を読む男は、光が当たらずに暗い。逆に、中央で椅子で座っている女は明るい。陰影が極端なほどつけられています。
エドワールト・コリエル「レター・ラック」(1703年、個人蔵)は、この展覧会で唯一の静物画。写真のようにリアルに書かれています。

2011年9月18日

魔法のはさみ 今森光彦の切り紙美術館
美術館「えき」KYOTOで開催された「魔法のはさみ 今森光彦の切り紙美術館」に行きました。写真家今森光彦の切り絵作品約200点が展示されました。同名の図録にあわせて、「切り紙の森へ」「動物誌」「昆虫博覧会」「はさみと紙のタペストリー」の4つの部分からなります。
作品には、黒紙を切った作品と、色紙を切った作品があります。黒紙を切る作品のほうが、輪郭など切る部分が多く、難しいテクニックを必要とするようです。真ん中で折ってから切ることで、左右対称となっている作品がありました。色紙を切った作品は、切ってから貼り付けるのが大変そうです。すごく細かなパーツがありました。題材としている動植物は、マイナーな名前が多いです。デザインがよく、切り絵という表現でなくても、芸術的に優れています。
会場内で、今森光彦による「ギャラリートーク」が行われました。入場者が通路を埋め尽くすほどの盛況でした。使っているハサミは1本だけなので早く切れること、時期を決めて集中的に切り絵に取り組んでいることなどが語られました。
2011年9月10日

シュテーデル美術館所蔵 フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展
豊田市美術館で開催された「シュテーデル美術館所蔵 フェルメール《地理学者》とオランダ・フランドル絵画展」に行きました。フェルメールの「地理学者」がお目当てです。
豊田市美術館は名鉄豊田市駅から徒歩で15分。丘の上にあるので、最後に急激な上り坂を上ります。豊田と言えばトヨタ自動車の工場が建ち並んでいるような近代的な工業都市かと思っていましたが、意外に田舎でした。

ドイツのフランクフルトにあるシュテーデル美術館の所蔵作品95点を展示しています。「歴史画と寓意画」「肖像画」「地誌と風景画」「風俗画と室内画」「静物画」の5つのジャンルに分けて展示されています。背景が暗い絵が多く、何が描いてあるのか相当近づかないと見えません。
フェルメール「地理学者」(1669年)は、フェルメールが珍しく男性を描いた2点中の1点(もう1点は「天文学者」)。写真で見るよりも実物のほうが暗い。光の描き方が抜群で、浮き出て見えます。地球儀にインドが描かれているようですが、よく見えません。右下の直角定規も近づかないと見えません。男性は顔を上げていますが、窓の外に何か見えたのでしょうか。参考として、ファルク「アジア図」(1695年頃)が展示されていましたが、北海道が描かれていませんでした。
肖像画は、眼の光の描き方がうまい。マース「黒い服の女性の肖像」(1968-70年頃)が特にいい。その他の作品では、オスダート「納屋で畜殺された豚」(1643年)は、色彩が鮮やか。ブラウエル「苦い飲み物」(1636-38年頃)は、しかめっ面の男性に笑ってしまいます。バーブレン「歌う若い男」(1622年)は、帽子についた羽根が鮮明。男性も表情があります。ファルケンボルヒ「凍ったスヘルデ川とアントワープの景観」(1593年)は、題材がユニークで、人物描写が見ていて楽しい。

続いて、常設特別展「松井紫朗−亀がアキレスに言ったこと 新しい世界の測定法−」を観ました。松井紫朗は、1960年奈良県生まれ。京都市立芸術大学美術学部准教授を務めています。専門は彫刻のようですが、ゴム製のシリコーン・ラバーを使った作品が多かったです。
「君の天井は僕の床」(2011年)がユニーク。靴を脱いで、筒状のブルーシートの中に入ります。その後、外観を一周することもできます。吹き抜けの「展示室1」をうまく使った作品です。「Aqua Lung Mountain」(2005年)では金魚を泳がせています。多くの作品が「作家蔵」となっていましたが、サイズが大きな作品は普段はどこで保管しているのでしょうか。

最後に、高橋節郎館で高橋節郎の漆工芸作品を観ました。2007年に亡くなった高橋節郎から寄贈された作品を展示しています。漆で黒く塗った板を彫り、金箔をすり込むことで、金色に輝きます。1つの作品を仕上げるのに、多くの工法とかなり手間がかかります。とても緻密に作られています。お盆や屏風だけでなく、グランドピアノや黒いハープも題材にしています。

2011年9月9日

キトラ古墳壁画「四神」特別公開
奈良文化財研究所飛鳥資料館で開催された「キトラ古墳壁画「四神」特別公開」の最終日に行きました。近鉄橿原神宮前駅から直行バスに乗ります。雨天だったせいか、待ち時間なしで入館できました。1ヶ月間に約9万人が訪れたとのこと。
キトラ古墳の壁画に描かれた「青龍」「白虎」「朱雀」「玄武」の四神すべてが一気に公開されました。なかでも「朱雀」は、今回が初めての公開です。極彩色の壁画が描かれている古墳は、高松塚古墳とキトラ古墳だけで、しかも高松塚古墳は「朱雀」が盗掘のため消失しているため、キトラ古墳の「朱雀」は大変貴重です。壁画が描かれたのは藤原京時代(700年頃)とのこと。四神は、映画「鴨川ホルモー」にも出てきたので、愛着があります。
展示室では、壁画が描かれている部分だけを剥がして、ショーケースの中に収まっていました。1983年に壁画の存在が確認され、2004年から2007年にかけて石室から順次取り外されたとのこと。西壁「白虎」、北壁「玄武」、東壁「青龍」、南壁「朱雀」の順に展示されていました。予想以上に壁画のサイズが小さい。壁の全面に書かれているわけではありません。また、泥の汚れのため、絵があまり鮮明に見えません。特に「青龍」は頭しか見えませんでした。図録に掲載されている写真のほうがはるかにはっきり見えました。
せっかく来たので、キトラ古墳にも足を運びました。道路沿いに案内標示がありますが、大々的に案内されているわけではありません。地図がないと分からないでしょう。明日香循環バス「大根田」バス停の近くですが、日曜日は運転していないようです。2002年に建設された「仮設保護覆屋」が立っています。直径14メートルの円墳らしいですが、外からは見えません。2000年に特別史跡に指定されたとのこと。まだ調査中で、図録によれば現在は壁画が描かれていない余白部分が取り外されているようです。
特別史跡キトラ古墳仮設保護覆屋 キトラ古墳案内

帰路に高松塚古墳に行きました。キトラ古墳よりも後に造営されたと考えられています。現在は復元されて、プリンのような形をしています。壁画は1972年に発見されましたが、国宝に指定されたため公開されていません。女子群像が有名です。保存状態が悪く、カビなどが発生したため修復作業が続いています。代わりに、高松塚壁画館に模写が展示されています。拝観料(250円)を払う価値があるかは微妙です。
高松塚古墳

また、石舞台古墳にも行きました。蘇我馬子の墓と言われています。入場が有料(250円)でびっくり。石が置いてあるだけかと思っていましたが、堀のある方墳で意外にも広い。石室の下にも入れます。それにしても、石がよく崩れないものですね。
石舞台古墳 石舞台古墳

2010年8月14日

M.C.エッシャー展 〜視覚の魔術師〜
奈良県立美術館で開催中の「M.C.エッシャー展 〜視覚の魔術師〜」に行きました。オランダ出身の版画家マウリッツ・コルネリス・エッシャー(1898〜1972)の作品80点を展示しています。すべて長崎県のハウステンボス美術館に所蔵されているようです。
入口で双眼鏡を無料で貸し出していたので、どういうことなのか分かりませんでしたが、会場に入って納得。作品のサイズがとても小さい。双眼鏡で見ないと細部まで分かりません。実際に双眼鏡で拡大して見ると、実に細かく緻密に彫られていることが分かります。細かい線をどうやって彫ったのか、まさに驚異的な神業です。
エッシャーの作品は「だまし絵(トロンプ・ルイユ)」が注目されているようですが、奇を衒った作品ばかりではありません。ゲテモノ扱いされるのはもったいない。精巧で高い技術があってこそ、だまし絵の制作が可能だったことが分かります。目を楽しませる巧みなデザインと、細部までしっかり彫られた正確な技術に驚かされます。版画なので白と黒の2色なのに、これだけ表現できるのもすごい。線の間隔で影を表現しています。絵をデザインして、版木に彫って、刷る作業をエッシャーが1人で行なったようです。絵と比べて、ものすごい手間をかけて作られていますが、どれくらいのペースで製作したのでしょうか。作品によって、板目木版、木口木版、リトグラフなど版画技法を使い分けています。
「バベルの塔」(1928年)と「空中の城」(1928年)の版木が展示されています。2作品同一版木で、1枚の版木の表裏両面に彫られています。丸い穴が開いているのはなぜでしょうか。「モラノ(カラブリア)」(1930年)は、白黒写真のように写実的。「メタモルフォーゼ?」(1940年)は3色刷りで横に長い。「METAMORPHOSE」の文字が格子模様になり、右から左へ進むにつれて昆虫などに変化し最後はチェスの盤にまで発展します。想像力豊かなデザインです。「騎手」(1946年)も3色刷りでそれぞれ色別に彫られた3枚の版木が展示されています。「ベルベデーレ(物見の塔)」(1958年)、「上昇と下降」(1960年)、「滝」(1961年)は非現実的な建築物で、高度な数学的知識がないと描けないと思いますが、エッシャー自身は数学を学んでないそうです。「深み」(1955年)は、魚が同じ方向に立体的に泳ぐ姿がかわいい。赤い鱗模様と丸い目もいい。「婚姻の絆」(1956年)は、男女の顔が果物の皮みたいに剥けていて、かなりのインパクトを与えるデザインです。「平面充填?」(1957年)は文字通り、白と黒で動物の絵が隙間なく描かれています。
なお、父ジョージ・アーノルド・エッシャーは、明治時代の日本に5年間滞在しました。淀川堤防の工事や福井県の龍翔小学校(現存せず)のデザインなど携わった功績が紹介されています。
2010年5月1日

蜷川実花展 −地上の花、天上の色−
西宮市大谷記念美術館で開催された「蜷川実花展 −地上の花、天上の色−」に行きました。写真家蜷川実花初の大規模な個展です。デビュー直後の作品から新作まで、蜷川実花13年の足跡を概観します。蜷川実花が映画監督を務めた映画「さくらん」で鮮やかな映像を見て以来、彼女のファンになってしまいました。
開催初日(2009年10月10日(土))に、蜷川実花本人が登場して「アーティストトーク」が開催されました。参加は無料ですが、定員が150名。事前に往復ハガキに質問したいことを書いて応募したところ、めでたく当選しました。この間、結婚(1997年)、離婚(?年)、再婚(2004年)、離婚・再々婚・妊娠・出産(2007年)と私生活でも話題に事欠かない彼女が何を語るのかも注目です。

西宮市大谷記念美術館は、阪神本線香櫨園駅から徒歩7分。館内には池のある日本庭園があって風情があります。
アーティストトークは講堂で行なわれました。参加者の95%が女性でした。予定の13:00より少し遅れてスタート。対談相手は朝日放送アナウンサーの上田剛彦。展覧会の主催に朝日新聞社が名を連ねているからでしょうか。蜷川実花が登場。茶髪で髪の長さは肩の辺りまで。紫色のTシャツに、黒のズボンでした。映画「さくらん」のメイキングDVDで見たときよりもやせた感じです。ステージの檀上のイスに上田と向かい合うように座りました。蜷川は足を組みながら話しました。

上田の質問に蜷川が答えるスタイルでトークが進みました。この日は晴れでしたが、蜷川は自分のことを「晴れ女」「撮影の日もだいたい晴れる」と話しました。西宮市大谷記念美術館の印象は「気持ちがいい」「各部屋に分かれているのでゆっくり見ていただける」「壁がきれい」と話し、気に入ったようです。「設営した日は台風が来た」と話し、会場に着いてから展示レイアウトも考えたようです。「写真集(印刷物)よりもオリジナルプリントのきれいさを見て欲しい」と話しました。
今回の展示作品は約450点ですが、「点数でいうと少ない。いろいろ入れられていない。展示のために絞った」と話しました。「今までに何枚写真を撮りましたかとよく聞かれるが、自分でも分からない」と話しました。デビューして13年となっていましたが、スタッフに聞いたところ「本当は14年らしい。こだわっていないけど」と笑って話しました。展覧会のタイトル「地上の花、天上の色」は、美術評論家松井みどりの評論文に出ている言葉だそうで、「好きな言葉」「気に入っている」「これに決めた」と話しました。
「蜷川実花が撮る写真はどうして色が鮮やかなのか」という質問に対しては、「普通に撮っているとああいう色だった」「気になるものを撮っている」「こういう色を撮るぞと思ってない」「色味の操作はしていない」「色を探しに出かけてるわけではない」と話しました。「作っても、あるものを撮っても、色味の割合が同じだったので、色の好みは同じ」。また、「花を撮るときは触らないことをルールにしている」「人を撮るときは「撮っていいですか?」とは言わない。相手が意識しちゃうので。隠し撮りだけど、人が不快になるのはいや。そのために自分の気配を消す」と話しました。
写真を撮るようになった経緯については、「クリエイティブなことがしたかった。何でもよかった。写真は性に合っていた。おもしろい」と話しました。まったくの独学で、本を読んで勉強したとのこと。ミスはいろいろあるようで、撮影中にフィルムの入れ忘れに気がついたこともあったとのこと。この日も新幹線に携帯電話を忘れたようで「日常生活はひどい」と話しました。大学4年生のときに、「会社勤めは無理」と感じて、写真家になる決意をしたとのこと。
影響を受けた人は、横尾忠則。また、マンガやゲーム、ドラクエなどからも影響を受けることが多く、プレステ1は発売初日に買ったとのこと。マンガ雑誌「コーラス」を毎月買っていて、家にはマンガの部屋があるとのこと。父親(蜷川幸雄)の存在も大きく、「ものを作る姿勢」や「パワフルさ」は影響を受けているようです。また、子供の影響もあると話しましたが、「私生活と写真はつながっていない」と話しました。
展示作品について説明。全体で「花」「初期 1995〜2002年」「金魚」「造花」「旅」「人」「旅」「新作 2007〜2008年」の8つのセクションに分かれています。上述したようにセクションごとに展示されている部屋が分かれているのも特徴です。詳細は後述します。
「フィルムにこだわる理由」は、「フィルムのほうがきれい」「デジタルだと撮影した写真がすぐに見れてしまう」「後で処理すればどうかなる。(フィルムの)取り返しがつかない緊張感が性に合っている。精神的な理由が多い」と話しました。「今後撮りたい人は誰ですか」の質問には「誰でも撮りたい」と回答。
最後は、今後の予定について。映画は「大きなことなので進まない」「やる気はある」「もう1本撮りたい」と話しました。どうやら構想は進行しているようですが、まだ発表できる段階にはないようです。新作「Noir」は写真集を出す。海外で出版された写真集が逆輸入される、など。京都にある蜷川実花写真館(京都極楽堂書店)で展覧会「MIKA NINAGAWA EROTIC TEACHER×××YUKA」が開催中。清水寺の近くにありますが、「変な場所」「まだ行ったことない」と話しました。
14:15に終了。1時間ほどでした。気取らない感じで話しました。いつも自然体なのでしょう。蜷川実花は早口でよくしゃべりました。ボキャブラリーも豊富で楽しめました。

アーティストトークが終わってから、展示をゆっくり見ました。建物は2階建て。順路は特になく、気に入った写真を何回も見ることができました。
アーティストトークで話されたように、写真の配置レイアウトが工夫されています。館内はいくつかの部屋に分かれていますが、各部屋にテーマを割り当てていて、テーマ性がはっきり分かる展示で、カタログを見ているよりおもしろい。
写真パネルは全体的に大きなサイズでした。また、カタログよりもパネルのほうがより鮮やかに見えます。あまり難しいことを考えずに、自由に撮影している印象を受けました。

<初期 1995〜2002年>
『portrait』『Happiness』『17 9 '97』『Baby Blue Sky.』『Pink Rose Suite』『a piece of heaven』からの出展。アーティストトークで蜷川は「ほとんど発表していない。本になってない」「がむしゃらに撮ってた」「まぶしい」「素直でいい写真」と話しました。今と変わらないところは「気持ちを込めて撮っていること」、逆に変わったところは「うまくなった」と話しました。
最近の作品と比べると、まだコンセプトが定まってない感じです。あえてピントをぼかしてブレて撮影した写真もあります。女性が上半身ヌードで写っている白黒写真があります。本人と思いましたが、どうやら妹らしいです。

<花>
写真集『Acid Bloom』からの出展。アーティストトークでは、「鮮やかさは技術的にどう撮るか」という質問に対して、「鮮やかに見える状態を撮るだけ」「どれだけうっとりしながらシャッター押せるか」と答えました。「「虫を呼べる女」と言えるほど気配を消せる。被写体の近くで撮ることができる」「「撮ってやる」という態度では、挑発的で恐がってしまう。私はオーラの出し入れができるので、リラックスしてもらう。「いいところを撮らせてもらっている」という気持ちが大事」「その場になじめるのが特技で、海外で(現地の人と間違われて)よく道を聞かれる」と話しました。出品作品リストに掲載されている蜷川のコメントには「溶けていく輪郭、どんどん曖昧になっていく境界線。私が花なのか、花が私なのか。」とありますが、その意味は「自分の輪郭が消せるほど、草花になる」と話しました。
写真を見ると、確かに虫が多く撮影されています。花に止まっている虫を接写できているのは気配を消せているからでしょう。色も実に鮮やか。

<金魚>
写真集『Liquid Dreams』からの出展。上田が「居心地がいい部屋」と絶賛。香港の金魚ストリートで撮影したが、金魚屋に怒られたとのこと。「なぜ金魚か」という質問には「金魚は奇形させている。改良しているが金魚には負担になっている」と話しました。人工的に作られて美しさがあるということでしょう。蜷川は家でも金魚を飼ったことがあり、「金ちゃん」「銀ちゃん」と名前をつけていたが、すぐに死んだとのこと。
暗い部屋で、中央のスクリーンで金魚の映像を上映されています。カメラを構える蜷川の影もちらっと映るほど、かなり接写で撮影されています。スクリーンの両サイドには金魚の写真が水族館の水槽のように展示されています。金魚は映画「さくらん」にも登場したので、蜷川にとって重要なテーマと言えます。

<旅>
写真集『floating yesterday』からの出展。白い机一面にマッチ箱サイズの写真がぎっしり並んでいます。展示品450点の大半を占めています。せっかくなので大きくしてじっくり見たかった気もします。

<人>
芸能人や歌手などを撮影した写真。部屋の床もカラフルなタイルでおしゃれ。写真の背景や小道具もおもしろい。
「人」の部屋の隣に「ポートレート」の部屋があり、壁一面に写真集や雑誌に掲載された写真がぎっしり貼られています。ものすごい数です。この「ポートレート」の写真はカタログには収録されていません。
椎名林檎は『風とロックとユナイテッドアローズ』(2006年11月発売)に掲載されたティーカップを持ってソファに横になっている写真でした。
椎名林檎以外にも私が知っている人の名前だけでもこれだけいます(五十音順)。蜷川実花が撮影した人がこんなに多いとはびっくり。けっこう昔に撮影された若い頃の写真もありました。
相武紗季、浅田舞、安達祐実、AKKO(MY LITTLE LOVER)、安室奈美恵、綾瀬はるか、杏、安野モヨコ、井川遥、忌野清志郎、岩佐真悠子、上野樹里、上戸彩、上原多香子、大塚愛、大宮エリー、小栗旬、乙葉、鬼束ちひろ、香椎由宇、川上未映子、貫地谷しほり、菅野美穂、韓英恵、菊地凛子、菊川怜、北乃きい、北野武、木村カエラ、木村佳乃、栗山千明、黒木メイサ、小池栄子、小泉今日子、後藤久美子、佐藤江梨子、沢尻エリカ、椎名林檎、鈴木蘭々、ソニン、田中麗奈、谷村美月、タナダユキ、田畑智子、千秋、Chara、土屋アンナ、妻夫木聡、鶴田真由、寺島しのぶ、戸田恵梨香、中島美嘉、中川翔子、長澤まさみ、永瀬正敏、中谷美紀、中山美穂、仲里依紗、成宮寛貴、蜷川実花、長谷川京子、PUFFY、引田天功、平山あや、hiro、深田恭子、福田沙紀、ベッキー、堀北真希、松たか子、松田龍平、松平健、松山ケンイチ、松雪泰子、真矢みき、水川あさみ、三船美佳、美波、南明奈、宮崎あおい、宮本笑里、美輪明宏、村治香織、MEGUMI、持田香織(Every Little Thing)、安田美沙子、吉川ひなの、吉高由里子、吉田美和、りょう、梨花

<造花>
写真集『永遠の花』からの出展。海外で撮影された造花です。土葬された墓に手向けられた造花で、枯れないような色彩が魅力とのこと。蜷川実花は「墓の間に寝転がって撮影しているが、撮ってる絵面(えずら)は結構ばかばかしい。撮っている姿を想像して見ると楽しめる」と話しました。
写真を見ましたが、造りものに見えません。「永遠の花」という表現もいい。ゾクッとしました。色あせてしまったものや欠けたりしてるものもあります。このシリーズはもっと見たいですね。

<新作 2007〜2008年>
最新作『Noir』からの出展。「ノアール」とはフランス語で「黒」のこと。「タイトルを考えるのは苦手」とも話しました。『アサヒカメラ』編集長から「蜷川実花っぽくなくていいよ」というリクエストで始まって、世界各地で撮影したとのこと。「蜷川実花らしくないシリーズ」と話しました。永遠のテーマである「生と死」について迫ったとのこと。ちなみに「『アサヒカメラ』編集長を息子が見ると泣く」と話しました。
「黒」というタイトルのとおり、色彩も被写体も暗くダークな感じ。蜷川らしくないというよりは、写真のメッセージ性がより強まって、より独創的になりました。ドキッとする写真もいくつかありました。写真集になったらおもしろそうです。

美術館の入り口に、サイトスタンパーが設置されていて、携帯電話と触れるだけで蜷川実花オフィシャルモバイルサイト「ninamikaモバイル」にアクセスできます。「ご来場特典」として、無料待ち受け画面とコメントが見られます。

2010年4月17日

ルーヴル美術館展 −17世紀ヨーロッパ絵画−
京都市美術館で開催された「ルーヴル美術館展 −17世紀ヨーロッパ絵画−」に行きました。35万点におよぶルーヴル美術館の所蔵品から71点が出展されました。注目は、日本初公開となるフェルメール作「レースを編む女」(1669-1670年頃)です。
行った日は平日で、しかも雨が降っていたのに、50分待ちの大行列でした。京都展だけで最終的に3ヶ月間で62万人近い入場者があったようです。館内の展示スペースがせまくて残念。もっと広いスペースで見たいです。
画家1人につき出展はほぼ1作。同時代を生きたせいか作風が似た絵が多いです。また、背景が暗い絵が多いです。
お目当てのフェルメール作「レースを編む女」は、前半にありました。サイズが小さくてびっくり。拡大しないと顔の表情が分からないくらいです。この展覧会のポスターやビラに使われていますが、かなり拡大されているようです。余計なことが描かれていないのでシンプル。
その他の作品では、ヴーエ作「エスランの聖母」(1640-1650年頃)が印象に残りました。レンブラント作「縁なし帽を被り、金の鎖を付けた自画像」(1633年)は、口が半開きであまりかっこよくありません。

関連イベントとして、「京都市交響楽団ミュージアム・クインテット」(弦楽五重奏)による「ルーヴル美術館展記念コンサート」が、京都市美術館2階南展示室で開催されました。チケットの半券提示で入場無料です。定員は200名程度でしたが、立ち見も出ていました。
司会は京都市美術館副館長の松木裕治。選曲が凝っていて楽しめました。アヴェ・マリア3部作(カッチーニ、グノー(J.S.バッハ編曲)、シューベルト)の後に演奏されたのは、ラヴェル作曲/亡き王女のためのパヴァーヌ。ラヴェルがルーヴル美術館で見たベラスケス作「王女マルガリータの肖像」(1654年)にインスピレーションを受けて作曲したとされています。ホルスト作曲/木星、サン=サーンス作曲/白鳥に続いて、ボロディン作曲/だったん人の踊り。この「ルーヴル美術館展」のテーマ曲とのこと。アンコールは、ユベール・ジロー作曲「パリの空の下」でした。

2010年4月18日

伊勢神宮展
京都高島屋イベントホールで1週間限定で開催された「伊勢神宮展」に行きました。主催は伊勢神宮式年遷宮広報本部。入場は無料です。平成25年(2013年)に行なわれる式年遷宮(しきねんせんぐう)の広報活動の一環としての展覧会です。
式年遷宮とは、20年に一度伊勢神宮の神殿やご神宝などを新しく作り替えるお祭りです。第1回は持統天皇時代の690年から始まって、以降1300年以上続いています。第62回は平成25年秋にクライマックスの「遷御の儀」が行われますが、式年遷宮は8年間に渡るため、すでに平成17年(2005年)から準備が始まっています。
神殿だけでなく、宇治橋も20年ごとに架け替えます。平成21年(2009年)11月3日に宇治橋渡始式を行なうとのこと。また、800種1600点の御装束や神宝も新調します。もったいないですが、新調することで文化や技術を伝承する意義があるとのこと。檜が1万本以上必要で200年計画で育成しているようです。前のものは再利用したり展示したりしているようです。必要経費550億円のうち220億円を寄付金で賄う予定で、会場内でも寄付金を受け付けていました。入場者を増やすためか、伊勢神宮とは直接関係がない落語会などのイベントを行なっていました。
展示品は、衣装や神事の道具など。土器は1回しか使わないので、年間5万個以上作られるとのこと。工匠や刀匠など多くの人が働いていることが写真で分かりますが、見ていてもあまりおもしろくありません。展示品を見るよりも、配布されたパンフレットを見たほうが理解しやすいでしょう。
内宮近くの「おかげ横丁」には行ったことがありますが、伊勢神宮にはまだ行ったことがありません。機会を見つけてぜひ行きたいです。
2009年8月14日

巨匠ピカソ展
東京・六本木で開催された2つの「巨匠ピカソ展」(「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」・「巨匠ピカソ 魂のポートレート」)に行きました。私が訪れた日(2008年12月14日)が会期の最終日でした。また、この日は私の20歳代最後の日で、20代最後の一日をピカソで締めくくりました。
ピカソの作品を5000点以上所蔵するパリ国立ピカソ美術館が改修される機会に、所蔵作品が世界を巡回し、日本国内で開催されるピカソ展では過去最大規模とのこと。上述したように、六本木の美術館2館で開催されました。観覧料も別々に支払う必要がありますが、2館目は200円割引されました。展示図録は共通で1冊です。最終日ということで、どちらの美術館も込み合っていました。

「巨匠ピカソ 愛と創造の軌跡」(国立新美術館)
国立新美術館は故・黒川紀章の設計で、2007年に開館しました。入口で手荷物検査を受けてから中に入りました。
初期から晩年まで約170点の作品を展示。図録の解説では、「青の時代」「バラ色の時代」「分析的キュビスム」「総合的キュビスム」「シュルレアリスム」「超現実主義的」と時代によって区分されています。ピカソが交際や結婚した女性関係が作品に影響していることに着目した企画です。女性遍歴が詳細に解説されていて、確かに作風に揺れ動きがあることが分かります。エヴァ・グエル、オルガ・コクローヴァ、マリー=テレーズ、フランソワーズ・ジロー、ジャクリーヌ・ロックなどの女性とかかわり、有名な「ドラ・マールの肖像」(1937年)などではモデルとして描かれています。
印象に残った作品として、「マンドリンを持つ男」(1911年)は分析的キュビスムが全開。マンドリンも男も判別不能です。また切り絵で作られた「ギター」(1913年)や、金属を曲げて彩色した「バイオリン」(1915年)もすごい。ブロンズの「オレンジを持つ女」(1934年)は、左右の腕の位置が異なります。
「パリ・国立ピカソ美術館所蔵 ピカソ展 −躰〔からだ〕とエロス−」(2004年 東京都現代美術館)にも出品された作品が含まれていました。「襟飾りの女」(1926年)、「画家とモデル」(1926年)、「白い背景の裸婦」(1927年)、「肘掛け椅子の女」(1927年)、「大きな水浴の女」(1929年)などですが、見たことを覚えているほどインパクトが強烈だったということです。「海辺の人物たち」(1931年)は描かれている2人の表情が幸せそうで、私の好きな作品のひとつです。「朝鮮の虐殺」(1951年)は朝鮮戦争を題材にしています。晩年の作品は粗くなるので、中期の作品が好きですね。

「巨匠ピカソ 魂のポートレート」(サントリー美術館)
サントリー美術館は2007年にオープンした東京ミッドタウンの3階にあります。館内の内装が木でできています。
ピカソの自画像をはじめとする肖像画を展示しています。展示品は約60点と少なめ。自画像が何点か出展されていますが、見たことがない作品ばかりでした。
ピカソ以外の人物が書かれた作品では、「カザジェマスの死」(1901年)は精巧な描写が写真みたいです。キュビスム時代に作られた「口髭の男」(1914年)は切り絵が貼られています。「ピエロに扮するパウロ」(1925年)は妻オルガとの子パウロがかわいく描かれています。「画家とこども」(1969年)や「接吻」(1969年)が強烈。最晩年の作品「若い画家」(1972年)は回想された自画像。帽子をかぶっていてかわいらしい。さらに、ピカソの分身として生み出されたミノタウロス(ギリシャ神話に登場する牛頭人身の怪物)が描かれた作品もあります。

2009年8月14日

ゼラチンシルバーセッション2008「SAVE THE FILM」
art project room ARTZONE(京都)で開催された「ゼラチンシルバーセッション2008「SAVE THE FILM」」に、椎名林檎が作品を出展していると聞いて見に行きました。入場無料でした。カタログが300円で発売されていたので購入しました。
デジタルカメラが広く普及した現在、フィルムカメラや銀塩写真の市場が急速に縮小して消滅の危機にあるということで、銀塩写真の魅力を再発見してもらおうという意図の展覧会でした。写真家26名とゲスト14名の作品が出展されました。カラー写真だったり白黒写真だったり、最近撮った写真から昔のアルバムの写真まで、出展された作品はヴァリエーションに富んでいました。

椎名林檎が何を撮影したのか興味津々でした。リンゴなどを予想していましたが、意外にも顔写真が白黒写真で3枚でした。左から「節子様」「木村様」「梨乃様」の3枚です。椎名林檎とともに活動している関係者のようです。ちなみに、椎名林檎の肩書きは「音楽家」でした。
「節子様 中学生以来の関係性。彼女は現在わたしのマネージャー。」は、椎名林檎と同年代の若い女性が映っています。おそらくマネージャーの川瀧節子さんでしょう。
「木村様 デビュー以来の関係性。彼は、現在もわたしのジャケットデザイナー。」は、木村豊さんと思われます。椎名林檎と創造(クリエイション)チーム「白と黒」を結成して、「ユニクロ UT」からオリジナルTシャツを発売しました。1967年生まれなので40代ですが、写真はけっこう若いです。椎名林檎が撮影した写真ではないのかもしれません。
「梨乃様 高校生以来の関係性。彼女は初めて組んだバンドのドラマー。」は、ロレッタセコハンの元メンバー時津梨乃さんでしょう。歯を食いしばるようにして笑っています。「初めて組んだバンド」とは「Marvelous Marble」(マーブルス マーブル)のこと。椎名林檎(当時は本名の椎名裕美子)のヴォーカルで、1995年「第9回 TEENS' MUSIC FESTIVAL」全国大会に出場し、奨励賞(ひたむき賞)を受賞しています。
また、添えられた椎名林檎のメッセージが思慮深い。「被写体との間の刹那のやり取りが切り取られているものだけを、わたしは写真と呼びます。」と記しています。「被写体との間の刹那のやり取り」とは、具体的には会話であったりアイコンタクトであったりというところでしょうか。写真をやや哲学的に定義づけています。
なお、椎名林檎の楽曲で、歌詞に「写真」が登場する曲があります。「ギブス」(1999年)の歌い出しで、「あなたはすぐに写真を撮りたがる あたしは何時も其れを厭がるの だって写真になっちゃえば あたしが古くなるじゃない」です。私も大好きな曲ですが、この歌詞をストレートに受け取ると、写真を撮影して残すよりは、常に新しい自分と向き合ってほしいというメッセージでしょう。だからといって椎名林檎は写真が嫌いなのかと言うとそうも言い切れません。理由は、椎名林檎が自ら撮影した写真がCDジャケットに使用されているからです。「無罪モラトリアム」や「少女ロボット」(ともさかりえ)で使用されています。

ゲストでは他に、浅野忠信(俳優)、忌野清志郎(バンドマン)、竹中直人(俳優・映画監督)などの写真が出展されています。坂本龍一(音楽家)は音楽で参加、吉永小百合(女優)は自筆の文章が展示されていました。特に印象に残ったのは、深津絵里(女優)。作品名は「3484」。自らを映した3484枚の写真をモザイクのように貼って、大きなカメラの絵を作っています。アイデアがいいですね。サイズも大きいのでインパクトがありました。また、UA(アーティスト)の「銀河の活性化」(2008年)は、男性の尻と妊婦の腹を並べて展示するという意外性がおもしろかったです。
写真家では、椎名林檎を撮影したことがある平間至と蜷川実花が出展しています。平間至の「母子」(1967年)は、幼少期の裸の平間が母に抱かれていますが、表情と構図がいい。「在来線でいこう」(2008年)はよく分かりませんでした。また、蜷川実花の「無題」(2008年)は、花が色鮮やか。小林伸一郎の「少年石膏像」(2006年)は、廃墟の学校?を撮影しています。
また、ネガ(コンタクトプリント)が机に置かれていて、ルーペで拡大して見ることができます。展示作品の前後のコマに何が撮影されていたのかが分かっておもしろいです。展示作品以上に出来がいいと思える写真もありました。
フィルムカメラとデジタルカメラの写真の違いまでは分かりませんでした。佐治晴夫(宇宙物理学者・理学博士)は、その違いをレコードとCDに例えて説明していますが、写真にはレコードとCDのような劇的な変化はないように感じました。フィルムカメラのほうがシャッターを押してから現像されるまでの緊張感はあるでしょうが、すぐに撮影結果を見ることができて、パソコンで加工やデータの送受信もできるデジタルカメラに太刀打ちするのは難しいでしょう。携帯電話にもカメラ機能がついている時代なので、写真の芸術性は薄れていってしまうのではないでしょうか。

2008年11月26日

フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち
東京都美術館で開催中の「フェルメール展 光の天才画家とデルフトの巨匠たち」に行きました。土日はかなり混雑しているということで、1泊2日で平日に行くことにしました。しかし、10月14日(火)はなんと休館日だということに、行きの新幹線で気がつきました。アホすぎ。モバイルサイトで待ち時間を確認したところ、待ち時間なしだったので、13日(祝・月)に行きました。待ち時間はありませんでしたが、場内はなかなかの混雑でした。
この展覧会では、フェルメールの作品がなんと7作品も出展されています。そのうち5作品は日本初公開。フェルメールの作品は世界各国に所蔵が分散されているので、一度にこれだけ多くの出展はまたとない機会でしょう。なお、出展が予定されていた「絵画芸術」(1666-1668年頃 ウィーン美術史美術館所蔵)は、保存状態の悪化により展示が見送りになったとのこと。2004年の「ウィーン美術史美術館所蔵 栄光のオランダ・フランドル絵画展」(神戸市立博物館)で一度見ましたが、もう一度見たかったです。替わりに、「手紙を書く婦人と召使い」(1670年頃 アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵)が出展されました。

出展作品数は40点と少なめ。場内に順路はなく、1階と2階は自由に行き来できました。掲示されている解説が充実しているので、予備知識がなくても楽しめるでしょう。
フェルメールの7作品は、2階に展示されています。展示順に紹介しましょう。実物は写真で見るよりも青白かったです。

「マルタとマリアの家のキリスト」(1655年頃 スコットランド・ナショナル・ギャラリー所蔵)
日本初公開。フェルメール初期の作品で、最初に描いた作品の可能性もあるとのこと。表情がいきいきとしていて、写真で見るよりも立体的に浮き出て見えました。静止画とは思えません。洗浄後にフェルメールのサインが発見されたとのこと。左下の腰掛けに署名が書かれていますが、小さいのではっきり確認できませんでした。

「ディアナとニンフたち」(1655-1656年頃 マウリッツハイス王立美術館所蔵)
1968年と1984年に続いて3度目の来日です。フェルメール唯一の神話画です。右上には重ね塗りで青空が描かれていましたが、洗浄によって除去されました。画面が暗くなって物足りなく感じてしまうので、前の方がよかったかもしれません。

「小路」(1658-1660年頃 アムステルダム国立美術館所蔵)
日本初公開。「デルフトの眺望」(マウリッツハイス王立美術館所蔵)とあわせて、フェルメールで2点しかない都市景観画。描かれた場所はデルフトと推測されていますが、特定されてないとのこと。フェルメール作品で唯一こどもが描かれていますが、小さく描かれているのと、後ろ姿なのでよく分かりませんでした。また、左の戸口に女性が描かれていたようですが、黒く塗り潰されたことが分かっています。

「ワイングラスを持つ娘」(1659-1660年頃 アントン・ウルリッヒ美術館所蔵)
日本初公開。女性が困った顔で鑑賞者を見つめています。右の窓のステンドグラスに手綱を手にした女が描かれているとのことですが、実物ではぼやけて見えませんでした。

「リュートを調弦する女」(1663-1665年頃 メトロポリタン美術館所蔵)
2000年に続いて2度目の来日。かつては「ギターを弾いている」と見られていましたが、最近では「リュートを調弦している」と考えられているようです。女性は窓の外を鋭い視線でにらんでいるようです。右上の地図は描いたとは思えないほど精密です。絵に貼ってあるように見えました。

「手紙を書く婦人と召使い」(1670年頃 アイルランド・ナショナル・ギャラリー所蔵)
日本初公開。過去に2回盗難に遭っているとのこと。窓から差し込む明るい光の当たり方が見事。

「ヴァージナルの前に座る若い女」(1670年頃 個人蔵)
日本初公開。フェルメール唯一の個人蔵作品。所有者は非公開とのこと。2004年にフェルメールの真作と判断されました。フェルメール最後の作品と見られることもあるようです。サザビーのオークションで約33億円(!)で落札されました。そこまでの巨額を投じて手に入れようとは思いませんでした。作品のサイズが小さくてびっくり。食い入るように鑑賞しました。他のフェルメール作品と並べて見ても、完成度は劣らないのでほぼ真作と言ってもいいでしょう。黄色い衣装の女性がかわいいです。

1階と3階には、フェルメール前後に活躍した画家の作品が展示されています。フェルメールが活躍したデルフトは多くの画家を輩出していて、建築、透視法、表現豊かな空間、自然光の利用など、デルフト様式(またはデルフト・スタイル)と呼ばれる作風が見られます。しかし、フェルメール作品の完成度には及びません。フェルメールの作品は、他の画家よりも輪郭がはっきりしていて解像度が高いです。フェルメールを見たあとでは、他の画家はかすんでしまいました。似たような構図やテーマが多く、いずれも遠近法に工夫を凝らしています。
1階に展示されているフェルメール以前の作品では、まずハウクヘースト「ウィレム沈黙公の廟墓があるデルフト新教会」(1651-52年)。教会柱の日の当たり具合がいいですが、遠近法が不自然なので、あまり好きになれませんでした。デ・ホーホ「アムステルダム市庁舎、市長室の内部」(1663-65年頃)は、透視法の不都合を隠すために左上に描かれたという大きなカーテンにびっくり。デ・ホーホは、フェルメールに大きな影響を与えたとされています。ファン・デル・プール「デルフトの爆発」(1654年頃)は、1654年10月12日午前10時半に起こった火薬倉庫爆発で壊滅したデルフトの街を描いていますが、保存状態の悪化で展示見送りとのこと。見てみたかったです。残念。
3階に展示されているフェルメール以降の作品は、フェルメールの影響を受けて描かれていて、よく似ています。上述したようにフェルメールよりも完成度が落ちるので、あまり魅力を感じませんでした。デ・ウィッテ「ヴァージナルを弾く女」(1665年頃)は、フェルメールの「音楽の稽古」(イギリス王室コレクション所蔵)などにかなり似ています。

最近の研究では、X線写真を撮影したり洗浄したりすることで、作品が描かれた過程を知ることができるようになりました。洗浄によって偽の画家の署名が消えて、本当の署名が姿を現すことがあるようです。絵を買わせるためとはいえ、なかなか悪質です。フェルメール作品の過程では、画中の登場人物や静物の性格や特徴を明らかにするよりも、むしろ削除したり塗りつぶしたりすることによって曖昧にする傾向があるようです。鑑賞者に自由に推測させたいということでしょうか。
フェルメール作品で年期が入った作品は、「取り持ち女」(1656年 ドレスデン国立美術館コレクション所蔵)、「天文学者」(1668年 ルーヴル美術館所蔵)、「地理学者」(1669年 フランクフルト・アム・マイン市立美術館所蔵)の3点しかありません。それ以外の作品の製作年は推測です。「真珠の耳飾りの少女」(マウリッツハイス王立美術館所蔵)に描かれたモデルも不明です。また、フェルメールの師はレオナールト・ブラーメル、パトロンはピーテル・ファン・ライフェン、という説がありますが、詳細はまだ分かっていません。今後の研究成果に期待したいです。
日本でフェルメールがブームになったのはつい最近で、2000年頃からとのことです。今後もフェルメール作品の来日に期待したいです。「デルフトの眺望」と「音楽の稽古」は見ておきたいですね。

2008年11月23日

フランス近代絵画名作展
美術館「えき」KYOTOで開催中の「ひろしま美術館所蔵 フランス近代絵画名作展」に行きました。ひろしま美術館が所蔵する作品66点が出展されました。ひろしま美術館は広島銀行によって設立されましたが、民間企業としてはなかなか充実したコレクションです。
目玉は、ゴッホ「ドービニーの庭」(1890年)。ゴッホ最晩年の作品とのことです。絵の具が幾重にも塗られていて、見た目もボコボコしていて立体的です。モネの「セーヌ河の朝(ジヴェルニーのセーヌ河支流)」(1897年)は絵画とは思えないほど。印象派の絵画は近くで見ると細部は適当に描かれています。遠くから見て楽しむべきでしょう。
ピカソの「女の半身像(胸出す女)」(1970年)が強烈な印象を与えました。顔の輪郭が水色で描かれているが奇抜ですが、左手の指は4本、右手の指も4本しかない。「手を組む女」(1959年)もすごい。
ドラクロワ、マネ、ドガ、ルノワール、セザンヌ、ゴーギャン、ムンク、マティス、シャガールなど、多くの画家の作品が出展されているので、初心者もじゅうぶん楽しめるでしょう。
2008年3月19日

「写真」とは何か 20世紀の巨匠たち
大丸ミュージアム・梅田で開催中の「「写真」とは何か 20世紀の巨匠たち美を見つめる眼 社会を見つめる眼」に行きました。14名の海外の写真家の写真が展示されています。ほとんどが白黒写真でした。出展リストが用意されていなくて残念でした。
写真の「芸術性」と「記録性」という2つの側面から展示が構成されています。「記録性」の側面では、戦時中に撮影された写真は迫力がありました。パリ解放や沖縄戦、戦後の内戦など、自らの危険を冒してでも、事実を世界に伝えようとする写真家の使命感を感じました。海外の写真家から見た昔の東京の写真も興味深かったです。「芸術性」の側面では、女性の背中を模したマン・レイの「アングルのヴァイオリン」や、アンドレ・ケルテスの「壊れたベンチ」が印象に残りました。
いまやデジタルカメラやカメラ付き携帯電話の普及で、誰でも簡単に写真が撮影できるようになりました。手軽になった分、写真に対する意識も変わってきたように感じます。カメラの前でポーズを取る緊張度や、写真が持つ芸術性は、以前よりも薄れたといえるでしょう。「写真とは何か」というタイトルは大げさでしたが、かつて写真家が写真を撮るのに傾けた熱意と、現在の写真との差異について考えさせられました。
2008年3月16日

ムンク展
兵庫県立美術館で開催中の「ムンク展」に行きました。ムンクと言えば、「叫び」があまりにも有名ですが、ノルウェーの画家だったんですね。
オスロ市立ムンク美術館が所蔵する作品を中心に、108点を展示しています。兵庫県立美術館は、開館5周年を迎える新しい美術館です。阪神本線の岩屋駅が最寄り駅です。意外に空いていました。
「叫び」は出展されていませんが、「不安」(1894年)、「赤い蔦」(1898-1900年)などムンクの代表作が展示されています。代表作は展覧会の前半に多く展示されているので、最初からじっくり鑑賞されたほうがいいでしょう。
また、ムンクは自分が描いた作品を、連作「生命のフリーズ」として構想していたようです。自分の絵を壁に飾って試行錯誤して並び替えたようです。門型の配置を再現した展示もあって楽しめました。また、構図が似た絵が多いことにも気がつきました。「吸血鬼」「生命のダンス」など、同じ題材で色や背景を変えて描かれた作品があります。
「生命のフリーズ」の他にも、マックス・リンデ邸の子供部屋の装飾「リンデ・フリーズ」、ベルリン小劇場の装飾「ラインハルト・フリーズ」、オスロ大学講堂の壁画「オーラ」、フレイア社のチョコレート工場の女性用食堂の装飾「フレイア・フリーズ」、オスロ市庁舎のための壁画「労働者フリーズ」が展示されています。なかでも、オスロ大学講堂の正面に飾られている「太陽」(1911-16年)は、宗教的な崇高さがあって心が打たれます。
ムンクの作品は、しっかり塗った絵と粗い絵があることが分かりました。また、曲線で縁取られて描かれている作品が多いです。近くで見るのもいいですが、遠くから離れて作品を見たほうがいいでしょう。
2008年3月2日

失われた文明 インカ・マヤ・アステカ展
神戸市立博物館で開催中の「失われた文明 インカ・マヤ・アステカ展」に行きました。南アメリカ大陸に栄えたマヤ文明、アステカ文明、インカ文明の遺品が展示されていました。多くの人で混雑していました。
アメリカ大陸の先住民は、陸続きだったアジア大陸から渡ってきたアジア系だったらしいです。日本人とDNAに共通点が多いとのこと。驚きです。

マヤ文明
密林の中に神殿が突如そびえ立っているのがすごい。マヤ文明はひとつの統一国家ではなく、複数の王が存在する国家からなる多国家連合です。太陽の運行を元に1年を365日とする暦と、260日暦を持っていて、両方の暦を組み合わせた18,980日(52年)からなる大周期「カレンダー・ラウンド」を使用していました。また、金星暦(584日)を存在したとのこと。望遠鏡もなかった時代なのにびっくり。マヤ文字は、文字というよりも絵のようです。これを解読した人は本当にすごい。

アステカ文明
テスココ湖の島に建設されたテノチティトランを中心に栄えた文明です。最盛期のテノチティトランの人口は20〜30万人で、同時代のロンドンよりも多かったとのこと。有名な生贄の儀礼は、オルメカ文明あたりから2000年以上にわたって続いてきた風習とのこと。アステカ文明では多いときには数千人が生贄になったとのこと。それは、世界の自然な運行は、生贄の心臓と血によって人間の自己犠牲の上に保障されるとの考えによります。そのため、捕虜を安定的に供給するための戦争を行なっていたようです。また、王が自らの身体を傷つけるための道具が展示されていました。王は失神状態で神と交信したとのことです。

インカ文明
マヤ文明やアステカ文明と違って、インカ文明は金属器を製作していました。しかし、スペインが征服後に持って帰ったのでほとんど残っていないとのこと。この展覧会では、かわりにモチェ文明(紀元前200年〜紀元後600年)の金属器を展示していましたが、どれも絢爛豪華な輝きを放っていました。反面、文字を持たない文明で、キープと呼ばれる縄に結び目を作って数を記録していました。言語に類する情報も記録されていたのでないかと考えられています。
有名なマチュピチュ遺跡は見る者を魅了しますが、この展覧会では、第9代の王パチャクティの別荘で子孫に受け継がれた私領であるという見解を採用していました。発掘したハイラム・ビンガムは、マチュピチュをインカ最後の都と考えたようですが、現在では否定されています。生活していたのは500人程度とのこと。インカ道(カパック・ニャン)についてビデオで紹介していました。総延長38,600キロに及ぶ道路が整備されていました。
同じ地に栄えたナスカ文明との関連性も指摘できるでしょう。土器のデザインがよく似ています。また、頭蓋骨を変形させたり、治療のために頭蓋骨に穴を開けたりするのはナスカ文明と同じです。ミイラも展示されていました。インカ王のミイラは現存しませんが、ペルー南海岸で栄えたチリバヤ文明(紀元900年〜1440年)のミイラが展示されていました。イヌやクイ(モルモット)のミイラもあってびっくり。インカ文明では食べ物や飲み物が与えられて輿に乗るなど、ミイラが生前と同様の扱いを受けていたとのことです。
ピサロが征服に来たときは、アタワルパとワスカルが王位継承戦争をしていたとのこと。不運ですね。

また、メソアメリカ文明史として、巨石人頭像で有名なオルメカ文明(紀元前1500年〜前300年)の出土品も展示されていました。ベビーフェイスの土偶が、東洋人風の顔立ちで印象に残りました。

2007年12月4日

ピカソ展 −子どものような純粋な心で−
美術館「えき」KYOTOで開催中の「ピカソ展 −子どものような純粋な心で−」に行きました。展示作品約140点はすべて国内所蔵作品で、彫刻の森美術館「ピカソ館」の所蔵がほとんどでした。
今回の展覧会は絵画以外の多く作品を展示していました。ます、大きなタピスリーを展示していました。ピカソがこんな素材で作品を作ったとは意外です。「地中海」(1965年)、「コンポジション1955年夏」(1972年)は、どちらも精巧に織られていました。陶器は作陶からピカソが行なっているようで、焼く前に突起物をつけたり彫ったりしています。丸い皿に顔を描いた作品が多かったです。「牝牛」(1957年)と「牝牛」(1959年)は、同じ大円形皿に描かれていますが、デザインがまるで別人でした。「模様のある皿(裏にみみずく)」(1957年)など皿の裏にも描いている作品もありました。また、タイルや煉瓦に顔を描いた作品もありました。銀器3点も展示されていました。ピカソの手にかかれば、どんな素材でも作品に変えられるようです。
絵画も数点展示されていました。「パイプを持つ男」(1968年)は、背景の塗り方がかなり雑で完成度が低め。「すいかを食べる男と山羊」(1967年)に描かれているヤギは黒い線が多いので、シマウマにしか見えません。
今回展示されていた作品の中で、私が気に入った作品として、シュルレアリスムの影響を受けた「浜辺の三人?」(1932年 エッチング)と「二人の人物」(1957年 舗装用煉瓦)を挙げておきます。
デイヴィッド・ダグラス・ダンカンが撮影した写真も数点展示されていました。ピカソが上半身裸の写真もありましたが、ものすごく毛深くてびっくりしました。
ピカソの展覧会は、「パリ・国立ピカソ美術館所蔵 ピカソ展−躰〔からだ〕とエロス−」(東京都現代美術館)、「ルートヴィッヒ美術館コレクション ピカソ展」(大丸ミュージアム・梅田)に続いて3度目でしたが、ピカソの作品数の多さと想像力の豊かさに驚かされます。しかし、ピカソの魅力はやっぱり絵画ですね。ちょっと物足りなく感じました。
2007年10月2日

ナスカ展
京都文化博物館で開催中の「世界遺産 ナスカ展 地上絵の創造者たち」に行きました。紀元前100年頃から紀元後700年頃まで、南米ペルーで栄えたナスカ文化の出土品を展示しています。人が多くてびっくりしました。
ナスカと言えば地上絵があまりにも有名ですが、地上絵だけではなく土器や織物などを残した文化だったことを知りました。ただし、文字のない文化だったため、まだ解明されていないことも多いようです。ナスカは、意外に太平洋に近い場所にあります。高校の世界史ではあまり習いませんでしたが、ナスカの周囲にもいくつか文化があり、一定の交易はあったようです。灼熱の大地でナスカ人はどうやって生活していたのか気になりますが、地下水を利用していたようです。
土器に描かれた人物や動物は、漫画のように愛嬌のあるキャラクターで、見ていて楽しいです。同じ人が描いたかのように絵柄がよく似ていて、ほとんどが茶色で描かれています。描かれた絵柄の分析もかなり研究が進んでいます。「農民の象形壺」は、男と女をかたどった壺ですが、どちらが男か女か分かりません。「コカを噛む男」は、なぜコカを噛んでいると断言できるのかよく分かりませんでした。また、「超自然的生物」や「人間型の神話的存在」や「増殖型」など専門用語が多くて、一般人には難解です。ナスカ後期になると、図柄が抽象化されていきます。マントなどの織物もとても緻密に織られていて驚きました。展示品の保存状態はとてもいいです。乾燥した気候で雨が降らないためでしょう。
また、ミイラが展示されていました。「ナスカ後期の子供のミイラ」は、黒い瞳が残っているのが珍しい。ファルドと呼ばれる包みに包まれています。また、穴の開いた頭蓋骨も展示されていました。治療のために開けたらしいです。さらに、人工的に変形させた頭蓋骨もありました。なぜ変形させたのかはまだ解明されていないとのこと。じっくり見ている人がいましたが、あまりにリアルで私はあまり見られませんでした。
地上絵(ジオグリフ)は、宇宙人が描いたと思っていましたが、土器に描かれたデザインと似ているので、現在は宇宙人説は否定されているようです。天文学説や水文学説などもありますが、この展覧会では「ナスカ人が儀礼で通った道」であるという説を採っていました。地上絵で描かれている図柄が一筆書きなのも、人が歩いて通ったためらしいです。幅10メートルの巨大スクリーンで、ナスカの地上絵の遊覧飛行が楽しめます。しかし、本当にものすごく広いですね。機会があれば、飛行機に乗って見てみたいです。
2007年9月23日

ダリ展
サントリーミュージアム[天保山]で開催された「生誕100年記念 ダリ展 創造する多面体」に行きました。1904年生まれのサルバドール・ダリの生誕100年を記念した展覧会で、ダリの作品から約180点を展示していました。多くの人が来場していてびっくりしました。
まず、ダリ初期の作品がいくつか展示されていました。「自画像(フィゲラス)」(1921年)は横顔が暗い色調で描かれています。私はけっこう好きな絵ですが、立ち止まって見ている人は少なかったです。「ポルト・アルグエル」(1923年頃)など印象派的な作品も残しています。
1930年代になると、ダリの個性が現れます。「創造する多面体」とはよく名付けたもので、はっきりした輪郭、陰影、巧みな遠近感によって、作品に立体感が生まれています。描かれている線が細くて、驚くほど緻密です。「秋のパズル」(1935年)は同じ形をしたパズルのピースが3つ描かれています。「展覧会のみどころトーク」の説明を聞いた印象では、本当にパズルのピースになっているのかと思っていましたが、なかなか変わった作品です。「狂えるトリスタン」(1938-39年)は、黄色の壁に描かれた黒いピンの立体感が緻密すぎる。「聖セシリアの昇天」(1955年)もキャンバスいっぱいに広がった石の断片のような物体の影のつけかたがとても細かい。「ヴィーナスの夢」(1939年)は、びっくりするほど大きな絵です。ダリの代表作「記憶の持続」(1931年)と同じく、ダリのトレードマークである溶ける時計が描かれています。やっぱりダリは溶ける時計ですね。「無題 燕の尾とチェロ(カタストロフ・シリーズ)」(1983年)は、ダリ最後の作品。晩年になるにつれて使う色が少なくなっていったようで、簡潔に描かれています。
また、1つの絵で2通りに見える「ダブル・イメージ」の手法で描かれた作品も多く出展されていました。「イメージが消える」(1938年)は、ダリが敬愛したフェルメールとベラスケスの作品を融合させています。最初は女性にしか見えませんでしたが、よく見るとベラスケスの肖像が見えてきます。「奇妙な廃墟の中で自らの影の上を心配でふさぎがちに歩き回る、妊婦に形を変えるナポレオンの鼻」(1945年)は、画面中央のナポレオンの顔が、岩と妊婦でできています。作品にかなり近寄らないと分かりませんでした。よくできています。「ヴォルテールの見えない胸像が出現する奴隷市場のための習作」(1941年)は、左に描かれた2人の人物が胸像の顔に見えます。
1939年のニューヨーク万国博覧会で、ダリが制作したパヴィリオン「ヴィーナスの夢」の写真も展示されていました。風変わりな内容にびっくり。パヴィリオンの外観に、レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」とボッティチェリ「ヴィーナスの誕生」が描かれています。また、内部にある「マネキン・ピアノ」は、マネキンを寝かせて身体に鍵盤を描いています。「雨降りタクシー」は実際に天井から水を降らしていたようです。説明文を読んでも制作意図が意味不明でした。かなり個性的なパヴィリオンだったようです。
また、「催淫作用のあるタキシード」(オリジナル1936年/レプリカ1970年)は、催淫効果があるというリキュールを入れたグラスをタキシードにたくさん取り付けられています。まったく実用できませんが、そういうアイデアを作品にしてしまうのがすごいです。
2007年5月5日

ルートヴィッヒ美術館コレクション ピカソ展
大丸梅田店15階の大丸ミュージアム・梅田で開催された「ルートヴィッヒ美術館コレクション ピカソ展」に行きました。ルートヴィッヒ夫妻が収集したピカソの作品約880点のなかから、約100点が展示されました。
ピカソの展覧会は、2004年に東京都現代美術館で開催された「パリ・国立ピカソ美術館所蔵 ピカソ展−躰〔からだ〕とエロス−」にも行きましたが、今回と重複して展示された作品はありませんでした。ピカソは本当に多作な芸術家だと実感しましたが、実際のところ「最も多作な画家」としてギネスブックに登録されているらしいですね。知りませんでした。
今回の展覧会では、ピカソの比較的初期の作品が展示されていて、写実的な作品を残していたことを知りました。「肘掛椅子に坐る女」(1913年)で「総合的キュビスム」がはっきりと現われます。続く、「坐る女」(1938年)では、女は立っているように見えますし、「3人の女」(1943/44年)は図形化された女性の体に衝撃を受けます。絵画作品は全体的に色彩の暗い作品が多かったです。印象に残った作品として、「西瓜を食べる人」(1967年)、「接吻」(1969年)、「サーベルを持つ銃士」(1972年)を挙げておきます。版画作品では、原版も展示されていて見比べることができました。「牧神の頭部」(1962年)は、第1ステートから第6(最終)ステートまで展示されていましたが、意図がよく分かりませんでした。また、陶芸作品では、「5人の牧神の長方形皿」(1956年)は、牧神が触角が生えた宇宙人のように描かれていてユーモアがあります。
また、写真家ロベルト・オテロが撮影したピカソの写真30点も展示されました。アトリエで製作中のピカソの写真など、ピカソの人間味あふれる表情が捉えられています。ピカソの作品はどうも親しめないという人でも、この写真を見ればピカソに親近感が沸いてくるでしょう。
2007年4月17日

ポンペイの輝き
サントリーミュージアム[天保山]で開催された「ポンペイの輝き 古代ローマ都市 最後の日」に行きました。
ポンペイは、高校の世界史の授業で「噴火で消えた町」と教わりましたが、それ以上の知識は持っていませんでした。この展覧会では、西暦79年8月24日のヴェスヴィオ山の噴火で影響を受けた都市、エルコラーノ、オプロンティス、テルツィーニョ、ポンペイを最新の発掘研究の成果が展示されています。研究がとても緻密でびっくりしました。噴火当時にどの建物で誰が何をしていたのか解き明かそうとすることに研究の主眼があるようです。建物には名前を、犠牲者には番号をつけて管理しているのがすごい。犠牲者の身分や性別、噴火当時の行動をリアルに再現しています。ここまで克明に調査できているとは驚きました。
展示品は、犠牲者が身につけていた装飾品や、家にあった家具や像、壁画などが多かったです。金でできた貴金属は、錆びることなく当時の美しい輝きを保っていました。貴金属は、細部まで驚くほど精巧に作られていて、当時の技術水準の高さに驚きました。また、遺体に石膏を流し込んだ犠牲者の型取りが実に生々しい。
発掘が開始されたのは、18世紀と遅く、今も発掘が続いています。なかなかおもしろい研究ですね。興味を持ちました。
「ポンペイ、エルコラーノ及びトッレ・アヌンツィアータの遺跡地域」は、1997年に世界遺産に指定されました。当時の街並みを一般公開しているとのこと。一度行ってみたいです。
2007年1月28日

十八代目中村勘三郎襲名記念展
美術館「えき」KYOTOで開催中の「十八代目中村勘三郎襲名記念展」に行きました。南座で行なわれている「十八代目中村勘三郎襲名披露吉例顔見世興行」にあわせての開催です。
私はまだ歌舞伎を見たことがありませんが、フジテレビの番組「僕らの音楽2」で椎名林檎が中村勘三郎と対談してから少し興味を持っていました。中村勘三郎は紅白歌合戦の司会を務めるなどテレビにも多く出演していますが、前名の「中村勘九郎」のほうがなじみがあります。
この展覧会では、まず「中村勘三郎」の系図が展示されていました。初代の中村勘三郎は江戸時代の人物なので、「中村勘三郎」は400年以上の歴史がある名跡ですが、脈々と続いてきたわけではなく、先代の十七代目中村勘三郎以前は長らく空席となっていましたことを知りました。
ビデオ映像で本番前の化粧の様子を紹介していました。歌舞伎役者の化粧は自分で鏡を見てやるんですね。メイクさんがいると思っていましたが、中村勘三郎が自分で化粧していました。おしろいを塗って、眉毛や唇を描きます。この作業を公演ごとにやるようですが、なかなか大変ですね。舞台で使用した衣装も展示されていましたが、すごく重そうでした。
浅草での襲名お練りの様子や これまでの舞台公演のダイジェスト映像で紹介。竹刀をバットのように振ったり、ダンスを取り入れたり、歌舞伎以外の要素を多く取り入れていました。中村勘三郎のアイデアで行なわれているのでしょうか。伝統芸能だからといって内容を固定化するのではなく、時代に合わせた新しい要素を取り込んでいることが海外でも評価されている理由なのでしょう。なかなかおもしろかったです。
「素顔の勘三郎」コーナーでは、本名の「波野哲明」と書かれた勘三郎の幼少期の写真がたくさん展示されていました。
ちなみに、東京事変“DOMESTIC!” Just can't help it.「喧嘩上等」の途中で椎名林檎が話した「知らざあ言って聞かせやしょう(私のことを知らないのなら言って聞かせてやろう )」という口上は、歌舞伎「青砥稿花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」で使われているんですね。ライヴで聞かれる「黒猫屋」という掛け声も歌舞伎に似せたものなので、椎名林檎ファンは歌舞伎を勉強しておいたほうがいいのかもしれません。
2006年12月11日

吉村作治の早大エジプト発掘40年展
美術館「えき」KYOTOで開催中の「早稲田大学創立125周年記念 吉村作治の早大エジプト発掘40年展」に行きました。早稲田大学客員教授の吉村作治氏が1966年に発掘調査を開始してから今年で40年になるということで、これまでに早稲田大学古代エジプト調査隊が発掘した出土品約200点を展示しています。全品世界初公開です。発掘品は普段エジプトの博物館が所蔵していて、日本ではなかなか見ることができないようです。今回はエジプト政府の全面協力によって実現しました。
展示品は、びっくりするほど小さなシャブティ(副葬品の小像)から、巨大なレリーフまで大きさもさまざま。ガラス容器も展示されていましたが、こんな昔にガラスが生産されていたとは驚きです。
注目は、2005年1月5日にダハシュール北遺跡で発掘された「司令官セヌウ」のミイラマスクと木棺。未盗掘のミイラで、有名なツタンカーメン王よりも古いとのこと。今から3800年ほど前のものですが保存状態はよく、ミイラマスクの青色がきれいでした。また、木棺は意外にも底が深く、周囲には水色で銘文が書かれていて、ミイラが外をのぞけるように「ウジャトの眼」も描かれています。
出土品にヒエログリフがたくさん書かれていましたが、おもしろいですね。解読してみたくなりました。
会場にはびっくりするほど多くの人が訪れていました。エジプトは人気がありますね。
2006年10月26日

ダ・ヴィンチ・コード展
映画編の「ダ・ヴィンチ・コード」をご覧ください。

武満徹 Visions in Time展
東京オペラシティアートギャラリーで開催中の武満徹没後10年特別企画「武満徹 Visions in Time展」に行きました。武満徹が生前に芸術監督を務めた東京オペラシティが主催した展覧会だけあって、関連イベントが多数催されるなど力の入った企画でした。ゴールデンウィーク期間中には、武満徹が音楽を担当した映画を上映する「タケミツ・ゴールデン・シネマ・ウィーク」が開催されました。映画ファンにはたまらない企画だったことでしょう。私が訪れた日にはイベントはありませんでした。残念。
この展覧会には、武満徹が関心を示した芸術作品が数多く出展されていました。有名なものとしては、マン・レイ「剃髪」(1921)。マルセル・デュシャンの頭部を撮影した写真で、「鳥は星形の庭に降りる」(1977)のモチーフとなりました。加納光於「Mirror 33」(1965)や「PLANET BOX−響きと粒子」(1969)、ジョルジュ・マチウ「無題」(1957)などはちょっと理解不能でした。
武満徹が描いた絵画作品も展示されていました。1960年代の描きなぐったような絵から1990年代の透明感のある正方形のデザイン画のような絵まで、作風が変化していることが見て取れました。
武満徹の自筆楽譜の展示も貴重でした。どの曲も鉛筆で丁寧に音符が書かれていました。こんなに美しく楽譜を書く作曲家も珍しいのではないでしょうか。注目は「ノヴェンバー・ステップス」(1967)全曲の自筆楽譜。中盤のShakuhachi(尺八)とBiwa(琵琶)のソロは、五線譜ではなく数字や記号が書かれていました。こんな楽譜になっているとは思いませんでした。また、楽譜には消しゴムで消した跡も残っているので、この作品の成立過程を知るうえで貴重な研究資料となるでしょう。コピーして持って帰りたいくらいです。「遮られない休息?(愛のうた)」の自筆楽譜では、普通の紙に五線を丁寧に引いて、音符を並べています。几帳面ですね。また、「ピアニストのためのコロナ」(1962)、「弦楽のためのコロナ?」(1962)、「弦楽器のための弦(アーク)」(1963)の図形楽譜も展示。図形楽譜を初めて見ましたが、これはどうやって演奏するんですか。
また、武満徹の遺品も展示。御代田の山荘の作曲室に置かれていたピアノや机などがそのまま展示されていました。ピアノの上には日本ショット社から出版されている自作のスコアが積まれていました。机の上には、鉛筆、消しゴム、手動の鉛筆削り、スタンドがあり、ベルクの「ルル」組曲のスコアが置かれていました。武満徹の作曲の現場を知ることができました。その他、黛敏郎から贈られたピアノ、愛用の帽子、ギター、琵琶、ハーモニカ、ケンダマ、カレンダーなども展示。武満徹の生活感が伝わってきました。
この展覧会の公式カタログが出版されていて、展示品の一部の写真が掲載されています(『武満徹 Visions in Time』 Esquire Magazine Japan社、2,520円)。『武満徹著作集』から抜粋された武満徹の文章と、そこで言及された芸術作品が見開きで掲載されていて大変興味深い。武満徹がこんなにいろいろな作品に目を向けて、コメントを残しているとは知りませんでした。驚きです。武満徹が俳優として映画に出演した「おとし穴」「他人の顔」のワンシーンも掲載。また、巻末には「ディスクセレクション40+1」や詳細な「武満徹年譜」を収録しています。武満徹の音楽を聴く人には、必携アイテムと言えるでしょう。
2006年6月6日

大山崎山荘の10年
アサヒビール大山崎山荘美術館で開催中の開館10周年特別企画「大山崎山荘の10年」に行きました。これまで同館で展示してきた作品の中から、要望が多かった作品を約150点展示していました。
アサヒビール大山崎山荘美術館は、もともと加賀正太郎の別荘として建てられましたが、現在はアサヒビールが買い上げ、美術館として運営しています。JR山崎駅から天王山に向かう急斜面の道を歩きました。入口のトンネルのような門をくぐるだけで、レトロな雰囲気を感じました。敷地はあまり広くありません。多くの人が来ていて驚きました。意外によく知られた場所のようです。
山荘美術館は本館と新館からなります。本館は「山荘美術館」の名前どおり、大正から昭和にかけて建築された山荘を修復して使用しています。本館では、アサヒビール初代社長の山本爲三郎が収集した「山本コレクション」を展示。焼物(陶器)を多数展示していましたが、陶芸の魅力は勉強不足でちょっと分かりません。各部屋に棚などに展示していました。2階のテラスからの眺望もすばらしい。喫茶室も設置されていました。
新館は、安藤忠雄が設計。地下にありました。「地中の宝石箱」と題して、西洋絵画を展示。モネの「睡蓮」を5点展示していました。「睡蓮」の他には、「エトルタの朝」「日本の橋」「アイリス」を展示。比較的晩年の作品を展示していました。モネの作品は、奈良県立美術館で開催された「印象派誕生130年記念 モネ‐光の賛歌」で多く見ましたが、今回の展示作品はいずれもサイズが大きい。晩年まで大きな絵を描いたモネの精力に驚きました。ピカソ初期の作品「肘をつく女」や、ドガ「ばら色の踊り子」も展示していました。
中庭の池では、大山崎春茶会「曲水の宴」が開催され、多くの人が集まっていました。胡弓の演奏にのせて、女性が日本語の詩を朗読。そのなかでお茶が点てられ、ふるまわれるという企画でした。日常の喧騒を忘れさせてくれる優雅な雰囲気でした。

その後、近くにあるサントリー山崎蒸溜所へ。1923年に開設された日本初のウイスキー蒸溜所ですが、ウイスキー製造工程の見学が無料で行なわれているということで参加。行ってみると、なんと100人以上が参加。びっくり。
見学ツアーは、ウイスキーの製造工程を順番に紹介。まず、仕込み。この時点では、まだアルコールが入っていないということですが、建物の中に入っただけでものすごく甘いにおいがしました。発酵に続いて、蒸溜。大きな機械で蒸溜されたウイスキーの原酒は、なんと無色透明でした。そして、貯蔵。貯蔵庫には大きな樽が所狭しと積み上げられていました。樽を置いた場所によってもウイスキーの風味が変わるとのこと。奥が深い。貯蔵庫は少しひんやりしていましたが、冷暖房の設備はないとのこと。最後にブレンダーを経て、製品になります。
驚いたのは、製造工程がほぼ全部機械化されていたこと。手作業で製造しているようなイメージがあったのですが、作業員らしい姿は見当たりませんでした。また、ガイドの女性は、説明原稿なしでツアーを引率していました。なかなかすごい。
見学後は、サントリーシングルモルトウイスキー「山崎」12年とサントリーウイスキー「響」(17年)を試飲。「響」のほうが「山崎」よりも甘いという説明がありましたが、よく分かりませんでした。舌が肥えていないですね。また、「山崎の名水」も試飲しましたが、まったくの無味でした。味がない水は初めての味覚でした。

2006年4月26日

古今東西 吹奏楽の楽器たち
大阪歴史博物館で開催中の、春の特別企画「古今東西 吹奏楽の楽器たち」に行きました。大阪音楽大学創立90周年を記念し、大阪音楽大学と大阪歴史博物館が主催。観覧料は、常設展示の観覧料で見ることができます。今回はチケットがもらえたので、タダで見学。大阪歴史博物館は、地下鉄谷町線の谷町四丁目駅からしばらく歩いたところにありました。新しい建物でした。
まず、せっかく来たので常設展を見学。10階から7階まででしたが、いまひとつの内容。大阪の歴史はこんなに安っぽいのかとびっくり。もう少しおもしろく見せられると思うのですが、どこにターゲットを当てたのかよく分からない展示のレイアウトで、大いに期待外れ。大阪の歴史を知りたいなら、大阪城天守閣のほうが資料がよっぽど充実しているでしょう。
「古今東西 吹奏楽の楽器たち」は6階の特別展示室で開催。大阪音楽大学音楽博物館などが収蔵している楽器を、木管楽器・金管楽器・打楽器のカテゴリーに分けて展示していました。この展示の魅力は、とにかく展示されている楽器の種類が多いこと。製作された国や年代が異なる楽器を多数展示していました。これだけ集められるなんてびっくり。フルートだけで40本近く展示されていました。
ただ、昔に製作された楽器は展示されていましたが、現在使われている楽器が展示されていないのが盲点。楽器がどのように進化したかの変遷がよく分かりませんでした。毎日のように楽器を演奏している人には一目見れば違いが分かるかもしれませんが、個々の楽器についての解説が欲しいところです。また、防犯のためでしょうが、楽器がショーウィンドーのなかに入っているのも残念。もっと間近に見たいです。
また、楽器を見ているだけではどんな音色がするのか分からないので、展示されている意味が半減します。やはり楽器は姿かたちを見て楽しむよりも、音色を聴いて楽しむものだと実感。数年前に行った浜松市楽器博物館では、展示されている楽器を使って演奏しながら解説までしてくれてました。こういう展示ではプラスアルファの企画が重要ですね。楽器を目の前にしているのに、館内は静かなので戸惑いました。
大阪音楽大学音楽博物館は、いつも行くミレニアムホールやザ・カレッジ・オペラハウスと離れた場所にあるので、まだ行ったことはありませんが、ビデオやCDの視聴もできるようなので機会を見つけて行ってみようと思います。
2006年3月20日

愛のシャガール展
JR京都伊勢丹7階にある美術館「えき」KYOTOで開催中の「開館8周年記念 愛のシャガール展」に行きました。今年はシャガール没後20年ということもあってか、場内はそこそこ混雑していました。
主に「愛」をテーマにした版画が出展されていました。シャガールの作品の特徴として、作品の上の隅などに人や動物が小さく描かれていることが多く、1枚の作品のなかにもストーリー性を持って描かれているように感じました。遠近感のある構図ではなく、細部もささっと粗っぽく描かれています。配色も見た目鮮やかといった印象はありません。あまり愛らしくない作品もありました。また、人や動物が空中に浮かんでいたり、寝そべっていたりと幻想的。むしろ空想的と言ったほうが適当かもしれません。なかにはエッフェル塔に人間の顔が載っていたりしてちょっと理解できない作品がありました。
今まで知らなかったのですが、シャガールは音楽とも接点があって、ストラヴィンスキー「火の鳥」やモーツァルト「魔笛」の舞台装置の制作を手がけたとのことです。また、ラヴェルのバレエ音楽として有名な「ダフニスとクロエ」をモチーフとした版画42点も出展されていました。ラヴェルの音楽が鳴り出すような雰囲気は漂いませんでしたが、シャガールの作品に接しておけばラヴェルの作品の理解が深まるでしょう。12枚からなる「エルサレムのためのステンドグラス」の下絵では、大聖堂を意識してか音符と思われる記号が並んで描かれていたのがおもしろい。
残念なのはこの展覧会の展示図録が作成されていないこと。せめて出展作品のリストくらいは作って欲しいです(感想を書くのに苦労するので)。
今回の出展作品のなかで目を強く奪われるような作品はありませんでした。シャガールはものすごい数の作品を残したようなので、今回の展覧会だけで評価するのは難しいかもしれませんが、作品に描かれている登場人物が似たような作品が多いので、印象はそんなに変わらないでしょう。
2005年9月27日

ゴッホ展
国立国際美術館(大阪・中之島)で開催中の「ゴッホ展 孤高の画家の原風景」に行きました。ファン・ゴッホ美術館とクレラー=ミュラー美術館が所蔵しているフィンセント・ファン・ゴッホの作品と、ゴッホが影響を受けたとされる画家の作品を展示しています。ゴッホは日本人には人気が高いようで、入館待ち時間が設定されるほど混雑。私が行った日はすぐに会場に入れましたが、それでもかなりの人でした。
今回の展覧会では、ゴッホの作品とゴッホ以外の作品を並列して展示しているのが特徴。また、作品だけでなく、所持品や写真なども展示しています。
ゴッホ初期の作品は、職工を描いた作品など暗い色調の作品が多く見られますが、パリに移ってからは花や風景など色彩豊かな作品を残しました。また、日本の浮世絵が大きなインスピレーションを与えたようで、《花魁〔おいらん〕(渓斎英泉による)》(1887年)などを残しました。鮮やかな色彩にびっくり。晩年に取り組んだ模写も展示されていました。ゴッホは模写を翻訳と捉えていたそうです。
「孤高の画家」と称されることが多いゴッホですが、人生は孤高であったとしても、残された作品が強烈な個性を放っているというわけではなく、意外に他の画家からの影響を受けていることが分かりました。有名な《芸術家としての自画像》(1888年)、《夜のカフェテラス》(1888年)、《黄色い家》(1888年)、《糸杉と星の見える道》(1890年)を見ましたが、感銘はいまひとつ。あまり好きになれませんでした。むしろピーター・ポッター《ヴァニタス》(17世紀前半)、シャルル=フランソワ・ドービニー《夜明けの羊舎》(1861年)、エミール・アデラール・ブルトン《烏のいる風景》(1870年)のような写実的で細部が精巧な作品のほうが私の好みに合うようです。
2005年7月10日

フェルメールが描いた女性像
芸大の課題(絵画批評「フェルメール《音楽の稽古》」)でフェルメールを取り上げた余波で、京都光華女子大学平成17年度春期公開講座「京都光華発 京都・女性・文化」の第3回「フェルメールが描いた女性像」を聞きに行きました。講師は京都光華女子大学短期大学部生活環境学科生活デザイン専攻教授の前田樹男氏。あいにくの天気でしたが、100人ほどが来ていました。
前田氏はフェルメール作品の模写を続けていて、この講座ではフェルメール作品の模写経験を通じて感じたことを解説しました。まず、フェルメールが作品に描いた対象について分析。男性のみを描いた絵は2点(「天文学者」「地理学者」)。風景画は2点(「デルフトの眺望」「小路」)ですが、よく見ると前者は女性2人、後者には女性、お婆さん、男女の子供が描かれています。それ以外の23点は女性のみ、9点が女性と男性が描かれている点を指摘しました。女性のみを描いた作品の多さが目を引きます。
その後、パワーポイントを使って一作品ずつ鑑賞。解説の中で印象に残ったことを挙げると、?作品名は後の人が付けたものでフェルメールは作品名を付けていない。作成年が記されていないのでいつ描いたのかも不明である。?フェルメールが好きな配色は黄色、青色、明るいグレーの3色。この配色をゴッホは絶賛した。?フェルメールの絵に描かれている女性は唇をちょっと開けていることが多くて、描きにくい。「赤い帽子の女」は、フェルメールの真作ではないとする研究者もいるが、この濡れた唇はフェルメールでないと描けない。?ポーズを取った姿ではなく、無心に集中している女性の美しさを描いた画家はフェルメールが初めてである。?この頃の女性は髪を見られないように、頭巾をかぶっている。かぶっていない絵は心を許している間柄であることを示している。?フェルメールは作品全体の構図をよく計算して描いていて、ピンを刺した穴が残っている作品がある。?「真珠の耳飾りの女」は、かかっている布が男性の横顔に見える。など。
絵を描いている視点で話されたので、今までなかなか気が付かなかったことがありました。ただ、講座が1時間という限られた時間だったので、ひとつひとつの作品の説明が短かったのが残念です。前田氏はあと3年ほどでフェルメール全作品の模写を終えたいとのこと。この講座の参加者には、模写作品の個展の案内状を送付してくれるそうです。また、宝くじで1億円が当たったら、日本版のレストラン・フェルメールを開店させたいとのこと。ウェイトレスは青いターバンの少女で、皿にフェルメールの作品を描きたいと語りました。オープンしたらぜひとも行きたいです。
2005年6月12日

マルセル・デュシャンと20世紀美術
万博記念公園から中之島に新しく移転した国立国際美術館のオープン記念展「マルセル・デュシャンと20世紀美術」に行ってきました。美術館は一見小さな建物に見えましたが、完全地下型の美術館で、展示室は地下3階にありました。会期の終わりの方でしたが、ものすごい人でびっくり。
マルセル・デュシャン(1887〜1968/フランス)は、「現代美術の父」や「ダダイズムの巨匠」と称され、20世紀美術に多大な影響を与えた人物とされています。功績として「レディ・メイド」と呼ばれる既製品を用いて芸術作品を制作する手法を生み出したことが挙げられます。最も有名なのは、男性用小便器を用いた《泉》(1917/1964)ですが、他にも《自転車の車輪》(1913/1964)や、《櫛》(1916/1964)、《旅行者用折りたたみ品》(1916/1964)など個性的な作品が多数展示されていました。一方で、彼の活動の核となったとされる《彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(大ガラス)》(1915-23/1980)などは、機械的形象が用いられており、説明がないと何が描かれているのか分かりませんでした。《与えられたとせよ 1.落ちる水 2.照明用ガス》(1946-66/2004)は、彼の死後に公開された「遺作」で、しかも20年間も秘密裏に制作された作品。ヴィデオ映像で映された扉に開いた穴をのぞき込むという斬新な作品。10分ほど並んでようやく見ることが出来ました。
また、この展覧会では「デュシャン以降の芸術」と題して、デュシャンの影響を受けて製作された国内外の作品も展示されていました。シェリー・レヴィーンの《泉(ブッダ)(デュシャンによる)》(1996)と、ナム・ジュン・パイクの《マースによるマース》(1975)が目を引きました。あのジョン・ケージの作品《マルセルについては何も言うまい》(1969)も展示されていましたが、全体的にやはり二番煎じの感は否めません。
すごく面白いと感じる作品もあれば、さっぱり意味が分からない作品もありましたが、自分の好みを見つけていきたいです。絵画や工具だけでなく、映像や音楽などいろいろな材料を組み合わせて表現する手法も興味深かったです。
2004年12月25日

パリ・国立ピカソ美術館所蔵 ピカソ展 −躰〔からだ〕とエロス−
東京出張を利用して、東京都現代美術館で開催中の「パリ・国立ピカソ美術館所蔵 ピカソ展 −躰〔からだ〕とエロス−」に行ってきました。1925年から1937年までのピカソの作品約160点(うち94点は日本初公開)を、7つのテーマに分けて展示しています。ピカソは生涯に8万点に及ぶ作品を残しましたが、今回の展示では鉛筆や墨で描かれた作品が多かったです。
全体の感想ですが、率直に言って個々の作品で何が描かれているのかよく分かりません。「白い背景の裸婦」(1927年)や「小屋を開ける水浴の女」(1928年8月9日)、「女の頭部」(1931年)などは、これが人間なのかという疑問がわいてきます。人間の顔なのに目がない、鼻がない、口がない、というのはごく普通で、一方で手足が異常に巨大化された作品がありました。ピカソは人間を構成しているパーツをいったん取り外し、本当に必要なものだけを選んで描いているように感じられました。それでも作品を目にすると、胸が詰まるような存在感がありました。使用している素材も、砂、封筒、水切りボウルなど種類が豊富。この短い時期に描かれた作品を観るだけでも、常に新しい作品を追い求めていたことが感じられました。
印象に残った作品として、「大きな水浴の女」(1929年5月26日)、「カップル(交接)」(1933年4月20日〜22日)、「横たわる裸婦」(1932年4月4日)、「ラファエロとラ・フォルナリーナ」(1968年8月29日〜9月9日)を挙げておきます。
現代美術は少し難しいですね。作品で描かれている線や点がそれぞれ何を表しているのか完全に理解できるのはピカソだけではないでしょうか。このタイプの作品はもう少し目が肥えてからでないと理解しにくいかもしれません。
2004年11月20日

モネ
奈良県立美術館で開催中の「印象派誕生130年記念 モネ‐光の賛歌」に行ってきました。その名の通り、モネ初期から晩年までの作品を50点ほど集めた展覧会です。
モネが出品した「印象、日の出」(1873年)から「印象派」という言葉が生まれたことは改めて説明するまでもありません。のちにドビュッシーの音楽を批評する際にも「印象派」と形容されるようになりました。
モネの絵は、近くで見るよりも遠くから見たほうが美しく見えます。作品を間近で見ると、なんでこんなところに黄色を使うんだとか、ここの筆遣いはもっと細かいほうがいいのではないか、と感じることがあります。しかし、10歩ほど離れて見ると、空に浮かぶ雲や霧に包まれた風景に、立体感や奥行きが生まれてくるから不思議です。「光の賛歌」とはよく名づけたもので、モネが遠近感を意識して作品を描いたことがよく分かりました。残念ながら購入した展示図録の写真ではそれらがまったく表現されていません。やはり実物でなければダメですね。
また、普段は別々の美術館に所蔵されている連作作品(「国会議事堂」や「ウォータールー橋」)がすぐ隣に展示されていて、作品比較ができるのが大きな魅力です。
印象に残った作品をいくつか挙げます。初期作品からは「ルエルの眺め」(1858年)、川に映った風景の透明感が最高。中期作品では「モンソー公園、パリ」(1876年)、「断崖の近くの船、プールヴィル」(1882年)、「ポール=ヴィエのセーヌ川」(1894年)、「霧の中の太陽」(1904年)。「睡蓮」連作では、有名な「睡蓮、水の光景」(1907年)を見ることができてうっとりしましたが、それよりも晩年の「睡蓮」(1918-19年)と「日本の橋」(1918-1924年)に心を打たれました。白内障でモネの目が見えなくなってしまった時期の作品で、まるで別人のような荒々しい筆致と赤を中心とした強烈な色彩で描かれています。作品としての評価は低いようですが、モネの感情が乗り移ったような作品に強い衝撃を受けました。
モネの作品は、意外にも日本の美術館でも多く所蔵しているようです。また機会があれば見に行こうと思います。
2004年11月9日

画家のアトリエ
神戸市立博物館で開催中の「ウィーン美術史美術館所蔵 栄光のオランダ・フランドル絵画展」に行ってきました。芸大の課題で絵画批評のレポートを書かないといけないのと、今年はあらゆるイベントに学生料金で入場できるメリットがあるのでいろいろ行っておきたいのです。
お目当ては、オランダの画家、フェルメールが描いた「画家のアトリエ(絵画美術)」。フェルメールの作品は周知の通り、全部で34点しか残されていません。寡作の画家ですが、その分1つの作品の出来はすばらしい。「画家のアトリエ」はそのなかでも傑作として評価が高い作品で、第2次世界大戦中はあのヒトラーが所持していました。めったに貸し出しが許可されない作品らしく、今回がアジア初公開とのことです。
実際に作品を観た感想ですが、あまりサイズは大きくありませんでした(縦120cm×横100cm)。もっと大きな絵だと思っていたので、少しがっかり。描かれているアトリエの内部も狭い印象です。しかし、逆に言えば、部分的な拡大にも耐えられる実に緻密な作品だと感じました。細かな線や点はどうやって描くのでしょうか? 自画像とされている男性の後ろ姿はどっしりとした存在感があり、画家としての誇りを感じます。色調は画集に載っている写真よりも明るかったです。写真だとどうしても全体が暗く写ってしまうのでしょう。
会場はかなりの人で混雑していました。映画「真珠の耳飾りの少女」の影響もあって、フェルメールが脚光を浴びているようです。
絵画展に行くのは今回が初めてでしたが、なかなか面白いですね。今回は利用しませんでしたが、有料で音声解説用のイヤホンを貸してくれたりするので、初心者でもじゅうぶん楽しめると思います。展示図録を買ってきたので、しばらくこれで勉強しましょう。10月10日まで開催中なので、興味のある方はぜひ足を運んでみてください。
フェルメールの作品は、くっきりとした輪郭があって何かしら主張を感じさせる作品が多いように感じます。印象派のぼんやりした絵はどちらかというと苦手です。フェルメールでは「画家のアトリエ」ももちろん好きですが、「音楽の稽古」がお気に入りです。ひっそりとした奥行き感がいい。これをレポートのテーマにしましょう。
2004年08月23日