オランダの風俗画家、フェルメール(1632〜1675)の作品は、全部で30点程度しか残されていない。本稿で論じる《音楽の稽古》は諸説あるが、初期の作品に分類されている。フェルメールは寡作の画家だったが、この作品も実に緻密で精巧に描かれている。
作品は、部屋の風景を描いている。奥行きが広く取られていて、一定の距離感を持って二人の様子を描いている。この部屋の扉を開けたときに、目に見えた光景を描きとったようなごく日常的な生活風景である。鍵盤楽器を弾いている女性と、隣でその演奏を見ている男性が右奥に描かれている。二人の表情は楽しそうではない。むしろピリピリした緊張感が感じられる。壁にかかっている鏡に女性の表情が映っているが、少し焦っているように見える。室内はひっそりとしていて、女性が弾く楽器の音色だけが響いている。唯一動きがあると思われる女性の両手も描かれていないため、二人は止まっているように見える。女性の右横に立っている男性は先生なのだろう。左手に持っているのは杖だろうか。厳しいレッスンを受けているようだ。女性が弾いているのは、ヴァージナルという楽器で15世紀末から18世紀にかけてヨーロッパで愛好された。チェンバロの一種であるから、輪郭がある硬い音色がしたのだろう。ヴァージナルのふたには、文字が書かれている。女性の背中で隠れている文字を補うと、「MVSICA LETITAE COMES MEDICINA DOLORVM」(音楽はよろこびの友、苦しみの薬)となる。ヴァージナルに立てているはずの楽譜が描かれていないが、女性の背中に視線を集中させるために排除したのかもしれない。ヴァージナルの後ろには、チェロが無造作に置かれている。おそらく女性と一緒に演奏するために置かれているのだろうが、椅子が窓際を向いているのは意図的である。はじめはチェロとヴァージナルで二重奏をしていたのだが、女性のヴァージナルが下手なので、チェロ奏者が怒って出て行ってしまった。それで女性が焦って練習している。この作品からストーリーを作るならば、以上のように推測できる。
画面左に窓が描かれている。外から太陽の光が差し込んでいて、室内がとても明るい。差し込んでくる日光によって、ヴァージナルや鏡に影ができている。影のでき方からすれば、正午に近い時間帯だろう。窓は上下二段で、下段の窓はステンドグラスのような模様が入っていて厳かさがある。また、上段の窓は縦に長く天井まで届いていて、とても手が届きそうにないほど高い。これらの窓は、急な角度をつけて描かれているため、作品に奥行きを与えているが、一方では二人を圧迫する効果をもたらしている。二人を中心からずらしてやや右に描いたのも、窓を意識的に強調させるためではないだろうか。
フェルメールの室内画作品には、窓が描かれている作品と描かれていない作品がある。同時期に描いたとされる《合奏》では描かれておらず、意識的に描き分けていることは明らかである。《音楽の稽古》では窓だけではなく、天井と床も描かれている。天井は木がむき出しになっていて、床は白と黒のタイル状で面白みに欠けるデザインである。画面の上下と左の空間を明確に規定することは、音楽が響く空間の範囲が定められるだけでなく、室内と外界を遮断する役割を果たしている。外界から遮断された室内は直線的な模様によって硬く乾燥した雰囲気を感じさせ、張り詰めた空気が漂う閉じ込められた空間として描かれている。精神的に開放されることはなく、女性をさらに萎縮させる。《音楽の稽古》における窓は、室内の空気を封じ込める役割があると言えるだろう。
参考文献
・『フェルメール:窓からの光』 喜多尾道冬著 講談社 1985年
・『フェルメール画集』 リブロポート 1991年
・『フェルメールの世界 : 17世紀オランダ風俗画家の軌跡』 小林頼子著 日本放送出版協会 1999年
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