第21回京都賞記念ワークショップ 思想・芸術部門シンポジウム「アーノンクール イン 京都」


   
       2005年11月12日(土)13:00開演
国立京都国際会館大会議場

開会挨拶 稲盛豊実(稲盛財団専務理事)
受賞者紹介 佐野光司(審査委員会委員 桐朋学園大学教授)
受賞者講演とパネル討論「アーノンクールは語る/アーノンクールと語る」
 座長:伊藤信宏(専門委員会委員 大阪大学助教授)
 受賞者:ニコラウス・アーノンクール
  講演:「The Charm of Music Notation(楽譜の魔力)」
 パネリスト:荒川恒子(「古楽コンクール(山梨)」実行委員会委員長 山梨大学教授)
       鈴木雅明(バッハ・コレギウム・ジャパン音楽監督 東京藝術大学教授)
       樋口隆一(明治学院バッハ・アカデミー芸術監督 明治学院大学教授)
公開演奏指導 ニコラウス・アーノンクール指揮/京都フィルハーモニー室内合奏団
  (モーツァルト/交響曲第33番より)

座席:全席自由


アーノンクール25年ぶりの来日です。第21回京都賞の授賞式後に行なわれたシンポジウム「アーノンクール イン 京都」を聴きに行きました。入場は無料ですが、整理券が必要です。京都新聞のホームページで記事を見つけて即座に申し込みました。
京都賞とは、「科学や文明の発展、また人類の精神的深化・高揚に著しく貢献した方々の功績を讃える国際賞」で、財団法人稲盛財団が運営しています。先端技術部門、基礎科学部門、思想・芸術部門の各部門に毎年1賞、計3賞が贈られます。アーノンクールが受賞した思想・芸術部門は、音楽、美術、映画・演劇、哲学・思想を対象としていて、これまでに、オリヴィエ・メシアン、ジョン・ケージ、ヴィトルト・ルトスワフスキ、イアニス・クセナキス、ジェルジ・リゲティ、安藤忠雄、黒澤明といった方々が受賞しています。
このシンポジウムに先立ち、前日には「第21回京都賞記念講演会」が開催されています(平日の昼だったので行けませんでした)。アーノンクールは「マリオネットからオーケストラへ」というテーマで講演しました。

会場の国立京都国際会館は、京都市営地下鉄の国際会館駅が最寄り駅です。地下鉄に乗っている人がいつもよりかなり多かったので驚きました。駅の改札口から会場までかなりの混雑ぶりでした。他の2部門も同じ時間帯でシンポジウムが開催されたようです。「アーノンクール イン 京都」の会場は、一番大きい大会議場(MainHall)。「京都議定書」を採択した地球温暖化防止京都会議などで使用された会場です。入口で同時通訳レシーバーを受け取って中へ。着いたのが遅かったので席はだいぶ埋まっていましたが、前から3列目の右端の席を確保。報道陣もかなり来ていました。
しばらくすると、同時通訳レシーバーの使い方について放送がありました。日本語、英語、ドイツ語の3ヶ国語で同時通訳が行なわれるとのこと。定刻通り13時にスタート。アーノンクール氏が現れ、フロアの最前列に座りました。私の席からもかなり近い距離でした。背が高いですね。スーツ姿で赤色系のネクタイをしていました。稲盛財団から開会挨拶があった後、京都賞審査委員会委員である佐野光司氏が受賞者アーノンクールの紹介。贈賞理由は配布されたパンフレットに「古楽演奏の確立に貢献し、古楽演奏の視点から近現代音楽の作品でも新鮮な解釈を行っているオリジナリティに富む演奏家」と掲載されていました。佐野氏はこれに加えて「アーノンクール氏は単にオリジナル楽器を使うのは、博物館的趣味に陥るため否定的である」「作品が持つ歴史的背景、当時の考え方、演奏習慣を研究している」「作品を美しく演奏するのを退けている」「修辞と弁論が音楽に関連があることを指摘し、音楽が対話として持っていたメッセージを忘れてしまった現在において、本来の言語としての機能を復権させたいと考えている」「時代の主張を音楽に生かす方法論を確立した」など、アーノンクールの功績を紹介しました。

つづいて、受賞者講演に移り、アーノンクールが壇上へ。講演は「The Charm of Music Notation(楽譜の魔力)」。用意してきた原稿を英語で読みました。ステージのスクリーンに譜例を映しながら講演。英語はアクセントが強めではっきり通る声でした。講演内容は、かなり理論的で難解。アーノンクールは指揮しながらこんなに難しいことを考えていたのかと驚きました。指揮者の講演というよりも、音楽学者や研究者の講演といったほうがふさわしいでしょう。パンフレットに講演要旨が掲載されていましたが、実際の講演はこれをかなりふくらませていました。ただ、同時通訳がなかなかスムーズに進まず、途中で止まったりしました。こういう専門的な講演を通訳を通して聞くのはなかなか厳しいですね。講演の通訳をひたすらメモしつづけるのは困難で、アーノンクールが話したかったことが理解できたかどうか自信がありません。間違っていたらすいません。参考程度にお読みください。アーノンクールの著書『古楽とは何か : 言語としての音楽(Musik als Klangrede)』(1997年、音楽之友社刊)に記載されている内容もあったので、この著書を読まれることをおすすめします。というか、このシンポジウムの報告書は出版されないでしょうか。絶対に売れると思います。
以下、講演の要旨。「楽譜が表していると考えられるものに、「楽曲そのもの」と「演奏者に対する演奏法のアドバイス」の2点がある。バッハの場合はほとんどが「楽曲そのもの」であるから、バッハの演奏は楽譜に書かれていることをそのまま演奏すればよい。また、楽譜に全音符が書かれていたとしても、ピッチや音階によっては、短いかもしれないのだ。マタイ受難曲の複付点を例にとって考察すると、楽譜に書かれたリズムと本当のリズムには差がある。では、なぜ作曲家は演奏して欲しい通りに楽譜に書かないのか。それは、作曲家と演奏者の役割が違っていたからである。作曲家がいろいろ書くとスコアが汚くなる。作曲家は演奏者がバカで機械のように見ているかのように思われてしまうからである。私は当時の演奏家はスラーをつけていたと思ったから、スラーをつけて演奏したことがある。スラーをつけるのは作曲家の役割ではなく、演奏者がすることである。モーツァルトくらいからアーティキュレーションを作曲家が決めるようになった。演奏者がスコアに手書きしたアーティキュレーションはスコアを印刷すると、作曲者が書いたものなのかどうか分からなくなってしまう。また校訂者の意見が反映されることもある。アーティキュレーションを統一する必要はまったくない。」

続いて、3人のパネリストをまじえたパネル討論。いずれもかなり専門的な内容でした。アーノンクールは講演は英語で話しましたが、質問に答えるときはドイツ語で話しました。樋口隆一氏から出された校訂法の質問は強い口調で否定していました(内容はよく分かりませんでしたが)。通奏低音は「飛行機の音のように音楽的な意味はない」と語りました。また、音楽教育については、「音楽の基礎を教えていない」と語りました。荒川恒子氏からは「当時の教本に書いてあることは当時そのように演奏されていたのか」という質問。この質問には、「教本はある様式が円熟したときに書かれる。教本に書いてある以上、すべての人が演奏していたわけではないが、何を前提としていて教本に書かなかったのか考える必要がある」と語りました。また、鈴木雅明氏からは「モダンオーケストラを指揮するときのアプローチの違いは何か」という質問。アーノンクールは「楽器が違うので同じことは伝えられない。技術的には古楽器で演奏するほうがやさしい。バッハ、モンテヴェルディ、モーツァルトを大オーケストラで演奏するには、グループを作って演奏することになる。これらの作曲家の作品が大オーケストラのレパートリーからなくなってしまうのはまずいので、そういう動きは尊重したい」と答えました。ちなみに、頭を切り替えるために、ブラームスなら5日間、ドヴォルザークなら2週間のインターバルは欲しいと語り、フロアの笑いを誘っていました。鈴木氏がさらに「その場合、弓とか弦とかピッチとかは具体的にどうするのか」と聞いたところ、アーノンクールは「演奏者数は演奏会場によるものだ。現在ではアーティキュレーションが何かを教えられていない。どう始まりどう終わるか教える必要がある」と述べ、「音楽にヴィヴラートしない文化はない。ヴィヴラートは音を強調する飾りで、メロディーを歌にする」と述べました。また、これは誰に対する答えだったか失念しましたが、「演奏者が作曲家に仕えてはじめて作品が語る。リスクを冒してでも作品が持っている美を追求すべき」と語りました。もうひとつ、音楽が商業化していくことについて、「ルーティンワークになってしまえば終わりである。他の仕事を探せばよい。」と述べ、「芸術には聴衆に伝える情熱が必要。理想に燃える情熱を持って欲しい」と語りました。
最後にパネル討論中にフロアから回収した質問用紙のなかから、4つの質問に答えました。1つめの質問は「美しさとは何か」。アーノンクールは「音が出るときは最初に接触音が含まれる。最近はこのノイズを出さないように演奏する傾向があるが、それは真なる音ではない。フランス革命まではノイズも重要なものとして理解されていた。ノイズは色を与えてくれる。真実は常に美しいとは限らない。疲れたときに癒すのが音楽の役割ではない」と述べました。また、「1880年の作品を2005年のために弾くのが役割。しかし、生活習慣が違うし、単に再現するのは不可能である。仮説以上のことはできない。人間も当時と違うため、当時と違う和声感で臨まなければならない」と語りました。
2つめの質問は「フランス革命を境にして音楽が変化したという発言があったが、もう少し段階的に変化していったのではないか」という質問。これに対しては「まったくその通り。同感としか言いようがない」と短く答えました。
3つめの質問は「東洋人が西洋音楽を演奏することについてどう思うか」。アーノンクールは「重要な作品ならどうぞ演奏してください。しかし、ただの流行なら意味がないです。どの国の音楽も重要です。西洋音楽が共通言語になったのは宗教の影響ではないか」と語りました。ちなみに鈴木氏は「どうして西洋音楽を演奏するのですか」と聞かれるときは、答えようがないのでいつも「どうしてそんな質問をするのですか」と逆に質問するそうです。
4つめの質問は「今後の予定について」。アーノンクールは「ベルク、バルトーク、ストラヴィンスキーなど20世紀の音楽にも取り組みたい」と語りました。来年のウィーンフィルとの来日公演では何を演奏してくれるでしょうか。
アーノンクールはもう1本、音律についての論文を用意していたとのことですが、時間の関係でカット。残念。

休憩後は京都フィルハーモニー室内合奏団を指揮しての公開演奏指導。合奏団は40名程度の編成で、弦楽器は左から第1ヴァイオリン、チェロ、ヴィオラ、第2ヴァイオリンの順で、第1ヴァイオリンの奥にコントラバスを配置。団員は私服でした。アーノンクールが登場。さきほどはスーツ姿にネクタイでしたが、指揮するために着替えたようです。まず「指揮台はいらない」と言って、置かれていた指揮台をスタッフに撤去させました。以降はずっと立ったまま指揮。指揮棒は持っていませんでした。団員への話は英語で行なわれ、横に座った樋口隆一氏が日本語へ逐語翻訳しました。アーノンクールはピンマイクをつけていたので話はよく聞こえましたが、樋口氏がアーノンクールの話に聞き入ってしまって、ほとんど通訳をせず、英語が分からない私には少し不満が残りました。ただ、フロアには通訳なしでも理解できる人が多くいて、アーノンクールの話を夢中になって聴いていました。アーノンクールの練習はスコアに基づいた説明に長く時間を取るだろうと思っていましたが、意外にも、たとえ話を使って、ストーリーづけして理解させ、団員をうまくのせながら指揮しました。「Very Good」と言いながら指揮し、高圧的な印象はまったくありません。また、部分的にパートだけ演奏させて、練習方法もとても効率的。
演奏曲はモーツァルト作曲/交響曲第33番。第1楽章からスタート。腕を上下に振るわせて大きなアクションで指揮。さすがに初共演というだけあって、アーノンクールの指示に対して、団員がすぐに対応することはできませんでした。演奏を止めるときは「Excuse me」と言って指揮をやめました。「音符に点がついているがスラーがついていないという印なので短く演奏しない。棒がついているときは非常に短く」と指示していました。
「第1楽章は後でもう一度やりましょう」と言って、第2楽章へ。「少年と少女のピエロ」の話を持ち出し、冒頭から極端な音量のコントラストを要求。何度も繰り返し演奏させていました。ヴィオラとチェロに「too loud」と言って、指揮台の下に顔を隠したり、「シーッ」といって音量を落とさせたりしました。「ト短調は死だ」「ヘ長調は最高の喜び」「お客さんが笑うように演奏して、nobody laugh(誰も笑ってないじゃないか)」「全弓を使って上品にならないように弾いて」「like kiss(キスするみたいに)、academicでイヤだ、もっとロマンティックに」「(第2ヴァイオリンに対して)第1ヴァイオリンを邪魔するように弾いて」「ここはまさにヨーデル(=オーストリアの山の歌)」「再現部はコーダで、さっきと同じでも違う。昔のアルバムを見るように演奏して」などなかなか大胆な解釈。演奏を重ねるたびに引き締まった響きが現れました。すばらしい。
最後に第1楽章をもう一度演奏。「あらゆるリズムはwalk(歩き方)からきている。右足か左足かどちらかが強くなるのが普通で、同じだったら機械と一緒」「fp(フォルテピアノ)は、f>p(フォルテ、ディミヌエンド、ピアノ)と演奏し、ディミヌエンドを長めに」「シンコペーションは必ずダウンで弾く」などと指示しました。時間の都合でここまでで終了。もっと聴きたかったです。

もっともっと聴きたいことはありましたが、こんなに充実したシンポジウムになるとは予想していなかったので、一生に残る大変貴重な体験になりました。アーノンクールは、自身の研究に基づいた確固たる信念を持って音楽と向き合っていることがよく分かりました。そこまで考えて指揮していることには驚きましたし、アーノンクールが指揮した録音を聴いたいるだけでは分からない音楽知識の豊かさには敬意を表したいと思います。ここまで熱心に研究している指揮者はい少ないのではないでしょうか。とても勉強になりました。講演と公開演奏指導のギャップもおもしろかったです。ますますアーノンクールが好きになりました。著書もいくつかあるので読んで復習してみようと思います。来年のウィーンフィルとの来日ツアーには大いに期待です。

(2005.11.17記)




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