JR山陰本線完乗の旅 第1日(2006.8.12) 京都→餘部→居組→鳥取


目的地:余部鉄橋、居組駅、鳥取しゃんしゃん祭

京都駅へ
夏期休暇に入って間もない8月12日(土)の朝、早く起きて出発の準備。4泊5日分の荷物をカバンに詰めこんで出発です。
まずは、JR京都駅へ向かいます。自宅の最寄り駅の近鉄京都線向島駅へ。今年になってエレベーターが設置されました。向島駅から京都駅までは通勤定期券があるので、運賃は不要です。
8:30発の京都行き普通に乗車。普通は4両編成が多いですが、6両つないでました。まだ通勤時間帯ということでしょうか。
近鉄京都線 向島駅 向島駅 駅名標 京都行き普通(向島駅)

8:47に近鉄京都駅到着。駅構内にあるコンビニで食料を調達。
近鉄京都駅 駅名標 近鉄京都駅


京都駅→園部駅
JR京都駅の改札口で、「青春18きっぷ」の「1回」欄に押印してもらいました。JR山陰線の乗り場へ移動。園部行き普通は8両編成で、33番線に停まっていました。隣の31番線には特急はしだて(天橋立行き)が到着しました。お盆の帰省ラッシュで、多くの人が並んでいました。
京都駅 発車案内 園部行き普通(後ろから撮影) 園部行き普通(先頭から撮影) 特急はしだて(京都駅)

9:03に発車。車内で朝食です。京都駅から二条駅までは単線ですが、複線化工事が進められています。山陰線は天候条件によって電車の遅れが発生することがよくありますが、複線化されればいくぶん緩和されるでしょう。円町駅まではいつも乗っているので見慣れた風景です。円町駅から先に乗るのはかなりひさしぶりです。花園駅から嵯峨嵐山駅までも複線化の工事が進んでいました。嵯峨嵐山駅では、トロッコ列車(嵯峨野観光鉄道)の始発駅であるトロッコ嵯峨駅と隣接しています。ちょうどトロッコ列車が停車中でした。ほぼ満員でした。
トロッコ列車(トロッコ嵯峨駅) トロッコ列車(トロッコ嵯峨駅)

嵯峨嵐山駅の次は保津峡駅。秘境駅として知られています。ひさびさに来ましたが、まさに絶景。京都市内とは思えません。渓谷の中にあるので、すばらしい車窓を目にすることができます。今度来たときは下車して、周囲を散策したいですね。
保津峡駅

次の馬堀駅から先はおそらく人生初めての乗車です。周囲に田んぼが広がります。馬堀駅からは単線になります。千代川駅で、特急の行き違いのため停車。「車内保温のため、ドアは自動では開きません。ドア横のボタンを押してお降りください。」という車掌のアナウンスがありました。
千代川駅

次の八木駅でも快速の行き違い。同じくドアは自動で開かず。
八木駅


園部駅→福知山駅
9:54に園部駅着。この駅で福知山行き普通に乗り換えです。園部駅から福知山駅には、1時間に1本しか普通電車がありません。急に本数が減ります。停まっていた電車はなんと2両編成のワンマンカー。ワンマンカーは京都駅では見ることができないのでびっくり。多くの人が乗り換えて、通勤電車並みの大混雑になりました。隣のホームから、特急はしだてが先に発車。自由席車で立っている人がいて混雑していました。
園部駅 駅名標 園部駅 発車案内 福知山行き普通(園部駅) 福知山行き普通 方向幕 特急はしだて(園部駅)

10:01に発車。ワンマンカーなので車掌はいません。車内放送は女性のテープ録音です。ここから先は無人駅があるので、途中の駅から乗るときは、扉の近くにある発行機から整理券を受け取ること、また途中の駅で降りるときは、1両目の一番前の扉から降りるようにアナウンスがありました。運転席の後ろにある運賃表で運賃を確認して、運賃箱に運賃を入れて降ります。
運賃表(福知山駅まで)

園部駅から先は山間を走るので、トンネルや川が続きました。トンネルには電気がついていませんでした(このときは驚きましたが、山陰線では電気がついているトンネルはほとんどありませんでした)。電車は単線をけっこうなスピードで走ります。途中の駅では乗客がほとんど乗ってきませんでした。
胡麻駅で、特急はしだての行き違いのため停車。ここで、1両目から車掌さんが乗ってきて、「乗車券を拝見します」と言って検札が始まりました。次の下山駅までは駅名に似合わず、すごい高いところを通りました。車窓からの景色がいい眺めでした。次の和知駅までは駅間距離が長く、線路の両側は草がいっぱいはえていました。いつ動物が出てきてもおかしくないように思いました。和知駅では下車する人が多くいました。立木駅は、秘境駅として知られていますが、車窓からの眺めではそれほどでもないように感じました。検札していた車掌もこの駅で下車しました。
次の山家(やまが)駅で、園部行き普通(ワンマンカー)と行き違い。行き違いの電車も減ってきました。
山家駅

次の綾部駅は、JR小浜線との乗換駅。ドアは全部開いて、多くの人が降りました。向かいのホームに、小浜線東舞鶴行き普通(ワンマンカー)と、特急タンゴディスカバリー(京都行き)が停車していました。綾部駅から福知山駅までは複線です。
東舞鶴行き普通(綾部駅) 特急タンゴディスカバリー(綾部駅)


福知山駅→城崎温泉駅
11:03に福知山駅に到着。福知山駅は高架駅で、昨年完成した新しい駅でした。園部駅から乗った人の多くが、福知山駅まで乗っていました。
この駅で城崎温泉行き普通に乗り換えです。2両編成のワンマンカーでした。車内放送は、同じく女性のテープ録音。運賃表は電光掲示板ではなくなり、運転席の後ろに運賃表が掲示してありました。また、ドアを開閉するボタンがなくなり、手で開閉します。乗客は時刻表を持っている人が増えました。私と同じく「青春18きっぷ」で旅行している人でしょう。
福知山駅 駅名標 福知山駅 発車案内 城崎温泉駅行き普通(福知山駅)

11:07に福知山駅を発車。発車してしばらくは、北近畿タンゴ鉄道と並行して走ります。下夜久野駅で特急きのさきと行き違い。
下夜久野駅

梁瀬駅から兵庫県に入ります。和田山駅はJR播但線との乗換駅。隣のホームに寺前行き普通(1両編成の気動車)が停まっていました。 和田山駅

八鹿(ようか)駅江原駅は、有人駅のようですべてのドアが開きました。ただ、前述したように、ドアは自動では開かないので、手で開けて降ります。国府駅で、福知山行き普通と行き違い。次の豊岡駅では多くの人が降りました。豊岡駅から先は、日本海に流れ込む円山川に沿って進みます。けっこう川幅が広くてびっくり。
豊岡駅


城崎温泉駅→餘部駅
12:26に城崎温泉駅に到着。かつては「城崎駅」でしたが、市町村合併によって「城崎温泉駅」に駅名が改称されました。この駅で12:57発の浜坂行き普通に乗り換えです。発車まで30分ほど時間があるので、いったん駅の外に出ます。改札口に向かって歩いていたところ、大阪駅始発の特急はまかぜが到着しました。
城崎温泉駅 駅名標 特急はまかぜ(城崎温泉駅) 特急はまかぜ 方向幕

城崎温泉駅の周辺のコンビニで、食料を調達して昼食を取ろうと考えていましたが、駅前に小売店は見当たらず。飲食店がいくつかありましたが、料理が出てくるのが遅かったりしたら電車に乗り遅れてしまうので、結局駅舎の中の自動販売機で飲料を購入。なかなかハードな旅行です(笑)。
城崎温泉駅 駅舎

城崎温泉駅から先は非電化です。浜坂行き普通は2両編成の気動車でした。電車の本数がかなり減るので、車内は超満員でした。もちろんワンマンカーなので、車内放送は女性のテープ録音。車内は天井に取り付けられた数台の扇風機が回っていました。冷房設備もあったようですが、扇風機はなかなかお目にかかれないのでびっくり。扉に開閉ボタンがあるので、途中の駅では降りるときはボタンを押して降ります。隣のホームに特急北近畿が到着して、さらに乗客が増えました。
城崎温泉駅 時刻表 城崎温泉駅 発車案内 浜坂行き普通(城崎温泉駅) 特急北近畿(城崎温泉駅)

12:57に城崎温泉駅を発車。餘部駅を目指します。ゆっくりと走りましたが、かなり車内が揺れました。竹野駅では、すべてのドアが開けられました。多くの人が降りました。竹野駅を出ると、日本海が見えました。
日本海(竹野駅〜佐津駅)

竹野駅と佐津駅の間にある信号場(相谷信号場)で停車して普通と行き違い。
城崎温泉行き普通(相場信号場)

柴山駅は、以前は2面2線のホームだったようですが、向かい側のホームは今は使われていません。線路は残されていますが、ホームの両端で切れています。山陰本線にはこういった廃ホームがある駅が珍しくないことが後になって分かりました。
柴山駅

香住駅では、すべてのドアが開けられました。次の鎧駅は、「青春18きっぷ」の2001年冬のポスターで使われました。「なんでだろう。涙がでた。」というコピーが示すように、日本海を望む景色はすばらしいという話を聞いていましたが、まさに絶景でした。テレビドラマの撮影でよく使われているようで、多くの人が乗り降りしました。今度来たときはぜひ下車したいです。この駅で、豊岡行き普通と特急はまかぜが行き違い。
日本海(香住駅〜鎧駅) 日本海(香住駅〜鎧駅) 鎧駅 鎧駅

次は餘部駅。先頭車両にビデオカメラを持った人が増えました。トンネルを越えると、すぐに余部鉄橋です。撮った写真がこれ。日本海しか写ってない…。とにかくものすごい高いところを通っていました。
日本海(余部鉄橋から望む)

13:47に餘部駅に到着。驚いたことにほとんどの乗客がこの駅で降りました。普段は無人駅ですが、この日は駅員数人が配置されていて、入場券や訪問記念のオレンジカードを販売していました。
餘部駅 餘部駅 駅名標 餘部駅 餘部駅 待合室 餘部駅(京都方面を望む) 餘部駅 餘部駅と餘部鉄橋 餘部駅(鳥取方面を望む)

餘部駅ホームから歩いてすぐの余部鉄橋の写真撮影スポットに向かいます。日本海が見えるかなり有名なアングルです。こんな感じで人が集まっていました。さっそく写真撮影スポットで1枚。いい眺めです。
余部鉄橋写真撮影スポット(餘部駅ホームから望む) 余部鉄橋(余部鉄橋写真撮影スポットから望む) 余部鉄橋写真撮影スポット

線路横に設置された案内板によれば、余部鉄橋は正式には餘部橋梁と言います。高さは41メートル45。現在でも日本最大のトレッスル橋です。この余部鉄橋の完成によって、山陰本線の京都駅〜出雲市駅が開通しました。しかし、こんな大変な工事が1912年(明治45年)に完成していたとは、当時の人は本当に偉大です。
次の電車が鉄橋を通過するまで時間があるので、鉄橋の下に降ります。けっこう急な坂道を降りて国道178号線を目指します。
餘部橋りょう 案内板 餘部鉄橋 標識 余部鉄橋(坂道から望む) 余部鉄橋(坂道から望む) 余部鉄橋(国道178号線から望む)

鉄橋の下は、多くの民家がありました。国道178号線にある鉄橋近くの駐車場は、車でいっぱいでした。車で訪れる人も多いようです。駐車場近くの案内板によると、余部鉄橋は2007年春からコンクリート橋への架け替え工事が始まります。架け替えの理由は、強風によって列車の運休や遅延が頻発しているためとのことで、この景色が見られるのもあとわずかのようです。残念ですね。
余部鉄橋下の駐車場 余部鉄橋下の駐車場にある案内板

同じく国道178号線には、「餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑(聖観世音菩薩像)」が建っています。1986年12月28日に起こった「余部鉄橋列車転落事故」は、回送中のお座敷列車「みやび」が日本海からの突風によって転落、鉄橋下のカニ加工場で働いていた主婦5名と車掌1名が亡くなっています。事故発生当時、私はまだ小さかったですが、事件のことは覚えています。今後とも電車の安全な運行をお願いしたいです。ちなみに、この慰霊碑の近くに、餘部駅の発車時刻表が貼ってあります。特急はまかぜの通過時刻も載っているので、参考にされるとよいでしょう。
餘部鉄橋事故犠牲者慰霊碑 餘部駅時刻表

まだ、時間があるので、日本海にむかって移動。国道178号線の余部交差点を北に向かって歩くと、鉄橋下からの余部鉄橋撮影スポットがあります。すでにカメラをスタンバイしている人がいたので今回はあきらめましたが、このアングルでも一度写真を撮りたいです。
余部鉄橋(鉄橋下撮影スポットから望む )

いよいよ発車時刻が近づいてきたので、餘部駅に戻ります。さっき降りた坂道を今度は登るわけですが、坂道の傾斜が急なので荷物を背負っての登りはかなりきつかったです。写真撮影スポットに移動して、鉄橋を渡る電車を待ちます。そして、15:28発の豊岡行き普通が餘部駅に到着。列車が駅に近づくと、放送が流れるので、写真を撮るタイミングは図りやすいでしょう。写真撮影スポットからも電車の到着が確認できます。乗降のあと、電車が発車し、餘部鉄橋を渡りました。
豊岡行き普通(余部鉄橋写真撮影スポットから望む) 餘部鉄橋(豊岡行き普通)

次は、15:36発の浜坂行き普通です。この電車に乗って移動します。トンネルの向こうからライトを照らして電車が来ました。鉄橋を渡るときの音ですが、むちゃくちゃ大きな音は聞こえませんでしたが、ガタンゴトンという風情のある音がしました。写真を撮り終わると、すぐにホームに走って、2両編成の気動車に乗りました。
浜坂行き普通(余部鉄橋写真撮影スポットから望む) 餘部駅(浜坂行き普通)


餘部駅→浜坂駅
15:49に浜坂駅に到着。この駅で鳥取行き普通に乗り換えです。電車を待っている間に、特急はまかぜが到着しました。この駅が終点で折り返し大阪駅行きになるので、車内清掃が始まりました。また、さっき乗っていた電車が折り返して豊岡行きになって先に発車しました。
浜坂駅 駅名標 浜坂駅 発車案内 特急はまかぜ(浜坂駅) 特急はまかぜ ヘッドマーク 豊岡行き普通(浜坂駅)


浜坂駅→居組駅
ようやく鳥取行き普通が到着。2両編成の気動車です。さっきまで晴れていましたが、突然ものすごい雷雨になりました。乗客はそんなに多くありませんでした。
鳥取行き普通(浜坂駅)

2つ先の居組駅で降りました。秘境駅として知られていて、一度降りてみたかった駅です。この降りる駅で降りるのは、私だけかと思っていましたが、なんと女の子3人組が定期券で降りました。びっくり。雨が降り続く中、ホームを去っていく電車を撮影しましたが、電車に乗っている人から少し変な目で見られました。残念なことに、駅名標などを撮影している間に、女の子たちはどこかへ行ってしまいました。
居組駅 駅名標

居組駅に来た理由は、駅舎の前に日本庭園のような小さな庭があることです。実際に見たところ、イメージしていたよりもずっと小さくてちょっとびっくり。現在は無人駅ですが、有人駅の頃にはきちんと整備されていたようです。駅舎の中は、自転車が停めてあり駐輪場と化していました。トイレは、1番線のホームにありますが、老朽化しているということで閉鎖されていました。傘を差しながら写真を撮ったので、あまりいいアングルで写真が撮れませんでした。
居組駅 改札口 居組駅 駅舎 居組駅 駅名板 居組駅 駅舎内 居組駅駅舎横にある電話ボックス 居組駅 駅舎前にある庭 居組駅 閉鎖されたトイレ

次の電車まで時間があるので、ホームを探索。居組駅は、現在は2面2線のホームで運用されています。ホームの位置が1番線と2番線でずれています。ほとんどの電車が駅舎に近い1番線に停車しますが、1番線と2番線は連絡橋を使って渡ります。連絡橋には、折りたたみ式のイスがありました。ホームを注意深く観察すると、以前は2面4線のホームだったようです(1番線ホームは、切欠ホーム)。雨は降ったり止んだりで、一時的にけっこう強い雨が降りました。雨が止むと、物音がまったくしないほど静かでウグイスの鳴き声が聴こえました。
居組駅 2番線ホーム 居組駅 連絡橋にある折りたたみ式イス 居組駅(連絡橋から望む)

放送が流れて、16:57発の浜坂行き普通が到着。2人降りました。ちょうど迎えの車が駅舎の前に2台到着して、電車から降りた人を乗せて走り去りました。
浜坂行き普通(居組駅連絡橋から望む) 浜坂行き普通(居組駅連絡橋から望む)

この駅は意外に利用されていることが分かったので、居組駅に続くコンクリートの道を下って駅の周囲に何があるのか調べました。しばらく歩くと、田畑の向こうに集落が見えました。意外に新しい家もありました。車で送迎している人はもう少し遠くに住んでいるのでしょう。
居組駅は秘境駅にしては利用されていますが、駅舎や周囲の雰囲気が最高です。ぜひまた来たいです。


居組駅→鳥取駅
17:25発の鳥取行き普通が来たので、乗って鳥取駅を目指します。私以外にもう一人乗客がいました。
鳥取行き普通(居組駅)

居組駅の次の東浜駅からいよいよ鳥取県です。その次の岩美駅で行き違いのため停車。反対列車が遅れているということで、けっこう長い間停車しました。ヒマだったので、写真を撮りました。浜坂行き普通がようやく到着して発車。
鳥取行き普通(岩美駅) 浜坂行き普通(岩美駅)

次の大岩駅から、多くの人が乗ってきました。その次の福部駅でも同様で、どんどん乗客が増えました。浴衣姿の女性も多かったですが、後述する「鳥取しゃんしゃん祭」に向かうのでしょう。福部駅で乗降が終わったあと、運転士が鳥取駅で特急スーパーいなば岡山行きに乗る人がいるかどうか車内を聞いてまわりました。ワンマンカーの運転士はけっこう大変ですね。定刻よりも少し遅れて鳥取駅に到着しました。鳥取駅は、高架駅でした。改札は自動改札ではなく、駅員さんがいました。
鳥取駅 駅名標


第42回鳥取しゃんしゃん祭
今日から2泊する鳥取ワシントンホテルプラザにチェックイン。鳥取駅北口から歩いてすぐなので、いい立地です。ホテルの窓からはJRの線路が見えて、眺めも最高。
鳥取ワシントンホテルプラザ

ホテルに荷物を置いて鳥取観光開始。今日は「第42回鳥取しゃんしゃん祭」が行なわれます。「しゃんしゃん一斉傘踊り」の会場となる若桜(わかさ)街道を目指します。
若桜街道

「鳥取しゃんしゃん祭」についての予備知識ゼロで見ましたが、簡単に説明すると、鈴のついた傘を持って、スピーカーから流れる音楽にあわせて踊ります。この傘についた鈴が「しゃんしゃん」と鳴ることから「しゃんしゃん祭」という名前がついたということです。
会場に着いた頃は、「しゃんしゃん一斉傘踊り」の前半と後半の配置転換中でした。19:00から後半がスタート。車道に並んだ踊り手が5列で音楽にあわせて一斉に踊りながら前進していきます。傘は前後左右に振り回して踊りますが、投げたりはしません。踊っているのは、鳥取にある公共団体や民間企業などで、それぞれが「連(れん)」というグループ単位で参加しています。連ごとにお揃いのハッピを着ています。連の踊り手の前には、装飾車と呼ばれる飾りをつけた軽自動車が走ります。年齢や性別に関係なく、まさに老若男女が踊っていました。参加した連は約80団体、4,000人とのこと。
音楽は、盆踊りにぴったりの演歌風の音楽です。後でインターネットで調べてみたところでは、「きなんせ節」「鳥取しゃんしゃんかさおどり」「平成鳥取音頭」「しゃん☆しゃん☆しゃんぐりら」の4曲が使用されていたようです。「鳥取しゃんしゃんかさおどり」は(故)三波春夫が、「平成鳥取音頭」は北島三郎が歌っているようです。大物です。1曲が終わると間が数分あって、また次の曲が流れるという感じで進んでいきました。
振り付けですが、連によって振り付けが違うこともあれば、同じ振り付けで踊っていることもありました。特に決まりはないようです。沿道はかなりの人出でした(新聞報道によると、128,000人)。19:50から10分間休憩して、20:00から再開。あまり前進しないので、ルートを逆行してみました。若桜街道を北に向かって歩いた後、智頭街道を南に歩きました。音楽にあわせて元気に掛け声を出している連や変装している連がありました。
鳥取しゃんしゃん祭 しゃんしゃん一斉傘踊り 鳥取しゃんしゃん祭 しゃんしゃん一斉傘踊り 鳥取しゃんしゃん祭 しゃんしゃん一斉傘踊り 鳥取しゃんしゃん祭 しゃんしゃん一斉傘踊り 鳥取しゃんしゃん祭 しゃんしゃん一斉傘踊り 鳥取しゃんしゃん祭 しゃんしゃん一斉傘踊り

21:00に終了。各賞が発表された後、各連で記念撮影をしていました。鳥取しゃんしゃん 祭は、企業にとっては市民に対して宣伝できることと、社員が参加することによってチームワークを高められるので、一石二鳥の効果があります。鳥取に転勤になった方は、ぜひ参加してください。夏らしいお祭りを見ることができてよかったです。


第2日(2006.8.13)