特別コンサート ヴァレリー・アファナシエフ「展覧会の絵」


   
      
2013年6月23日(日)14:00開演
滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホール

ヴァレリー・アファナシエフ(ピアノ)
浅田彰(アフタートーク聴き手)

ドビュッシー/前奏曲集第1巻より第6曲「雪の上の足跡」
プロコフィエフ/風刺より第2番「間のびしたアレグロ」
ショスタコーヴィチ/24の前奏曲より第14番
プロコフィエフ/風刺より第1番「嵐のように」
ドビュッシー/前奏曲集第1巻より第10曲「沈める寺」
ムソルグスキー/音楽劇「展覧会の絵」

座席:S席 1階1O列17番


アファナシエフの生演奏を初めて聴きました。ムソルグスキーの「展覧会の絵」を音楽劇に仕立てた演奏会です。1987年に初めて上演され、日本では1994年と2009年にも上演されました。今回はびわ湖ホールのみで再演されました。演奏会終了後にはアファナシエフによるアフタートークも開催されるというまたとない機会となりました。

チケットは、びわ湖ホールのホームページから、クレジットカード決済で購入できました。チケットは当日会場で受け取りできるので、とても便利になりました。ホールに早く着いたので、カフェラウンジでティータイム。琵琶湖が見渡せていい眺めです。
びわ湖ホール中ホールは初めてです。もともと演劇向きのホールで、客席は804席。この日はステージを前に拡張していたので、692席でした。客席はほぼ満席。

プログラム1曲目は、ドビュッシー作曲/前奏曲集第1巻より第6曲「雪の上の足跡」。アファナシエフが登場。客席に軽く会釈しただけで、観客からの拍手にほとんど応えることなく、まっすぐ歩いてピアノのイスに座りました。服装は上下とも黒色。髪の毛は後ろの髪を長く伸ばしていました。
椅子に座るとすぐに演奏を始めました。アファナシエフのピアノははっきりした打鍵。しかし、腕に力を入れて弾いているようには見えません。むしろ鍵盤にはやさしく触れるような弾き方です。弾き終わった手はふわっと上にあげます。演奏中に頭はあまり動かしません。最後の音を弾き終わると、手をあごにあてて考えるような仕草をしました。響きが消えると、そのまま2曲目プロコフィエフ作曲/風刺より第2番「間のびしたアレグロ」。速いテンポ。ところどころショパンのような響きがしました。続いて3曲目ショスタコーヴィチ作曲/24の前奏曲より第14番。高音が鮮やか。最後の一音が消えるまでふたたび考えるような仕草。続けて4曲目はプロコフィエフ作曲/風刺より第1番「嵐のように」。最後の5曲目はドビュッシー作曲/前奏曲集第1巻より第10曲「沈める寺」。印象派の作品ですが、ぼんやりしたところはなく、力強いタッチで和音をぶつけるようにはっきり聴かせます。弱奏では和音が意味深く聴こえました。意外に速めのテンポでした。5曲弾き終わると、退場しました。
5曲を続けて演奏したということは、この5曲で1つの作品と考えているということでしょう。なにかテーマ設定があるでしょうが、何を表現したかったかは分かりません。3人の異なる作曲家の作品を続けて聴く機会はなかなかありません。誰が作曲したかというのはあまり重要ではないのかもしれません。ドビュッシーがおもしろく聴けました。アファナシエフはドビュッシーの録音を残していないようですが、「前奏曲集」を全曲聴いてみたいですね。最初の4曲は短く、意外に速いテンポで演奏されたので、前座はあっという間に終わってしまい、20分ほどで休憩に入りました。

休憩後のプログラム6曲目は、ムソルグスキー作曲/音楽劇「展覧会の絵」。ピアノの横には、木製の丸机とひじかけ付きの椅子が置かれています。アファナシエフは登場するとピアノには向かわず、まず丸机に置かれた白い紙を手に取りました。続いて、椅子にかけられた緑色のガウンのにおいをかいで、ため息をつきました。その後、ガウンを羽織って椅子に足を組んで座り、英語で話しはじめました。高い声でした。セリフの日本語字幕が、ステージ後方の黒いホリゾントに白字で表示されました。
まず、レーピンによるムソルグスキーの肖像画について紹介。アファナシエフがガウンを着ているのはムソルグスキーになりきっているという意味でしょう。「世界は巨大な病院」「全て終わりだ なんという不運!」と言って泣いて見せました。机に置かれた透明の液体(ウォッカ?)を鼻をつまみながら飲んでむせました。続いて、赤ワインをグラスをまわしながら飲みました。この赤ワインはプログラムによると、太田酒造株式会社提供の琵琶湖ワイン(シャトー・コート・ド・ビワ(赤))とのこと。ムソルグスキーは周囲の厄介者だったことが語られ、ガウンを脱いで、ピアノに移動。いよいよ「プロムナード」から演奏がスタート。けっこう速いテンポです。続く「グノームス」は、1991年に録音されたCDよりもずいぶん速い。38小節(Poco meno mosso,pesante)からはmf指定ですが、大きな音量で弾きました。テンポを揺らしながら演奏。演奏が終わるとまた話が始まりました。
2回目の「プロムナード」はリズムを崩して即興的に演奏。「古城」は、左手のテンポが一定ではありません。演歌のような歌い回しと言えるでしょうか。
演奏が終わるとまたガウンを着て椅子に座りました。机に置かれた赤い装丁の楽譜を見ました。「テンポが遅くて俺の音楽は評判が悪い」という自虐的なセリフでは客席から笑いが起こりました。また、「古くてもやっぱり城だ!」「演奏のたびに立て直すべきだ 各人に自分だけの城を」と力説しました。
「テュイルリー、遊びの後の子供の喧嘩」はゆっくりしたテンポ。リズムやテンポにしばられない弾き方でした。休みなく「ビドロ」。低音を力強く鳴らしました。
弾き終わると、またまたガウンを着ました。ステージ中央に土下座して話しました。「ロシアの民はいつでも飢えている」「ビドゥオ なんという言葉!」。「ビドロ」を「ビドゥオ」と発音しました。「ドビュッシー、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチ」と作曲家を列挙するところで、最後に「ヴァレリー・アファナシエフ」と自分の名前を付けくわえたのがおもしろい。
4回目の「プロムナード」は、低音を大きく盛り上げました。「卵の殻をつけた雛のバレエ」は遅めのテンポ。「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」は、アファナシエフなりにアレンジされて、かなり崩した弾き方。行書体の演奏と言えるでしょう。
演奏が終わるとふたたび話。「各人に自分だけの立法書」と語り、ワインを飲んで、「ハカ(死)よりはアカ(共産主義)」と話しました。哲学的で難しい内容でした。
5回目の「プロムナード」は速めのテンポで流しました。「カタコンベ(ローマ時代の墓)」は音符を強打。予想したほど遅くありません。Con mortuis in lingua mortuaからは右手で弾くパートが大きめ。
演奏後の話は「多数派は常に正しい」「各人に自分だけのマクドナルド」「芸術のみが歴史を擁護できる」と話が膨らみました。
「鶏の足の上に立つ小屋(バーバ・ヤーガ)」は、95小節からのAndante mossoが速いテンポ。「キエフの大門」は冒頭は柔らかい打鍵から始まり、次第に力強い打鍵となりました。低音をはっきり聴かせて盛り上げました。
演奏終了後は、丸机のところまで歩き、最後は椅子に座って、両手を震わせながら透明の液体を飲んだところで照明が消えました。
音楽劇ということでしたが、ムソルグスキーになりきったアファナシエフが演奏の合間に演技や話をするスタイルでした。レクチャーコンサートのようなことがしたいのでしょうか。試みとしてはおもしろいですが、演奏がとぎれとぎれになってしまうのが欠点です。アファナシエフの考えをプログラムに掲載してくれれば、音楽劇でなくてもよいと感じました。台本があるならぜひ出版してほしいです。セリフをよく覚えていますね。なお、字幕に「今宵」と表示されたので、もともと夜に上演することを想定しているようです。
演奏は予想していたよりも速めのテンポでした。地を這うような遅いテンポを予想していたので、期待が外れました。プログラムに掲載された青澤隆明の文章「アファナシエフの絵‐額縁の奥の幻想」にも「ここ数年、アファナシエフの演奏は、ずいぶんと快速に、つまり楽譜がふつうに要求する時間感覚に近づいている。」と書かれてあり、最近のアファナシエフの演奏に全体的に見られる傾向なのでしょう。たまにミスタッチがありました。ワインを飲んだからでしょうか。

休憩後に、ステージ上でアフタートークが行われました。ピアノの前に椅子が2つ並べられ、向かって左にアファナシエフが座りました。聴き手は京都造形芸術大学芸術学部教授の浅田彰。向かって右側の椅子に座りました。トークは英語で行なわれ、浅田彰がアファナシエフにインタビューしてそれを逐次通訳しました。アファナシエフはマイクがいらないと思われるほど大きな声で、とても早口でした。無口なのかと思っていましたが、とてもよくしゃべりました。ピアノはゆっくり演奏するのに、話すスピードが速くて意外でした。浅田彰はクラシック音楽に対して詳しい知識を持っていて、的確に訳しました。
最初の質問は「「展覧会の絵」を音楽劇という芝居にするアイデアはどこから来たか」。アファナシエフは「「展覧会の絵」を上演するクロアチアの人形劇に出くわした。そこではムソルグスキーの手紙を読んだりしていたが、間が悪かったので、ちゃんとした台本を書こうと思った。あるとき人形劇団が来れないことがあり、一人きりになったときに今回のバージョンができた」と語りました。詳しい経緯は、プログラムに掲載されたアファナシエフの2003年のメモに書かれています。「演奏と演じることのギャップは最初難しかった。今では一人で演技と演奏をすることを楽しんでいる」と話しました。さらに「作品の決定版は誤解を招くもの。作品には他のアスペクト(様相)が入っている」とも語りました。
続いての質問は「ムソルグスキーの歴史上の位置についてどう考えるか」。アファナシエフは「「ポスト○○」のように無限のコメンタリーがある。記憶から成り立つ人生も似たようなもの。アーティストがコメンタリーを続けるのは大事なこと。例えば、ショスタコーヴィチの「24の前奏曲」は、ムソルグスキーに対する雄弁なコメンタリーである。ムソルグスキーはロシアの作曲家にとって非常に重要な源泉であり続けている。無視できない存在で、不思議なプレゼンスがある」と語りました。
続いては「「展覧会の絵」の原曲には唐突な変化があって現代的に響くが、そのことについてどう思うか」。アファナシエフは「ダンテの神曲のコメンタリーを書いたが、いろんな翻訳が原文を豊かにすると感じた。いろんなバージョンも重要で、ムソルグスキーのオマージュとして宝箱のようなもの」と語りました。
続いて「「展覧会の絵」をコンサートでやるのと演劇でやるのとで、演奏は変わるか」。アファナシエフは「自分では分からないが、演奏に何らかの影響を与えている。演劇版では悲劇的側面やアイロニカルな部分がより強調される」と語り、エリツィンそっくりの歌手がボリス・ゴドゥノフを演じたのを見たことがあると話しました。
「ムソルグスキーの歴史的なペシミズム(悲観主義)についてどう考えるか。ムソルグスキーは不幸だと言って死んだが、彼の生涯は本当に不幸だったか」の質問には、「ビドロはそういうもの(ペシミズム)として受け止めている。スコアにはラレンタンドが書かれているが、無視して演奏して、盲目的前進というものを表現した。盲目的前進はショスタコーヴィチやドストエフスキーにも似ているところがある。今はフランスのヴェルサイユに住んでいるが、ベルギーに戻る。私の生涯はcage(檻)の中に入っている気がする。グローバル資本主義になって悲観主義的に見ている。振り子理論はあるが、金がすべてを飲み込んだ。マーケットに反体制が無視される可能性がある。それは検閲と同じくらい恐ろしい。私自身も市場から無視されているほうだが、自分にとっては悪いことではない。追い詰められることによって強くなる」と話しました。
ここでオーディエンスからの質問に答えました。1人目は「同じ曲を何回も弾かれているが、東京で演奏されたブラームスはデンオンの録音とずいぶん違う。テンポが速くなっているが、解釈を変更した理由はあるか」という的を得た質問。アファナシエフは「昔の録音のコメンタリーとは思わないが、人生に対するコメンタリーかもしれない。自分の人生がずいぶん変わったから。同じ曲を弾くのではなく、常に別なスタイルでやりたい。グールドのように同じスタジオで同じピアノで弾くことは自分には耐えられない。意に沿わないピアノでもうまくやっていくことが重要なこと。自分の前のレコードは聴かないし、忘れてしまった。自分がより独立したものになった。大きな自由に直面するが、それは恐ろしい」と答えました。
2人目の質問は「音楽劇の題材としてなぜムソルグスキーを選んだか」。アファナシエフは「先ほど話したように偶然である。シューマンの「クライスレリアーナ」の物語も作っている。他にも演劇的にやってもいいが、将来的にやるかもしれない」と答えました。
最後に、浅田彰が今度はいつ来日するかを質問。アファナシエフは「日本に対する愛がある。暮らし方や食事など。次回は来年6月に来る」と話し、1時間に及んだアフタートークが終わりました。

アフタートーク終了後に、ホワイエでアファナシエフのサイン会が行われました。100人ほどが並びました。すでに持っていますが、1991年に録音された「展覧会の絵」のCD(デンオン COCO-73150 1200円)を購入しました。アファナシエフはにこやかに登場しました。「京都にも来てください」と言いたかったのですが、英語で言えませんでした(恥)。写真で見ると気難しい性格のように見えますが、意外にもファンサービスが豊富で驚きました。著書も出版しているので、アフタートークなど演奏以外でも自分を表現したいのでしょう。

アファナシエフの演奏テンポが速くなったことに驚かされた演奏会でした。チェリビダッケやグールドのように、歳を重ねるとテンポが遅くなる音楽家が多い中で、アファナシエフのようにテンポが速くなるのは珍しいのではないでしょうか。青澤隆明によるとアファナシエフは「還暦を過ぎてさらに自由になった」と語っているようです。遅いテンポから脱却したアファナシエフが今後どのような演奏を聴かせてくれるか楽しみです。
なお、アファナシエフは指揮者としても来日していて、2003年には新日本フィルを指揮してシューベルト/交響曲第7番「未完成」とブルックナー/交響曲第9番を演奏しました。行けなかったので今でも後悔しているのですが、最近は指揮者としては活動していないようですね。残念。

(2013.7.3記)


カフェラウンジから琵琶湖を望む 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホール アファナシエフサイン会



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