20世紀の音楽
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲

ソヴィエトの作曲家、ドミトリー・ショスタコーヴィチ(1906〜1975)は、15曲の交響曲をはじめとして、管弦楽曲、協奏曲、室内楽曲、器楽曲、歌劇、声楽曲の広範な分野にわたって作品を残した。なかでも、15曲の交響曲は20世紀の作曲家では多く、彼の作曲活動の中心をなした。

本稿では、ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲を取り上げた。交響曲と同数の15曲を残しており、交響曲と密接な関連が認められる。ソヴィエト当局が注目し、ときには批判も受けた交響曲に比べると、弦楽四重奏曲は彼の心情が率直に吐露されているとされている。また、独唱や合唱を加えた交響曲に比べて、弦楽四重奏曲は楽器編成が変わらないため、彼の音楽の過程や変遷が純粋に比較できると考えた。また、彼の死後にヴォルコフによって発表された『ショスタコーヴィチの証言』(以下、『証言』という)には、交響曲に関する記述は多いが、弦楽四重奏曲についてはほとんど述べられていない。弦楽四重奏曲について記述が少ないのは、言語によって説明や補足をする必要がなく、スコアを読み解き、作品を忠実に聴けば、じゅうぶんだとショスタコーヴィチが考えたと理解してよいのではないだろうか。
15曲の弦楽四重奏曲はいずれもヴァイオリン2、ヴィオラ1、チェロ1の楽器編成で作曲されている。交響曲で見られたように標題がつけられた作品はない。また、第2番から第14番までの初演を、ベートーヴェン弦楽四重奏団が担当しているのも特徴である。

弦楽四重奏曲第1番を作曲したのは、作曲者32歳のときである。交響曲第1番をわずか19歳(1925年)で作曲したことを考えると、ずいぶん遅い。初期には、ピアノ作品が多いのが特徴である。これはショスタコーヴィチがピアニストであったことが理由として挙げられる。弦楽器の作曲技法は、交響曲を作曲する過程で習得していったと考えられる。初期の作品に、弦楽八重奏で書かれた2つの小品op.10(1924〜25年作曲)がある。ヴァイオリン8、ヴィオラ2、チェロ2の編成で書かれた2楽章の作品である。八重奏なのでトゥッティでは厚みが出るが、基本的に旋律に和音を増強しており、和音へのこだわりを感じさせる。しかし、見通しが悪く何を演奏しているのかよく分からない部分がある。続いて、今度は弦楽四重奏で書かれた2楽章からなる2つの小品(1931年作曲、作品番号はつけられていない)がある。

その後に作曲された弦楽四重奏曲第1番ハ長調op.49(1938年作曲)は、交響曲第5番で高い評価を受けた後ということもあってか上機嫌な作品である。民謡風の主題を古典的に扱っており後年に見られるような毒気はない。

6年後に書かれた弦楽四重奏曲第2番イ長調op.68(1944年作曲)は、音の密度が一気に深くなり、本格的で充実した音響が聴かれる。第2次世界大戦中に書かれた最後の作品で、前年に作曲された交響曲第8番とよく似た雰囲気を持つ。戦争の悲劇性を意識したような作品である。また、この作品には楽章ごとに標題がつけられている。第1楽章「序曲」から力が入っており、第2楽章「レチタティーヴォとアリア」はレクイエムのように聴こえる。第3楽章「ワルツ」を経て、第4楽章「主題と変奏」は、高音域を積極的に使用している。

弦楽四重奏曲第3番へ長調op.73(1946年作曲)は、5楽章からなる。交響曲第9番の後に作曲されている。第1楽章はきわめて簡潔に書かれており、肩の力が抜けた陽気さがある。第3楽章は、『証言』で「音楽によるスターリンの肖像である。」と語られている交響曲第10番第2楽章とよく似た雰囲気を持つ。第4楽章は、葬送行進曲のような厳かさがある。第5楽章は、起伏に富むがいろいろな要素を盛り込みすぎで散漫な印象を受ける。

弦楽四重奏曲第4番ニ長調op.83(1949年作曲)は、作曲から初演までに4年を要している。『証言』には「音楽はただちに演奏される必要がある。」と書かれており、ショスタコーヴィチが意識的に初演を遅らせたことは明らかである。前年にジダーノフから「西欧追随の形式主義者」と批判され、オラトリオ「森の歌」を作曲し名誉挽回を図った時期であることから、この作品を発表すれば再び批判を受けると考えたのだろう。スターリン没後に初演されたが、作品の内容も驚くべきものである。第1楽章では東洋情緒にあふれており、その他の楽章でも伝統的なロシア・ソヴィエト音楽とは異なる要素が多く含まれている。これは同年のアメリカ訪問で得るものがあったのかもしれない(『証言』にはアメリカ訪問について「思い出すと、いまだに、きまって恐怖にかられる。」と書かれているが)。批判を受けてもなお、このような挑戦的な作品を残している事実には大変驚かされる。

弦楽四重奏曲第5番変ロ長調op.92(1952年作曲)は、ベートーヴェン弦楽四重奏団の4人の団員に捧げられた。3楽章からなるが、全曲休みなく続けて演奏される。第1楽章と第3楽章で、ショスタコーヴィチの頭文字からなるDとSをドイツ音名にあてはめた音型が現れるのが特徴である。直後に作曲された交響曲第10番の第3楽章と第4楽章でもD−S−C−Hの主題が現れるが、それとくらべると識別しにくい。自分の名前を主題にする手法は、まさに「雪解け」を象徴していると言えるが、この作品が作曲されたのはスターリンの生前であるから驚きである(初演は没後)。曲想もいきいきとして明るく、4人の奏者もアンサンブルの自由度が高い。第2楽章と第3楽章最後は、弱奏で演奏され神秘的である。

弦楽四重奏曲第6番ト長調op.101(1956年作曲)は、1954年に妻を、1955年に母を亡くしているにもかかわらず、無関係を装うような明るさがある。第3楽章では死別された悲しみを表現しているように聴こえる。

弦楽四重奏曲第7番嬰へ短調op.108(1960年作曲)は、弦楽四重奏曲としては初めて短調で書かれた作品である。1954年に亡くなった最初の妻、ニーナ・ワシリエヴナ・ショスタコーヴィチの思い出に捧げられている。15曲の弦楽四重奏曲のなかで演奏時間が最も短い。全曲を通じて簡潔極まりない手法で、最小限の音符しか使わないように配慮した感がある。無駄がなく、透明度が高い音響である。妻に先立たれたことに対する激しい不安感に駆られる作品で、第2楽章は長いフレーズを持つ旋律で、第3楽章は交響曲第11番「1905年」の第4楽章「警鐘」によく似た音型による細かな音符で、悲しみがつづられている。

弦楽四重奏曲第8番ハ短調op.110(1960年作曲)は、わずか3日間で作曲されたと伝えられている。15曲の弦楽四重奏曲で最も有名で演奏頻度が高い作品である。5楽章からなり、D−S−C−Hの主題が第5番よりもはっきりとしかも何度も登場する。また、交響曲第1番や、同時期に作曲されたチェロ協奏曲第1番の断片が登場する。『証言』では、「自伝的な弦楽四重奏曲」であると説明されている。また、『証言』では否定しているが、ファシズムと戦争の犠牲者の思い出に捧げられたと見る向きもある。事実、第5楽章は、何かを追悼しているような音楽である。

弦楽四重奏曲第9番変ホ長調op.117(1964年作曲)は、1962年に結婚した最後の妻、イリーナ・アントノーヴナ・ショスタコーヴィチに捧げられている。5楽章からなるが、再婚の喜びとは遠く、微妙な悲愴感が漂っている。自由な形式で、表現の幅が広い作品である。第4楽章で突然ピッツィカートによる強奏が聴かれるのが目新しい。第5楽章でも、4人で演奏しているとは思えないほど快活で、切迫した緊張感がある。

弦楽四重奏曲第10番変イ長調op.118(1964年作曲)は、第9番とほぼ並行して作曲され、同じ日に初演されている。ショスタコーヴィチの親友のモイセイ・サムイノヴィチ・ワインベルグに捧げられている。全体的に簡潔で無駄がない作品である。第2楽章では、交響曲を弦楽四重奏に置き換えたような激しさがある。第3楽章は平和的で安らぎのある音楽である。

弦楽四重奏曲第11番へ短調op.122(1966年作曲)は、ベートーヴェン弦楽四重奏団で第2ヴァイオリン奏者を務めていたワシリー・ペトローヴィチ・シリンスキーの思い出に捧げられている。7楽章からなる実験的な作品で、楽章ごとに標題がつけられている(第1楽章「前奏曲」、第2楽章「スケルツォ」、第3楽章「レチタティーヴォ」、第4楽章「練習曲」、第5楽章「ユモレスク」、第6楽章「エレジー」、第7楽章「終曲」)。どの楽章も大変短く、断片を聴かせただけで次の楽章に移る。作風は簡潔だが、弦楽四重奏の長所が発揮されている。

弦楽四重奏曲第12番変ニ長調op.133(1968年作曲)は、ベートーヴェン弦楽四重奏団の第1ヴァイオリン奏者、ドミトリー・ミハイロヴィチ・ツィガーノフに捧げられている。2楽章からなるが、長調で書かれているにもかかわらず、曲想が内向的で地味である。第1楽章の跳躍の激しい主題が象徴するように、作品の方向性が定まっていない感を受ける。第2楽章でもピッツィカートとユニゾンを明確に対比させて聴かせるが、どこか不安感がある。

弦楽四重奏曲第13番変ロ短調op.138(1970年作曲)は、ベートーヴェン弦楽四重奏団のヴィオラ奏者として活躍したワジム・ワシリーエヴィチ・ポリソフスキーに捧げられた。単一楽章で書かれており、随所でヴィオラが活躍する。前年に作曲された交響曲第14番「死者の歌」と同様、十二音技法への接近が指摘される。第3部ではスタッカートを多用して特徴的な音響を作り出している。さらに、ヴィオラが弓の木部で楽器の胴をたたく奏法が採用されている。第2部では、第8番第3楽章とよく似た音型が登場する。第5部では、ヴィオラによる告白するようなソロが続いた後、ヴィオラとヴァイオリンが高音でユニゾンを奏で、不気味に曲を終える。全体的にまとまりに欠ける不思議な作品である。

弦楽四重奏曲第14番嬰へ長調op.142(1972〜73年作曲)は、3楽章で書かれており、ベートーヴェン弦楽四重奏団のチェロ奏者、セルゲイ・ペトローヴィチ・シリンスキーに捧げられている。全体的にチェロが活躍する。第3楽章で、4人の奏者によって旋律の受け渡しが行なわれるのが興味深い。

弦楽四重奏曲第15番変ホ短調op.144(1974年作曲)は、健康状態が悪化するなかで作曲された。15曲の弦楽四重奏曲で最も演奏時間が長い。6楽章からなり、それぞれ標題がつけられている。第1楽章「エレジー」は、さみしさがにじみ出ており、ショスタコーヴィチのこの世に対する未練を聴くようである。第2楽章「セレナード」は、同音のクレシェンドが繰り返され各楽器に受け渡されていく。迫りくる死に対する恐怖を表現したものであろうか。第3楽章「間奏曲」を経て、第4楽章「ノクターン」は、まさに夢見心地の音楽である。第5楽章「葬送行進曲」はこの世に対する告別のようである。第6楽章「エピローグ」は、トゥッティによる和音の強奏に現実離れした美しさがある。細かな音符は生き抜いてきた激動の時代を示唆しているように思える。まさにショスタコーヴィチの遺言であると言えよう。

ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲は、表現方法が多岐にわたっており、楽章ごとに性格が大きく異なる作品もあり、交響曲のように作品の傾向から分類することは慎重に行なわなくてはならない。ピッツィカートが後年の作品ほど多く使用されているのが特徴として挙げられる。弦楽器を打楽器的に扱いたいという意志が感じられる。また、交響曲をはじめとした素材を借用している作品もあり、ショスタコーヴィチの音楽を理解するためには、弦楽四重奏曲についての研究が欠かせないが、交響曲に比べると研究があまり進んでいない。2006年にはショスタコーヴィチ生誕100周年を迎えることから、弦楽四重奏曲に対する理解が深まることを期待したい。

使用CD
・ボロディン弦楽四重奏団 1978〜1984年録音 メロディア(輸入盤) 74321 40711 2(6枚組)
・ルビオ弦楽四重奏団 2002年録音 ブリリアント・クラシックス(輸入盤) 6429(5枚組)

参考文献
・『ショスタコーヴィチの証言』 S・ヴォルコフ編 水野忠夫訳 中央公論社 1986年
・『作曲家別名曲解説ライブラリー15 ショスタコーヴィチ』 音楽之友社 1993年
・『ショスタコーヴィチ大研究』 春秋社 1994年

以上

2005.1.31記